連載
#14 #カミサマに満ちたセカイ
「巨大仏」の知られざる歴史 型破りな造形、10年撮り続けた写真家
「デカい」だけじゃ語り切れない奥深さ
「撮れば撮るほど、『ジャンキー性』におぼれていったんです」。大仏写真家・半田カメラさんが、屈託なく笑います。山の斜面、ビルの屋上、平原のど真ん中……。時に不可解な場所で、個性的な姿をさらす仏像たち。全国の150体以上を訪ねる中で実感したという、その魅力とは? 知られざる「巨大仏ワールド」の豊かさに迫ります。(withnews編集部・神戸郁人)
「ぬっ」。眺めていると、そんな効果音が聞こえてきそうな写真。住宅街の合間から顔を出す、高さ約100メートルの「仙台大観音」(仙台市)を収めた一枚です。坂道を走る車を見下ろすという大胆な構図に、思わず息を飲みます。
「じーっ」。何やら視線を感じさせるのは、「安治川の仏頭」(大阪市)です。ビルの屋上に置かれた頭だけの仏像は、全長2メートルほど。建物に入っていた家具店が、宣伝用に設置したのだそう。まるで、大阪の街を見守っているようにも見えます。
「その姿が視界に飛び込むと、思考停止状態に陥るんですよね。目に入った情報が、脳に届くまで時間が掛かるというか。知識として持っていた『大きい』という概念を、毎回軽々と超えられてしまいます」
「変な話ですが、撮るたびに『ジャンキー』的になっていきました」
大仏と出会うたび感じるインパクトについて、半田さんはそう語ります。
元々、タレントのポートレートなどを撮影していた半田さん。「人混みを避けられ、かつ写真映えする観光地はないか」。橋などの構造物好きな夫と語らううち、「大仏巡り」に行き着いたそうです。
著書に登場する大仏の造形は、実に様々です。冒頭に挙げた二つの像を始め、ユニークな見た目が楽しいもの。満開の桜をまとうようにしてたたずむ「天竺渡来大釈迦石像」(奈良県高取町)など、自然と見事に調和するもの。一つとして、同じ情景は存在しません。
中には、ビビッドな体色を持つなど、多彩な外観の像も存在します。ネット上に画像が流通し、「色物」として扱われる場合もたびたびです。だからこそ、半田さんには撮影時に意識していることがあるといいます。
「大仏さまが、最も美しく見える瞬間を狙っています。写真を見た人に、『好き』と思ってもらえるような構図や季節を選ぶのも大事ですね。『面白い』という感想から一歩進み、それ以外の部分も知って欲しい。そんな気持ちで取り組んでいます」
半田さんによると、近代以降に造られた大仏は、個人によって建立されたものが少なくありません。お気に入りという、「岩松山源宗坊寺」(広島県呉市)敷地内にある、13体のコンクリート像が代表例です。
たとえば全長6メートルの不動明王像は、寺を開いた稲田源宗という僧侶が、1915年に完成させました。ギョロリとした目に、大きく平たい顔。プロの仏師ではない源宗の手になったためか、そのビジュアルはどこかひょうきんです。しかも、体が半分ほど石垣に埋まっています。
5年ほど前、現地を訪れ、寺の関係者に創作背景を尋ねた半田さん。いわく、不動明王像は元々、「釈迦牟尼(しゃかむに)仏」という別の仏像で覆われる構想だったのだとか。しかし、源宗が志半ばで亡くなったため、建設が中断してしまったといいます。
不動明王像の工期は、第一次世界大戦と重なります。当時、軍港として栄えていた呉の街。お腹の中に、険しい表情の不動明王を備えた釈迦牟尼仏は、瀬戸内海の方を向く予定でした。
もしかしたら、敵軍を退ける「守護神」としたかったのでは--。関係者は源宗の胸の内を、そう推し量ったそうです。
「たった一人で、極めて大それたものを造ろうとしていた。その熱量に『すごい!』と感動しました。どの大仏も、それぞれ違ったストーリーを持っている。だからこそ、追いかける価値があると思えますし、病みつきになっていくんです」
半田さんには、もう一体、思い出深い大仏があります。岡山県倉敷市の山頂に位置する、高さ約4メートルの「毘沙門天立像(りゅうぞう)」です。
屋外の山肌に彫り込まれ、「磨崖仏(まがいぶつ)」とも呼ばれる、この像。ガイドブックにも姿が見えますが、掲載に先立つ地権者への許可取りは、一筋縄ではいかなったといいます。
というのも、像が立つ場所が、二つの地区にまたがっていたから。管理者について市役所に確認したものの、反応は芳しくなかったそう。そこで昨夏、思いの丈を手紙につづり、山のふもとで暮らす男性宛てに送ったのです。
約半月後、半田さんのもとに、見知らぬアドレスからメールが届きます。差出人は、手紙を読んだという男性の息子でした。
「父はもう亡くなったが、新聞記者を像まで案内するなど、生前はPRに熱心だった」
「自分が幼い頃に遊んだ山でもあるので、ぜひ写真を載せて欲しい」
文面には、心のこもったメッセージとともに、管理に当たっている人物を紹介する旨も書かれていたそうです。
「一見珍奇に思える大仏にも、強い思いをもって建立に携わったり、受け継いだりしている方々がいます。その意味で、毘沙門天立像のエピソードは象徴的はないでしょうか。敬意をもって関係者に接しなければならない、という意識を強めた経験でした」
「大きいことは、いいことだ」。半田さんが掲げてきたモットーです。時に見上げるほどの巨体を持つ仏像は、眺めているだけで、何だか元気になれる。そんな「活力剤」のような効果も見逃せない、と半田さんは笑います。
地震などの天災が起こるたび、ネット上で「大仏を建立しよう」という声が上がります。コロナウイルスが猛威を振るう昨今も、そうした状況は変わりません。困ったとき、よりどころとして大仏を求める心情は、時代を超えて受け継がれているのではないでしょうか。
型破りで、少しファンキーな風合いもある仏像の数々。不安をぱっと晴らしてくれるような、その突き抜けた存在感への信頼は、ますます高まっていると思われてなりません。
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