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連載

#46 #となりの外国人

国旗似たバングラデシュの人 100倍の難関超え…宮崎になぜ殺到?

バングラデシュと宮崎、一体何のつながりがあるのでしょうか。バングラから人が殺到する背景を調べました。

IT企業で働くバングラデシュから来た技術者=2018年4月、宮崎市
IT企業で働くバングラデシュから来た技術者=2018年4月、宮崎市

目次

日本と国旗が似ていることで有名なバングラデシュ。そこから約4千キロメートル離れた宮崎県。一見すると何の関係もないように見えます。バングラでの勤務経験がある記者も、宮崎に来るまではつながりの存在など考えもしませんでした。それが、宮崎の関係者は「バングラで一番知名度が高いのは宮崎」と豪語するほどで、宮崎を中心とした日本での仕事には、バングラからの応募が100倍を超えることもあるといいます。両者と縁浅からぬ記者が背景を探りました。(朝日新聞宮崎総局・松本真弥)

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バングラってどんな国?

インドに周囲を囲まれるように国土を構えるバングラデシュは、1971年に西パキスタンから独立し、誕生しました。

日本の4割ほどの広さの国土に、日本の人口以上の1億6千万人が暮らします。その多くはイスラム教徒。戸籍制度が整っていなかった時代があったため、実際の人口は公称よりも多いといわれています。緑地に赤い丸の国旗は、日章旗とデザインが似ていることで記憶している人もいるかもしれません。

ジェトロ(日本貿易振興機構)によると、近年の実質GDP成長率は7%(2019年の日本の成長率は0.7%)を超えます。安い人件費を背景に海外の縫製工場が進出。人口の増加による旺盛な民間消費も後押しし、安定した経済成長を遂げています。2018年時点で、日本からも衣料・製薬・建設業など300社近い企業が事務所や工場を構え、邦人約850人が暮らしています。

かくいう私も前職のメーカーで2年ほど、首都のダッカに駐在しました。

印象的だったのは、周りの言語能力の高さ。オフィスで机を並べた同僚たちは、公用語のベンガル語以外にも軒並み英語が堪能でした。大学で工学やビジネスなどを専攻する人の講義がほとんど英語で行われることもあり、学卒者はビジネスレベルの英語を使いこなします。日本語でいうところの「あいうえお」を覚える段階で早々にベンガル語を諦め、覚えたのは「冷たい水」と「家に帰る」という2フレーズだけという悲惨な状況で渡航した私でも業務をこなせたのは、彼らの英語力のおかげにほかなりません。言語に加えて、日系企業の人々の間では「気質は日本人に似て勤勉でまじめ」と高く評価されていました。

前職から転職し、記者として3年前に宮崎市に赴任。思いがけないバングラデシュの人々との「再会」や、関係者たちの話をきっかけに取材を始めました。

日本の国旗に似ている?(写真はイメージ)
日本の国旗に似ている?(写真はイメージ) 出典: PIXTA

最高倍率は130倍

まず話を聞いたのは、24歳のナフィズ・マフムドさん。今年、宮崎市の紹介で知り合いました。来日4カ月とは思えない流暢な日本語で取材に応じてくれました。

マフムドさんが勤務するのは、市内にオフィスを構えるIT企業「サザンクロスシステムズ」(本社・東京)。インターンを経て、2020年1月1日に正式に雇用契約を結び、病院向けの健康診断で使われるシステムの開発にエンジニアとして携わっています。

会社からイスラム教の礼拝用マットを贈られるなど温かい待遇を受け、「将来は今の会社のバングラデシュ支店を開いて、そこのトップにつくのが目標です」と、入社間もないですが、愛社精神たっぷりに話します。

オフィスで勤務するマフムドさん(画像を一部加工しています)=2020年1月、宮崎市
オフィスで勤務するマフムドさん(画像を一部加工しています)=2020年1月、宮崎市

マフムドさんは、宮崎市と宮崎大学、そしてJICA(国際協力機構)が連携する「宮崎―バングラデシュモデル」という制度を使って来日しました。

この制度では、まず現地で3カ月間、JICAが若いIT技術者たちに日本語や名刺の渡し方などの日本式ビジネスマナーを指導します。期間中には、日系のIT企業の採用担当者たちが現地を訪問し、面接を実施。採用が決まれば、来日するという流れです。

