連載
#4 withコロナの時代
一斉休校、尾木ママの憤り 「教育工場の体質反映、選択の自由を」
大人と子どもが、互いにわかり合うため必要なこと
新型コロナウイルスの流行により、各地で休校が相次いでいます。国の要請で始まったものの、延長に関する判断は、運営者に委ねられているのが実情です。日常を取り戻そうと試行錯誤する中で、授業の再開を目指すところも。その一方、感染を不安視した生徒が、休校継続の署名を集めるなど、現場では混乱が広がりました。社会は当事者である子どもたちの声に、どれだけ向き合ってきたのか? 「コロナ後」の教育のあり方について、「尾木ママ」こと教育評論家・尾木直樹さんの話から考えます。(withnews編集部・神戸郁人)
安倍晋三首相は2月27日夜、全国の小中高校と特別支援学校を対象に、3月2日から春休みに入るまでの臨時休校を要請。ウイルスの感染拡大を抑える目的で、卒業式や入学式の縮小・中止、登校日の再設定など、各地の学校は対応に追われました。
結果的に、公立校の約99%が休校を決定*註1。その後、文部科学省は再開に向けた指針を公表します。しかし、都市部を中心に感染例が続発したため、一転して「柔軟な対応」を呼び掛けるように。最終的な判断を、運営者に任せる形となったのです。
公立校の多くは、5月の大型連休までの休校継続を表明。他方、兵庫県や山形県は当初、授業の再開を検討していました。
「学校再開が強行されるのは自分たちの安全が軽視されている」。各県立高の生徒たちは、感染拡大への不安を訴え、休校を延長するよう求める署名活動を展開しました*註2。その後、両県を含む複数の自治体は、方針を撤回しています。
*註1:【関連リンク】学校再開いつ? 揺れる行政、新学期ギリギリ判断の市も
未知のウイルスを前に、揺れた大人たち。一連の動きを、尾木さんはどう受け止めたのでしょうか? 今回の事態を次へ生かすため必要なことについて、話を聞かせてもらいました。
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新型コロナウイルスには、これまでの常識が通用しません。「子どもはかかりづらい」と言われてきたけれど、最近は若い世代の感染も相次いでいます。国や自治体の方針が二転三転するのは、やむを得ない側面もあるでしょう。
ただ、学校は(密閉・密集・密接の)「3密」が発生する典型的な環境です。グループで学び、給食を食べ、遊ぶ。教師と子ども、子ども同士が寄り集まることで、信頼関係が育まれることもあります。近距離で会話せずにいるのは、ほぼ不可能と考えれば、休校がベストな選択です。
一方で、先生方の焦燥感も理解できます。4月に新学期を迎えられるかどうかは、死活問題。子どもたちと顔を合わせて、進級・進学後の生活の心構えを教えたり、教科書など必要な教材を渡したりできる、貴重な機会だからです。少しでも早く再開したいと考えるのは、当然だと思います。
とはいえ、休校をめぐる政策が、大人の都合で進められてきた感は否めません。休校を求める署名活動に取り組む子どもたちは、「他人に感染させるかもしれない」と心配しています。私たちは、そうした気持ちを置き去りにしてはいないでしょうか。
日本の教育は、明治時代以来、「国家のための人材育成」を目指してきました。子どもが知りたいことを探求したり、豊かな人格を形成したりすることより、社会に適合できるかどうかが重んじられる。その結果、先生と児童・生徒が、上下関係で固定されてしまったのです。
いわば「教育工場」のような学校の古い体質が、今回の件に反映されていると思います。主人公であるべき子どもを管理しようとする考え方は「操作主義」です。この点を改善しなければいけません。子どもの命は、失われれば二度と回復できないのですから。
ここのところ、「テレワーク」という言葉を聞くようになりました。たとえば、教育現場でも「テレスタディ」を推進するのはどうでしょう。
最近、ある小学生が、学校の体育の先生による体操の動画を、パソコンで見てまねています。「面倒な点呼も、声を荒らげて指示されることもない」と喜んでいるようです。授業というより、体を動かして楽しんでいる印象を受けます。
生徒に信頼されている先生が、授業の動画を製作するのもいいと思います。大切なのは、「大人が子どもの意見を聞く」ということ。先生と生徒が一緒に学びをつくるパートナーとして、協働していくのが先決です。「働き方改革」ならぬ「学び方改革」ですね。
実は、参考になる例って、たくさんあるんですよ。その一つが、桜丘中学校(東京都世田谷区)です。校則をなくしたり、出席する授業を選べたりするなど、ユニークな取り組みで注目を集めています。
