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新型コロナでブームの「蘇」、数奇な歴史 「一度消えた権力の象徴」

支配者が口にした理由

新型コロナウイルスの出現後、にわかに注目を集めた古代食「蘇」。その知られざる歴史に迫ります
新型コロナウイルスの出現後、にわかに注目を集めた古代食「蘇」。その知られざる歴史に迫ります 出典: PIXTA

目次

コロナウイルスの発生を機に、古代の乳製品「蘇」が人気を集めています。高級食として貴族に愛されたとされる一方、製法に関する記録はほとんど残っていません。それにもかかわらず、SNS上では他の食材と取り合わせるなどして、オリジナルメニューを考案する人が続出。「はやっていると聞き、正直すごいと思った」。そう驚く専門家に、知られざる蘇の歴史について聞きました。(withnews編集部・神戸郁人)

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ツイッターでの酪農家支援がきっかけ

「#蘇チャレンジ」「#蘇を作る」。今月に入って以降、そんなハッシュタグがツイッター上に登場しました。きっかけはコロナウイルスの出現後、全国的に小中学校の休校が相次いだことです。

学校給食での牛乳消費が見込めなくなり、酪農家からは事業存続を危ぶむ声が噴出しました。この状況を受け、積極的に牛乳を購入しようという動きが起こります。

そして、大量の牛乳を用いて作るとされる蘇に、一部のツイッターユーザーが着目。自作したものの画像や、調理の感想を投稿したのです。
古代日本で食べられていたとされる乳製品「蘇」
古代日本で食べられていたとされる乳製品「蘇」 出典: PIXTA
「正しい作り方がわからない」「昔は殿上人しか食べられなかったらしい」

ツイートともに、そんな情報が瞬く間に拡散しました。焼いてみたり、ジャムや生ハムと組み合わせて食べたりと、試行錯誤を楽しむ人々は、今なお少なくありません。
ミケ太郎さん作の、クラッカーに乗せた蘇。それぞれ、いちごとキウイのジャム、紅茶マロンペーストがかかっている
ミケ太郎さん作の、クラッカーに乗せた蘇。それぞれ、いちごとキウイのジャム、紅茶マロンペーストがかかっている 出典: ミケ太郎さんのツイッター(@bokumike)

【関連記事】古代の珍味「蘇」新型コロナで人気爆発 不明な製法、想像力でカバー

「薬」として用いられていた牛乳

現代人の好奇心を刺激してやまない、蘇。実際のところ、どのような食べ物だったのでしょうか? 古代史が専門で、関西大学博物館学芸員の佐藤健太郎さんに尋ねました。

蘇について考えるため、まずは原料となる牛乳が、古代世界でどう位置づけられていたか見てみましょう。

佐藤さんによると、その存在を示す国内最古の史料例は、平安時代に編纂(へんさん)された『新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく)です。そこには、渡来系氏族の善那(ぜんな)という人が、孝徳天皇に牛乳を献上し、「和薬使主」(やまとのくすしのおみ)の姓を賜ったと書かれています。

この点からわかるのは、牛乳が「薬」として用いられたということです。天武天皇の孫・長屋王(ながやおう)邸跡から出土した木簡には、牛乳を持ってきたり、煎たりした者に対し、報酬として米を支給したと書かれています。
その昔、牛乳は薬として用いられていたという(画像はイメージ)
その昔、牛乳は薬として用いられていたという(画像はイメージ) 出典: PIXTA

搾乳は期間限定、超高級品に

あるいは、平安時代に編まれたとされる『宇多天皇御記』(寛平御記)。その名の通り、宇多天皇が在位中につづった日記です。その中に「可愛がっている飼い猫に乳がゆを与えている」という趣旨の記述があります。

朕閑時述猫消息曰。驪猫一隻。(中略)
先帝愛翫数日之後賜之于朕。
朕撫養五年于今。毎旦給之以乳粥。

訳:暇なので、猫について述べようと思う。一匹の黒い猫だ。(中略)
  父の先帝は数日可愛がった後、猫を私にくれた。
  以来、私が5年間世話を続けてきた。毎朝乳がゆをあげている。
宇多天皇御記 寛平元年二月 『三代御記逸文集成』9ページ(国書刊行会)

「日記には愛猫の自慢が、これまでかというくらい書かれていて、その中に乳がゆがみえます。高いえさなのでしょう」

宇多天皇は、猫に乳がゆを与えていたという(画像はイメージ)
宇多天皇は、猫に乳がゆを与えていたという(画像はイメージ) 出典: PIXTA

「孝徳朝に入ると、搾乳を行う『乳長上(ちちのちょうじょう)』という公の専門職ができました。少なくとも、奈良時代には朝廷で牛乳を飲む文化が定着し、乳製品も作られるようになるんです」

