IT・科学
ネットに出現「正義のヒーロー」との付き合い方 香山リカさんに聞く
ネットのコミュニティーでは、毎日どこかで小さな「火事」が起こっています。「火事」の現場で見かけるのは、自称正義のヒーローたちです。ネット社会は、正しくあろうとする人であふれていて、それは、高校生である私の周りでも目に入ってきます。その行き過ぎた正義が、人を傷つけることもあります。ネット上の中傷が過激化し講演会を中止されたこともある精神科医の香山リカさんが指摘するのが「50代、60代の暴走」です。「私もこの年になって気がつきましたが……」と語る香山さんと一緒に、正義のヒーローとの付き合い方について考えました。(ホシノユウヤ)
私は現在、高校3年生です。お笑い芸人の、たかまつななさんが運営する「笑下村塾」の高校生記者として活動しています。
そんな私が気になったのが、2019年に常磐自動車道で起きたあおり運転事件をめぐって、加害者の男の車に同乗していた「ガラケー女」とのデマを無関係の女性がネット上で流された問題です。
正義感は、誰しもが持っています。心のどこかで正義のヒーローになりたがっていて、ネットやSNSがその身近な舞台になっているのかもしれません。
匿名性の高いネットで思い切った言動をとることもあるでしょう。心の内側にあるナマの声が噴き出ているように感じます。
私自身にもかつてはその傾向が強くありました。失敗したこともあります。
だからこそ今の状況に、なおさらの強い危機感を抱いています。
正義のヒーローの正体はどこにあるのか知りたくて、精神科医の香山リカさんに連絡を取りました。
インタビューは新型コロナウイルスの影響で思うように外出が出来ない中、テレビ電話を使って行いました。まさにネット社会です。
精神科医としてテレビをはじめ様々なメディアで活躍してきた香山さんは、ネット上で根拠のない攻撃にさらされている当事者でもあります。
香山さんが指摘するのが「有能感」です。
「ネット上での自警団的な行為には、正義感の他にもう一つ、“有能感”を感じたいという思いもあります」
有能感とは本来、社会における生産的な活動を通して満たすものであるはずです。ボランティア活動を行うことで「自分って、やればできるんだな」と感じるような。ところが、それをネット上で満たそうとすることで、「正義のヒーロー」が生まれてしまうのだと、香山さんは言います。
「私が、ある場所で開かれる講演会に参加しようとしたら、『香山リカを参加させた場合、参加者の安全は保証しない』という連絡があり、結果的には講演を中止せざるをえなかったんです」
香山さんに対しては今も、国籍や家族について、根拠のない情報が書かれ続けているそうです。
「書き込みをしている人たちは皆、私という人間のプライベートをそれが事実であるかどうかは関係なしに、とにかく調べ上げることによって自分の中にある有能感を満たしているのだと思います」
香山さんは、ある日、ネット上で見つけた書き込みが忘れられないそうです。
「『香山リカの講演を中止に追い込んだ』と、まるで大仕事を成し遂げたかのような調子で書かれている文章でした。こういった行為をする人は、自分が他の人よりも優れているということを過激な行為を通じて確認したがっているのだな、とわかったんです」
その上で、香山さんが強調するのは、ネット以外の現実世界での体験の大切さです。
「現実社会での成功体験を通して、『自分は実はこんなことができたんだ』とその人自身の有能感を満たしてもらうことも、ネット世界で内にある感情を暴走させないためには必要です」
ネット上のもめごとの多くは、私のような未成年、または若年層によって引き起こされるものであると考えていました。ところが、実際は私の親世代の人も、いざこざに巻き込まれています。
「私(香山さん)もこの年になって気がつきましたが(香山さんは1960年生まれ)、50代、60代というのは、自分自身の存在価値や生きる意味について考える機会が増えてきます。そこで新しくなにか生きがいを見つけられるのなら大丈夫ですが、そううまくいかない場合もあります」
「日常生活で、自分の心の中にある“人よりも優れたことをしたい。”という欲求を満たすことは相当な労力を必要とします」という香山さん。ネット上のトラブルは必ずしも若者に限った話ではないと指摘します。