宮崎―バングラデシュモデルの特徴は、来日後にあります。宮崎大学でさらに3カ月間、日本語教育を受けます。留学期間はキャンパス内の寮で生活。イスラム圏からの留学生を多く受け入れる宮崎大のキャンパスには、イスラム文化の研究やムスリム(イスラム教徒)の礼拝スペースを備えた「イスラーム文化研究交流棟」が設置されたり、アルコールや豚肉を含まないイスラムの戒律に沿ったハラル料理を振る舞うイベントが開催されたりしています。

「イスラーム文化研究交流棟」の除幕式=2014年6月
「イスラーム文化研究交流棟」の除幕式=2014年6月 出典: 朝日新聞

技術者たちは、午前中の授業を終えたら、午後の半日はインターンとして内定先で勤務。少しずつ日本での生活や仕事になじんでいける制度になっています。また、市が企業に対して採用過程でかかった費用の一部を補助する仕組みもあります。

JICAの指導後、技術者たちは宮崎以外の東京や北海道など他の都市でも採用されます。全体の募集枠20~40人に対し応募は2千~4千人で、倍率は80~130倍と高止まり。熾烈な競争を勝ち抜いた優秀な人材がそろう中で、受け入れ人数は、企業が集中する東京に次いで地方都市の宮崎が多いそうです。

他の都市では、このモデルとは違い、来日後すぐにオフィスでの勤務が始まる場合がほとんど。手厚いサポートを受けられる制度に、人気が集まっているようです。

この取り組みは、2017年にスタート。これまでに38人が来日し、市内では現在25人が働いています。全国的に注目され、外国の人材を登用する先進事例として、県外の自治体や大学が視察に訪れているそうです。

「都会より、バングラに似た宮崎へ」

マフムドさんが宮崎市への移住を決めたのは、大学の先輩から勧められたことがきっかけ。

先にこの制度を使い、宮崎に移った先輩が「勤務時間が長くストレスフルな都会より、自然に囲まれバングラに似ていて、人が優しい宮崎の方が慣れるのが簡単」と教えてくれたことで、宮崎行きを強く意識するようになりました。

実際、マフムドさんは、市内で最終バスに乗りそびれた際、帰り方を尋ねた初対面の女性が車で自宅まで送り届けてくれたことがあり、「聞いていた通り」と宮崎をより気に入ったそうです。

休日には宮崎市内の青島や、高千穂町の高千穂峡などの観光地に出かけ、SNSに写真を投稿。地元の友人から「うらやましい」「ナイス」などのコメントが寄せられ、インフルエンサーとして宮崎の名を広めています。

青島で「自撮り」するマフムドさん(左)たち=2020年1月、宮崎市
青島で「自撮り」するマフムドさん(左)たち=2020年1月、宮崎市

マフムドさんの会社で採用を担当する常務取締役・崎村司さん(60)は、市の誘いでバングラデシュに行ったものの、当初は採用にけっして前向きではなかったといいます。

しかし、技術や言語能力の高さ、そして彼らの「宮崎にいきたい」という思いにひかれ、マフムドさんを含めた4人を一度に採用しました。

結果として、宮崎事業所の従業員約20人のうちバングラデシュ人が25%を占め、さらに4月に来日する1人の内定を決めています。「国内で即戦力の人材を探すのは難しい中で、彼らの能力は確か。発言も積極的で、周りの社員の刺激にもなっている」と評価しています。

宮崎とバングラの歴史

距離を縮める宮崎とバングラデシュですが、両者の関係は四半世紀前から始まっています。

宮崎市のNPO「アジア砒素ネットワーク(AAN)」はバングラデシュで1996年から、ヒ素汚染の対策や被害者への支援に取り組んできました。

現地では、地下水から基準を超すヒ素が検出されています。ヒ素の汚染水を飲み続けると、ぜんそくや皮膚がんなど慢性ヒ素中毒を発症する可能性があります。AANによると、今も約1900万人が汚染水を飲み続けており、患者数は6万人ほどといわれています。

AANの援助でつくられた地下水の浄化施設から水をくむ少女=2013年、バングラデシュ
AANの援助でつくられた地下水の浄化施設から水をくむ少女=2013年、バングラデシュ 出典: 朝日新聞

AANは、汚染されていない井戸やヒ素の浄化設備といった代替水源をこれまでに約200カ所で整備しましたが、設備が維持されず、壊れてしまうケースが相次いだため、水源を管理する「水監視員」として地元での人材の育成にも力を入れました。

