IT・科学
インスタで250万フォロワー「D」が宣伝投稿をしない理由「本末転倒」
--いつからインスタを始めたのですか?
「2014年の4月にアカウントを作りました。本格的にやり始めたのは15年から。ファッションに興味があり、福岡の服飾専門学校に通っていた時です。当時、インスタの利用者が爆発的に増えていたので、僕はファッションの分野で注目されるにはどうしたらいいか、ということを考えて戦略を練りました」
--戦略とは?
「英語が得意なわけではなかったのですが、日本の利用者が少なかったので、『国内よりも利用者が多い、日本以外の人たちに分かるようにしよう』と、とにかく世界の人たちに注目される工夫をしました。たくさん並べるハッシュタグはもちろんですが、キャプションも英語にする。それから、僕のアカウント名は『d_japanese』なのですが、これだと日本人であることが一目瞭然です。僕が誰かの投稿に『いいね!』をすると、日本人のdという人物が反応したということが伝わります。街で見かけたおしゃれな人を撮影して投稿していました。専門学校時代に海外に行った際にも頑張って道で話しかけて。16年の4月に上京したのですが、当時フォロワーは15万~16万だったと思います」
--そこから数年で一気に200万超のフォロワーになった理由は?
「前提として、僕はフォロワーの数は重要ではないと思っていて、とにかく僕の投稿を見てくれる人に楽しんでもらいたいと思って一生懸命やっています。あと、9割超が海外のフォロワーさんなので、今は一つの投稿に対して英語以外にも様々な言語で発信しています。具体的には、著書にも書かなかったのですが、常に三つのことを意識しています」
--三つのこととは?
「一つ目はとにかく、僕のインスタグラムに興味を持ってくれる活動に全力を注ぐこと。今の世の中には、夢中になれることが少ないと思っています。でも、何かに夢中になっている姿には、多くの人が引きつけられる。羽生結弦さんがスケートをするように、錦織圭さんがテニスをするように、僕はインスタで努力して夢中になっていることを見せて世界の人々を魅了したい。一日中インスタを見て研究したり、どう返事するか考えたり。一眼レフのカメラを買って、どんな写真がいいか研究して。撮った写真はすぐにアップしません。枚数もたくさん投稿するより、熟考したうえで選ぶ。投稿時間もたくさんの人が投稿する時間帯を避けるなど、とにかく考えて考えて、努力しようと心がけています。僕のやっていることはアスリートと似ていると思うんです」
--具体的には?
「これは重要なことの二つ目にあたるのですが、例えば僕は英語が苦手だったので、つい最近2カ月半にわたってフィリピンのセブ島にある『QQEnglishシーフロント校』という学校に英語留学をしていました。インスタで学校を紹介することで、一般よりも優遇してもらえる留学制度があって、学校のご厚意で参加させて頂きました。インスタで認められるようになって色々と海外に行きましたが、日本に帰ってくると『なんて恵まれた国なんだろう』と実感します。英語が話せても働きづめだったり、家電がなくてタライと洗濯板で衣服を洗っていたりという人たちもいます。日本にずっといると、そういうことって認識できないですよね」
「日本の人たちには世界が広いということを、世界の人たちには日本の良さを伝えたい。一方で、昔の日本では『いい大学を出て、いい会社に就職すれば、いい人生が送れた』と聴きましたが、僕らの世代は全然価値観が違うので、ずっと将来が不安なのです。だから僕は自分の力で、インスタというフィールドで頑張り、その姿を多くの人に見せ続けたい」
--では、意識していることの三つ目とは?
「今はインスタグラムが浸透してきて、ビジネスになるということが分かった。一般的には、企業などから宣伝の依頼があって、関連する投稿をすれば『1フォロワーあたり1円』とも言われています。そうすると、『フォロワーを増やしませんか』『企業からの依頼が増えますよ』と持ちかけてくるコンサルタントも目立ってきました。例えば僕は250万超のフォロワーさんがいるから、コンサルタントの人はそういった例を出して『彼は1投稿で250万円も稼ぐ。そう考えたら月額50万円でも80万円でも安いでしょう?』と説く。中には悪くない人もいるのでしょうが、実際、月に何十万円ものコンサル料を払っているのに、全然効果が出ないという相談を知人から受けた例がありました。お世話になっている方なので、私が協力して、その会社との契約は切ってもらいました。だから私は多くの人に、そういうビジネスがあるんだということも知ってほしいと思っていて、noteでも周知しています」
--Dさん自身は、どういった形で生計を立てているのですか?
