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ミルクボーイの「最中ネタ」、あえて挑んだ「ハードな笑い」だった
漫才にとって重要な「ネタ」。そもそも漫才とは、身近な話題であるネタを扱いながら、ボケとツッコミのやり取りで笑いを誘う芸だ。その“身近”という概念も、時代によって変わってきている。ミルクボーイの駒場孝(33)と内海崇(34)がネタにした「コーンフレーク」「最中」は、なぜ今の時代に響いたのか。漫才が大衆化した1980年代からの変化をたどりながら、趣味趣向が細分化した時代に誰もが笑えるネタを発掘した ミルクボーイの新しさについて考える。(ライター・鈴木旭)
1970年代、横山やすし・西川きよしの台頭によって、漫才はじわじわと親しみやすいものになっていく。その流れのなかで、1980年代初頭の漫才ブームがはじまった。それを象徴するテレビ番組が『THE MANZAI』(フジテレビ系)だ。
番組に出演していたほとんどの芸人は吉本興業所属で、別称「吉本ブーム」とも呼ばれている。漫才 のネタは、日本の景気のよさを表すかのような能天気さ、芸能界の華やかさ、若者文化を象徴する素材がメインだった。その中で、ツービートは、刺激的なネタで注目を浴びた。吉本興業所属の芸人でもなく、関西の芸人でもないコンビが目立つためには、誰も手をつけていない“毒”を必要としたのだろう。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」「人はねた、あの快感がたまらない」といったフレーズが飛び出す交通標語ネタや、「飛行機が飛んでると、みんな出てきておがむ」といった田舎者を差別するようなネタを披露し、若者からの絶大な支持を集めた。
あこがれも含め、都会と田舎の落差があった時代だからこそ許容されたネタと言っていいだろう。
ツービート の後に登場したダウンタウンの松本人志と浜田雅功は「クイズ番組」「食リポ」など、テレビ番組でよく目にするシチュエーションを下地にすることで、ボケの卓越した発想力を見せることに成功した。有名なネタ「誘拐」は、刑事ドラマにありがちな“電話で犯人が身代金を要求するシーン”がベースになっている。
イメージしやすい設定で瞬間的に緊張を生み出し、さまざまな角度のボケで笑いに変えていく。加えて、ダウンタウンは、関西出身にもかかわらずコント漫才が多いことも特徴だ。漫才にコントを導入することで、関西弁の“えぐみ”をなくす効果を発揮した 。
また、ツービートに触発されて漫才をはじめた爆笑問題の太田光と田中裕二は、世の中の時事問題に毒を吐く、または旬な話題をモチーフに飛躍した展開へと持ち込むネタを得意とした。『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』(テレビ朝日系・1993年10月~1994年3月終了)で披露した「Jリーグ」は、その代表的なネタだ。
1993年に開幕した日本プロサッカーリーグ「Jリーグ」。なかでも、ブラジル出身で長いパーマスタイルのラモス瑠偉選手は強烈なインパクトがあった。当時、実際にラモス選手はJリーグカレーのCMに出演しており、 それをモチーフに、あり得ない商品・キャッチコピーへと飛躍させて笑いをとっている。時代の顔となった著名人、流行をふんだんに利用したネタと言えるだろう。
ダウンタウンも爆笑問題も、 「身近な素材を、どんな角度で裏切るか」というボケのセンスが試されるようなネタである。とくに松本人志の影響は大きく、90年代は他の芸人から生まれたネタがかすんでしまうほどだった。
2000年代に入ってM-1グランプリがはじまると、賞レースで目立つことを意図してかニッチなネタを披露するコンビが多くなった。
笑い飯は架空の博物館「奈良県立歴史民俗博物館」をネタにした。1人が奈良時代の生活を伝えるべくつくられた動く人形を演じ、もう1人がその解説を担当しながら脱線してボケる。順繰りで役割を入れ替えながら、次第にボケがエスカレートしていく展開が圧巻だった。
フットボールアワーの「SMタクシー」は、競争率の激しいタクシー業界に一石を投じるべく、運転手がSM嬢の口調でサービスしてみようというネタだ。「メーターを止めてやろうか」「もう1人乗せて相席にしてやろうか」などとあおる運転手に乗客がツッコミを入れていく。日常と非日常の組み合わせが妙な世界観を生み、クセになるかけ合いで会場を沸かせた。
チュートリアルの「チリンチリン」は、自転車のベルが盗まれたというエピソードのみをネタにしている。盗まれた相方に感情移入して「俺もその昔、チリンチリンを盗まれた男の一人なんや」と話を広げ、「今日から俺がお前のチリンチリンになるから!」と語るに至るまで展開が飛躍する。日常のちょっとしたモヤモヤを、執拗(しつよう)に掘り下げるネタそのものが新しかった。
賞レースは約4分間という限られた時間のなかで、いかにインパクトを与えられるかが勝負となる。よりピンポイントで特異性の高いネタこそが支持された時代といえる。
スマホの普及や性の多様性など、情報量が膨れ上がった2010年以降は、身近なシチュエーションを切り取るのが難しい時代になった。手あかのついていない設定から考えるよりも、漫才コンビ(主にボケ)の個性を前面に押し出すネタが増えていった 。
宮下草薙のネガティブ漫才、EXITのネオパリピ漫才、アインシュタインのブスいじり漫才などは、その代表的な例と言っていい。ネタを考えるより前に個性を重視することで、替えのきかない漫才ができると感じるようになった。
一方で見る側も「どんなネタか」より、「○○らしい漫才」が見られることを期待する傾向が強くなった。その関係性は、ある意味でアイドルグループとファンに近い。過去に言われていたような「アイドル的な人気芸人」とはニュアンスが違う 「コンビ愛」「優しい笑い」に通じるものだ。
演者と観客の双方によって、身近な印象を与える“安心感”のある個性を持ったお笑い芸人が支持される。この関係からは、不安定な日本社会が透けて見える。
ミルクボーイのネタは、そうした潮流のカウンターだった。改めて「コーンフレーク」「最中」という“ちょうどよい素材”にスポットを当てたことで、自分たちの笑いに観客を引き込めたといえる。
内海の「コーンフレークはね、朝から楽して腹を満たしたいという煩悩の塊やねんから」「最中はね、菊の花とか家紋とか見た目怖すぎんねやから」といったフレーズが新鮮に響いたのは、誰もが知っているにもかかわらず「ネタとして扱われていなかった素材」だからこそだ。
ほとんど無名に近い状態にもかかわらずM-1史上最高得点をたたきだしたことも、演者と観客の関係性が重視される流れに一石を投じた。 ミルクボーイは、「優しい笑い」の時代にあって、自らが仕入れた最高のネタで勝負する「ハードな笑い」で挑み、勝利したのだ。そんな2人の価値は、誰もが笑える「大衆性」の可能性を切り開いたところにあるのかもしれない。
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