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コロナ渦中のNY行けず…でも 日本の中高生が国連の先輩と話したこと
新型コロナウイルスの渦中にあるニューヨークの国連を訪問できなくなった日本の中高生たち。代わりにネットで顔を合わせ、国連で働く先輩たちと話す機会がありました。ニューヨークの窮状などに耳を傾けつつ、被害がより深刻になりかねない途上国への支援などについて次々と質問。ウイルスを吹き飛ばす勢いでした。(朝日新聞編集委員・藤田直央)
タブレットの画面越しに互いにつながったのは、国際協力をテーマにした作文・スピーチコンテスト(外務省と日本国連協会の共催)で入賞した中学生4人と高校生4人。すべて女子です。「日本青少年国連訪問団」としてニューヨークを3月下旬に訪れ、国連関係者と懇談するはずでした。
ところが3月に入り、米国で新型コロナウイルスの感染が急速に拡大。最大の都市ニューヨークでは州知事が原則在宅勤務を命じる深刻な事態になります。彼女らは訪問できなくなり、代わりにネット経由で顔を合わせて懇談となったわけです。
今ごろ #NY の国連を訪ねていたはずが #新型コロナ でなしになった日本各地の中高生と、国連関係者のオンライントーク。国際協力に関する外務省の作文・スピーチコンテスト入賞者らで、コロナを吹き飛ばすような生き生きしたやり取りでした。近く #withnews で。 pic.twitter.com/TEDPjN5xiZ
— 藤田直央 (@naotakafujita) March 27, 2020
ネット懇談は3月27日、外務省から司会役が呼びかけて開始。冒頭あいさつで国連大使の星野俊也さんがニューヨークの自宅から現状を語り、真剣に聞く彼女らの顔もタブレットに映ります。話している人の画像が大きくなる仕組みです。
「米国が世界で一番感染者を抱える国になってしまった。トランプ大統領は非常事態宣言を出していて、我々は州知事の命令に従って外に出ないようにしています。皆さんがニューヨークに来たとしても14日間は動けなかった。本当に残念です」
そして星野さんはコロナ問題について、恩師で国連難民高等弁務官を務めた故・緒方貞子さんが唱えた「人間の安全保障」という考え方を引き合いに説明しました。
「人間の安全保障は、世界中のひとりひとりを国際社会が支えることで生存や生活、尊厳に対する脅威から守るという考え方です。コロナ問題はまさに生命に関わり、差別や偏見の問題も出てくる。乗りきるために国連加盟193カ国の仲間と頑張っています」
次に話した岡井朝子さんは、国連開発計画(UNDP)の危機対応局長です。やはりニューヨークの自宅から。「もう10日ぐらい家から出ていませんが、朝から晩までひっきりなしにビデオや電話の会議が続いています。UNDPは170カ国にオフィスがあって、みんな現地の自治体のコロナ対策を必死に支援しているからです」と話しました。
「UNDPって何か知ってる?」と岡井さん。国連が掲げるSDGs(持続可能な開発目標)に深く関わるそうです。
「格差や貧困など社会の脆弱な状態をなくして発展させようというのがSDGsです。その道のりを妨げるような危機に対処するのが私の仕事で、いま頑張っています」。目下最大の危機がコロナ問題なのです。
大きな先輩2人の話が終わり、いよいよ中高生たちの質問です。
画面に映った彼女たちの背景からして、みんな自宅か教室のようです。最初に、長崎県立口加(こうか)高2年の栗田悠衣さんが、「コロナで日本も世界も大きなダメージを受けました。UNDPは日本にどういう支援や手伝いをしましたか」と聞きました。
岡井さんが答えます。「日本にはきちっと対応できる制度がありますが、世界には日本ほど能力もお金もない国があって、そんな国でコロナ患者が増えたら保健や医療の制度がパンクしたり、都市封鎖で食糧や水のなくなる人が出てくる。そうした人たちへの支援に日本も力を貸して下さいとお願いしました」