「投稿しているテーマとすごく合うということであれば考えますが、僕は、そうした企業の依頼による投稿というのは原則として受けていません。何か商品を紹介してほしいという依頼があったら僕の場合は、まずはその商品を使わせてもらっています。そして、それを勧めたくなったら、一緒にイベントや商品の企画を考えるなど『なにか別の形でコラボレーションしませんか?』と提案するようにしています」
「大切なのは自分のアカウントイメージを守ることです。フォロワーさんを楽しませなければいけないのに、投稿で宣伝をしていては本末転倒です。芸能人の投稿でも、それがたとえステマでもフォロワーには分かるんですよね。『ああ、これはステマだな』って、気持ちが冷めるというか」
「あとは各国のファッションショーに招かれてハイブランドの最新の服を間近で見てきましたので、そうした経験を生かして舞台やアニメの登場人物の衣装をデザインしたり、ブランドと協業した服を発表したり、本の執筆といった活動を続けています」
--福岡の服飾専門学校に通っていたとのことですが、それ以前は?
「出身は佐賀県です。特に恵まれた家庭環境ではなく、普通のサラリーマンの子です。高校時代はテニスに夢中でインターハイを目指していましたが、練習でボールを踏んで転倒し、靱帯(じん・たい)を損傷してしまいました。落ち込んでいる時に母親に買い物に連れて行ってもらったのですが、服屋さんで店員が選んでくれた服がかっこよくて『ファッションって、人を元気にするんだ』と実感してファッションの道に進むことを決意しました。両親には心から感謝しています。専門学校に進む際、最初は『ファッションなんか、食べていけないのでは』と反対されましたが、一生懸命思いを話すと応援してくれました。高い学費も払ってくれて。親の決断がなければ今の僕は存在しません」
--投稿などでは、佐賀への故郷愛も発信していますね。
「それは本当に最近になってからで。実は佐賀のことが好きになれませんでした。むしろ大嫌いでした」
--その理由は?
「実は、僕は中高時代、いずれもいじめられていたのです」
「今もそうだけれど、僕は当時から『変わり者』扱いされていたので、同級生の言動に合わせることが苦手でした。あまり仲良くない友達からの遊びの誘いも行かなかった。つまり、自分がいいと思えない他人の考えには同調しなかったのです。すると『お前、むかつくんだよ』とトイレに連れ込まれて囲まれ、殴られました。だから、佐賀時代に恋愛の経験はありません。だって、学校中の女性たちも、僕が『いじめられっ子』だと認識していたから。そういう人と付き合ってくれる女性はいなかった。これは結構つらかったですね」
「でも、今では、いじめられている人の心境が分かるようになったのはよかったかな、と思っています。自分も小学生時代には、自分より立場の弱い人をいじめてしまった経験があり、ずっと罪悪感を抱いていましたから。もちろんその人とは仲直りしましたが」
--そういう経験がバネになって今の立場があるということでしょうか?
「いいえ。それはなかったです。こう言うと驚かれるかもしれませんが、嫌いな人について思い巡らせるということ自体が無駄だと思っているので。マイナスなことは考えず、常にプラスのことで頭をいっぱいにして前を向いていたいと思っているんです。だから僕は今、嫌いな人はいません。僕をいじめていた人に会ったとしても、『勉強になったよ。ありがとうね』と言えます」
--佐賀を好きになった理由は?
「昨年、佐賀県の教育委員会から依頼を受けて、『SNSの登場によてファッション業界が取り組んだこと』というテーマで講演をさせて頂いたんです。文部科学省の人や、全国の校長先生たち、服飾関係の人たちの前で。その時に県立牛津高校の生徒が、佐賀の食材を使ったお弁当を作ってきてくれて、とても温かい気持ちを受けたんです」
「佐賀県産の野菜、のりなど素朴な食材だったけれど、東京で食べるどんな高級料理よりおいしかった。僕は中高生の記憶で佐賀が嫌いだったけれど、当時の僕も視野が狭かったんだな、と気づきました。考えてみれば同級生だって大学に進学することや、いい会社に就職することしか考えてなくて余裕がなかったんだとも思い至りました。ただ、ほかの人たちと同調しなかったことについては今も正解だったと思っています。そうしていたら、僕はたぶん、他の人と同じような人生を歩んでいたと思いますから」
--今後もインスタグラムに注力して、生計を立てていくのでしょうか?
「これが一生続くだなんて思っていないですし、そもそも永遠に続くものなんて存在しません。続いたらいいな、という願望はありますけれど、現実としてはインスタがなくなってしまうと終わるし、他に取って代わるSNSが出現したら、みんなそっちに流れていくでしょう。それに、通信の発展スピードはすさまじく、もうすぐ5Gの時代がやってきます。情報拡散が加速度的に速くなる。SNSが今後どうなるのかも分からない」
「どうなるかは想像は出来ないけれど、次の時代が来ることだけは確実なんです。だから、どうなってもいいように、今自分が出来ることを全力でやろうと思っています」
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