「大人になってから急に、それまでの常識を完全に打ち破るものが生まれたわけです。そこに現実社会の流れから取り残されてしまった人たちの一部が、それに耐えられず、ネット上で自分の存在価値を確かめようと集まって、それが正義感の暴走につながるのではないでしょうか」
たしかに、子ども向けの「ケータイ安全教室」は、よく聞きますが、大人のそれはあまり聞きません。
大人は子どもよりもネットにおいてもモラルがあるという前提で考えていましたが、安全教室が必要なのは子どもだけではないようです。
「“デジタルネイティブ”と呼ばれている世代の子たちと学校で、よく話をします。今のミドル世代よりもずっと、ネットを使用するときのモラルがしっかりとしている風に感じます。デジタルネイティブ世代がミドル世代になったとき、ネット上でのいざこざは今よりもずっと少なくなると思います。その点においては楽観的に見ています」
私たちの未来のネット社会は、思ったよりも明るいものになりそうで、少し安心しました。
ネット上で炎上と呼ばれる状態になると、集団で過激な意見に偏ることがあります。香山さんが問題視するのは責任の所在です。
「集団の場合、一番大きいのは、やはり責任の所在がうやむやになることです。大人数で責任を押し付け合えば自分の手は汚さずに済みますからね」
ネット上でのいざこざを見てみると、その多くが、「注目を集めている人」と「注目を集めている人をとにかく裁きたいその他大勢の人」という構図になりがちです。
「理性的に行われるディベートなら、より積極的に行われるべきです。筋の通った指摘ならお話してみても良いでしょう。ただ、それに相手の身の安全や、身近な人の名誉に関係することを絡ませるのは違う、ということです」
香山さんは、その人の存在価値が認められることが大事だと説きます。
「ネット上でのいざこざを防ぐためには、有能感を当たり前に感じられる社会を作ることが大事。そのためには、現実世界でのコミュニケーションがとても大切なんです」
それは、ほんのささいな気配りからできることだと言います。
「思っていても、なかなか口に出さないような感謝の言葉ってあると思います。『いつもありがとう』や『助かってるよ』など。ほんの一瞬で言える言葉で人は自分が人に必要とされていることを感じられます」
私自身、教室にいると、クラスメートたちが向こうで話している時、自分のことでよくないことを話しているのでは、と考えてしまうことがあります。そんなネガティブな気持ちも、ネット上でのトラブルと無関係ではないと香山さんは言います。
「精神科医をしているとよく、やたらめったら物事を関連づけて、自分のことだと思い込んで落ち込む人っているんです。メガネをかけている人なんてどこにだっているのに、メガネをかけた自分のことを言っているんだ……みたいな、そんなお話です」
「実生活に支障が出ている場合は別ですが、そういったことがないうちは、あまり深く考え込むのも、もったいないと思います」
とはいえ、ネット上のトラブルはいつ被害者になるかわかりません。そんな時、香山さんは「すぐに周りに相談することが大事」と話します。
「実社会で、『SNS上で、こんな変なことを言われています。私は問題ありません』と発信していくことも大切だと思います。黙って雲隠れするよりかは、よっぽど良い。普段からネット上で、困ったときに頼れるようなコミュニティーというものを作っておくことが、ネット上でのトラブルのない意思発信において必要なんだと思います。自分を守ってくれるような人たちを見つけられれば良いですね」
自分がつまずいたときに、さっと手を差し伸べてくれる人。そういった“やわらかい”人脈は、その人の日常生活での人柄が顕著に影響するのかもしれません。
すぐ連絡できる相手がいない人には、オンラインで対応してくれる相談窓口もあります。
私は、見ず知らずの人とのお話は少し不安なので、実生活における普段からの関わり、自らの失敗すらも赤裸々に語れるようなつながりこそが大切であるのだと、より一層感じました。
頼れる人はいつだって必ずいる。それだけは忘れないようにしたいです。
学校生活を送る私にとっても、香山さんのお話は、実生活ですぐに応用できることばかりでした。
香山さんは、ミドル世代の問題を指摘されましたが、はたして30年後、デジタルネイティブである私たちが大人になった時、やわらかな心でもってネットコミュニケーションできているでしょうか。
当事者としてこの問題を考え続けたいと思います。
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