次は佐賀県の私立早稲田佐賀中2年の板垣仁菜さんで、やはりコロナ問題でした。「高齢者など弱者には生命のリスクがありますが、出歩く若者が感染源になるかもしれません。目の前にいない弱者のために行動するようどうメッセージを伝えればいいですか」
岡井さんはグテーレス国連事務総長のメッセージを紹介。「事務総長はこの一週間いろんな形で声明を出しています。一国だけよければいいという考えは通じない、連帯してこの地球規模の危機を乗り越えようと。脆弱な国で感染が爆発したら自分たちの国に拡大するわけですから」
さらに、原爆で失われる前の街の白黒写真をカラー化することに取り組んできた広島県の高校生や、歴史好きで世界共通の教科書を作りたいという宮城県の高校生らが続きます。別のテレビ会議のため中座する岡井さんへの最後の質問は、富山県射水市立小杉南中3年の北林愛里菜さんでした。
「バングラデシュで1年暮らしたとき貧困で苦しむ人をたくさん見て、助けたいと思いました。岡井さんのように国際機関で働きたいです。高校の間にどんなことを身につけておくべきですか」と北林さん。
岡井さんは「んー、いっぱいあるけど」と言って、自分の高校生の頃から振り返りました。
「私も高校2年の時に『科学と人類』という、今はとても書けない題の作文コンテストで優勝し、ご褒美でノーベル賞の授賞式に参加しました。それがすごく強烈で、世界をよくするどんな仕事ができるだろうと考えました。外交官になる勉強ができる大学に行き、卒業の時には国際機関に行こうかとも迷いましたが外務省に入り、ずっと開発と貧困の問題を考えてきて、いまUNDPで仕事をしています」
そして、「心を大事にして、考えを膨らませて下さい」と北林さんに語りかけました。貧困をなくすにはどういうやり方があり、どういう技能が必要なのか。「あなたの将来はまだいっぱいある。色んな人の考えを聞いて、ゆっくり考えて決めてください」
ネット越しの拍手で岡井さんが去り、予定の1時間を超えても質問は続きます。最後の8人目、栃木県矢板市立矢板中3年の広瀬絢菜さんは、アルミ缶を回収したお金をUNICEF(国連児童基金)に寄付する中学時代の活動を紹介し、今後へのアドバイスを求めました。
国連大使の星野さんは広瀬さんが入賞したコンクールの作文を読んでいて、こう励ましました。
「広瀬さんの行動力に感銘を受けました。一人から初めて学校のみんなに呼びかけ、後輩に引き継ぐことまで考えてアルミ缶集めのプログラムを作った。自身でモデルをつくる経験ができたことが大きいんです。高校、大学、海外留学すればもっと友達の輪は広がりますよ」
そして最後に彼女たちに、「皆さんがニューヨークで共通の時間を持てなかったのは残念だったが、訪問団に選ばれたことも一つの縁です。ぜひ今後も連絡を取り合い、知り合ってください。そこから新しいものが生まれるかもしれない」
改めてネット越しに拍手があり、それぞれが「ありがとうございました」と回線を切って、懇談は終わりました。
この「日本青少年国連訪問団」の名称の前には、実は「奥・井ノ上記念」という冠があります。2003年11月、イラクの戦後復興に対する日本の支援を現地で調査中に殺害された二人の日本外交官、奥克彦さん(当時45)と井ノ上正盛さん(当時30)の名です。
毎年恒例のこの訪問団は01年、外務省国連政策課長だった奥さんの発案で始まりました。親しかった星野さんは冒頭あいさつで、中高生たちに「奥さんはイラクのため、世界平和のために努力してくれた。その思いをぜひ皆さんも引き継いでほしい」と語りかけました。
私も02年の英国出張の際、ロンドンの日本大使館に異動していた奥さんにお世話になりました。ラガーマンだった奥さんはその頃から本場英国でラグビーW杯日本杯誘致に動いており、それが昨年に実現したわけです。
「日本青少年国連訪問団」がふつうにニューヨークへ行く際は取材機会はないのですが、今年は中止になってたまたま、メンバーの若者たちが国際協力への思いを語る様子を見ることができました。「奥さん、ここでもいい仕事してるなあ」と思いました。
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