面白いのは、職員室前に、自由に使える机といすが置いてあること。授業中は、ここが教室に入りづらい子たちの学ぶ居場所になります。以前、校内を視察させてもらったとき、そこで宇宙論について語らっている子たちもいました。彼らは、とても楽しそうに過ごしていました。
「子どもは競争によって伸びる」という考え方は、今なお教育界を覆っています。小規模校よりは、マンモス校に進学させたい、と考える親も少なくありません。繰り返しになりますが、それは社会に適応できるかどうかが、重要な評価軸になっているからです。
これまで通りのやり方を希望する人も、そうではない人も、望む形の教育を受けられる。そして、どの学校に入ったとしても、経済的な格差を気にせず自由に学べる。そのように、選択の自由を保障することこそが、今後大事な課題になるのだろうと思います。
コロナウイルスの脅威に直面していることは、紛れもないピンチでしょう。しかし、押しつけではない教育のあり方を考え、現状を変える上で、今は最大の好機であるとも言えます。大人に求められているのは、発想を転換する「アクティブラーニング(能動的学習)」ではないでしょうか。
【記者の気づき】
■「十分に報道されていない」というLINE
今回のインタビューのきっかけは、知人から届いた一通のLINEでした。
「地元の高校生が、知事宛てに休校継続を求める署名を集めている。ウイルスに感染しないよう、自分の安全を守るための行動も取っているが、十分に報道されていない」
兵庫県などで、同様の動きが起こっていることは、私も把握していました。しかし子どもたちの叫びは、予想をはるかに超える広がりをみせていたのです。
未曽有の事態に、新たな連帯が生まれる。この現象を解釈するための手かがりを求め、尾木さんにコンタクトを取らせて頂きました。
■目的と手段が逆転していないか
尾木さんの発言の中で、特に印象に残ったものがあります。「学校では子どもたちの命の上に、教育の意義が置かれてしまいがちである」という指摘です。
運動会などで行われる「組み体操」は象徴的かもしれません。「クラスに一体感が生まれる」といった、教育的効果を期待する声が少なくない一方、毎年のように重大な事故が報告されています。
2015年には、大阪府八尾市の公立中学校の運動会で、10段ピラミッドが崩落。下敷きになった生徒が腕を骨折するなどし、社会問題化しました。独立行政法人日本スポーツ振興センターの資料によると、全国の小中高校と高等専門学校では、同年に8071件の事故が発生。18年には4146件まで減ったものの、依然高い水準で推移していると言えるでしょう。
教員を務める友人から、こんなエピソードを聞いたこともあります。「かつて豪雨の中、生徒を課外活動に連れ出した。学校の方針に従ったが、子どもの身を危険にさらしかねない行為だった」。悔しさをにじませながら語る様子が、今も忘れられません。
崇高な理念を掲げ、生きるための力を養う。そのような教育のあり方に、大きな意味があることには、議論の余地がないはずです。しかし時として、目的と手段の価値づけが逆転してしまってはいないだろうか。尾木さんとのやり取りの中で、私はそう思うに至りました。
■私たちこそ問い直すべき「前提」がある
休校を求め子どもたちが声をあげたことは、今まで当たり前とされた学校の仕組みに対し、一石を投じるものです。授業や行事は、本来誰のために営まれるべきか。コロナウイルスとの付き合い方を考える中で、私たち大人こそが、自らに問い直すべき局面に来ているのではないでしょうか。
茨城県の公立高校では今月、生徒の一部が休校継続を要求し、登校拒否による「ストライキ」を実施しました。ほどなくして、県知事が大型連休までの休校延長を表明するなど、当事者の声が社会を動かしつつあります。
もちろん、大人と子どもの間で、教育の捉え方が異なるのは当然でしょう。どちらかの訴えだけを聞くのではなく、それぞれの認識の差を埋めるため、建設的に意見を交換する。そのことは、より良い学びの場をつくる上で、決して無駄にはならないはずです。
これまで自明と思われてきた、先生と生徒が取り結ぶ上下関係。その前提を疑い、互いの立ち位置を見つめ直すことで、「コロナ後」に必要な教育の輪郭が明らかになるのかもしれません。
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【おぎ・なおき】
1947年滋賀県生まれ。教育評論家。法政大学名誉教授。中学、高校の国語教師を22年間務めた後、法政大学教授など22年間大学教育に携わる。臨床教育研究所「虹」所長として、教育・子育てに関する調査・研究、評論活動を続ける。『学習まんが小学生日記 尾木ママと考える!ぼくらの新道徳1 いじめのこと』(小学館/指導・監修)など著書多数。
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