佐藤さんによれば、当時の乳牛は現代と異なり、出産後の母牛のみが乳を出しました。まとまった量を確保しづらいため、一般には流通せず、おのずと希少性が高まったのだそうです。

今ではおなじみの乳牛「ホルスタイン」。古代に飼育されていた牛は、全く違う種類だった
今ではおなじみの乳牛「ホルスタイン」。古代に飼育されていた牛は、全く違う種類だった 出典: PIXTA

わかっているのは「煮込む」ことだけ

古代中国で生まれた、牛乳の発酵食品「酥(そ)」を元祖とする説もある、蘇。国内では食用のほか、滋養強壮用の薬や仏教行事の供物として、貴族たちに親しまれました。その製法を記した文献が、平安時代の法令集「延喜式」です。

「作蘇之法、乳大一斗煎、得蘇大一升(蘇を作るの法、乳大一斗、煎して蘇大一升を得る)」

一斗(約18リットル)の牛乳を煮れば、一升(約1.8リットル)の蘇を作ることができる。ネット上に転載されている一文なので、目にした人もいるのではないでしょうか?

佐藤さんいわく、現時点で、これ以上詳しい記録は見つかっていないといいます。そこで後代の学者たちは、再現実験を重ねてきました。

「バターや濃縮乳」「お盆に載せられるほど乾かしたもの」……。様々に結論付けられたものの、弾力ある「生蘇」と乾かした「精蘇」に分けられること以外、いまだ統一的な見解はありません
1937年(昭和12年)、国宝に指定された金剛寺所蔵の延喜式の一部
1937年(昭和12年)、国宝に指定された金剛寺所蔵の延喜式の一部 出典: 朝日新聞

各地から朝廷に奉納、遅れると罰則も

各種史料から裏付けられるのは、この謎多き蘇が、朝廷への貢ぎ物だったという事実です。

かつては正月になると、天皇の家臣たちによる酒宴「二宮大饗(にぐうのだいきょう)」「大臣大饗(だいじんのだいきょう)」が開かれました。甘栗などとともに、蘇が振る舞われたといいます。これらの食品は、朝廷の使者が、「牧(まき)」と呼ばれる全国の生産場から運び出しました。

佐藤さんの研究によると、朝廷は奈良時代から平安時代、諸国に対し蘇の納付を義務化。3~6年に一度のペースで順番に徴集したのです。各地の牧では、正月に間に合い、かつ完成品が腐らないよう、例年11月頃には作業を終えていたとみられています。

一方で、質が粗悪だったり、納付期日を守れなかったりした場合、杖でたたかれるなどの罰則もあったそう。なぜ、それほど綿密な制度が整えられたのでしょうか? 佐藤さんは、次のように推測します。 

「蘇というのは、そもそも出来上がるまでに、時間も手間もかかるもの。庶民が触れる機会は、まずありませんでした。朝廷が貴重な食品を扱えたり、その納付を課せるだけの力を有する、と示したりするものにもなったのだろう、と思います」
奈良時代の都、平城京跡で行われる「天平たなばた祭り」の様子
奈良時代の都、平城京跡で行われる「天平たなばた祭り」の様子 出典: PIXTA

研究者「よく見つけたな、正直すごい」

為政者の力の象徴であった蘇ですが、平安時代以降、こつぜんと姿を消します。佐藤さんによると、原料である牛乳すら、人びとは忌避していたと言われているとか。しかし消失の理由について、いまだに定説はないのだそうです。

形状について、絵画に残っているわけでもなく、定義さえあいまい……。いわば「歴史の忘れ形見」が、予想外の復活を遂げたことに、佐藤さんは驚きを隠しません。

「蘇の研究はしましたが、実は私自身、作ったことがないんです。手間がかかると想像がつきましたし。だから、はやっていると聞いて『よく見つけたな、正直すごいな』と思いました(笑)」

「びっくりするとともに、SNSで発信されている自作品の写真をみると、様々な蘇があって勉強になります。これは生蘇かな、精蘇かなとも勝手に思っています」

その上で、今後の展望に関しては、こう語りました。

「乳製品ブームというのは、戦後に始まったことではありません。文字通り令和に蘇(よみがえ)った『蘇』をきっかけとして、古代以来の日本の食文化に、改めて触れて頂ければと考えています」

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