AANが宮崎に本部を置くのには、県内で過去に発生した公害が関係しています。

高千穂町土呂久(とろく)地区ではかつて、採掘された鉱石を窯で焼いて亜ヒ酸(ヒ素)を精製していましたが、がんや呼吸器の疾患に陥る住民たちが急増しました。被害者たちは最終鉱業権者を提訴し、1990年に和解しました。このころアジアでは、土呂久公害と似た症状の患者が各地で確認されていました。

AAN理事の矢野靖典さん(44)によると、「宮崎で得た知見を生かして何か出来ないか」と、土呂久の被害者を支援する団体が母体となりAANを結成。特に、患者の症状が重く、対策がとられていなかったバングラデシュでの活動を始めました。

現在の土呂久地区。公害の歴史を伝える看板が2019年に立てられるなど、風化を防ぐための取り組みがすすむ=2020年1月
現在の土呂久地区。公害の歴史を伝える看板が2019年に立てられるなど、風化を防ぐための取り組みがすすむ=2020年1月

汚染支援で生まれた土壌

ヒ素汚染患者の支援と技術者の確保。無関係に思えますが、バングラデシュでの支援で生まれた土壌が、宮崎でIT人材を受け入れる態勢づくりに貢献しています。

その1人が、宮崎大国際連携センター准教授の伊藤健一さん(42)。宮崎大の担当者として、宮崎―バングラデシュモデルの立ち上げから参加。日本語指導のカリキュラムの作成や、技術者の受け入れ環境を整備しています。

宮崎大学の伊藤健一さん=2020年1月、宮崎市
宮崎大学の伊藤健一さん=2020年1月、宮崎市

伊藤さんは大学卒業後、ベンチャー企業などでヒ素除去の技術開発に取り組んでいました。

開発を進めるなかで出会ったのが、バングラデシュで支援に当たっていた、現在のAAN代表の横田漠さん(77)。横田さんの案内で、汚染の現場を視察しにバングラデシュに渡航するなど研究を重ねました。

当時、宮崎大の教授だった横田さんの勧めで、2009年に宮崎大で教職に就き、2013年からは宮崎大国際連携センターに籍を移し、日本語教育を担当するようになりました。

そこで任されたのが、このモデルの宮崎大側の担当者。「バングラデシュの環境を良くしようとしたことがはじまりで宮崎に来て、今は、宮崎の産業環境を良くしようという動きにも携われている。縁を感じるし、うれしく思います」

伊藤さんと一緒に働くバングラデシュ人のシナ・サルザールさん(26)は、AANの現地事務所との関わりから来日。現在は宮崎大の非常勤職員として勤務し、移り住むバングラデシュの技術者たちをサポートしています。

国際協力のあり方

バングラデシュの人口は40代以下に偏り、15~24歳の失業率は10%を超えています。

国の政策で優秀な技術者たちが育つ一方、就職の受け皿がない状況です。かたや、宮崎市はIT企業を積極的に誘致するものの、県内では、高卒・大卒者の人口流出がそもそもの課題。IT人材を雇うのに苦労しているという声が、地元の企業から上がっていました。

こういった互いの不足を補い合うことで、WIN-WINの関係を築いています。

伊藤さんは国際協力の観点から、両者の関係をこう読み解きます。開発途上国中心の取り組みにとどまっていた「ミレニアム開発目標(MDGs)」から、先進国を含めた全体最適をめざす「持続可能な開発目標(SDGs)」へと国連の目標が変わり、「近年の国際協力のあり方は、かつての先進国から途上国へという一方通行の支援ではなく、先進国と途上国の双方向で支援しあう形を目指すようになりました」。ヒ素汚染支援を出発点に始まった両者の関係は、IT技術者の供給と受け入れという、双方の助け合いにたどりつきました。

私は駐在時、バングラデシュの人たちにずいぶんお世話になりました。

自転車で客車を引っ張る乗り物「リキシャ」のドライバーに高額の運賃を請求され困っていた時には、近くにいた見ず知らずの人たちがぞろぞろと集まり、みんなでドライバーを諭してくれました。仕事で気がめいっていた際は、同僚が親族の結婚式に連れて行ってくれるという、現地流のやり方で励ましてくれたこともありました。

あの時の恩に報いるためにも、宮崎とバングラデシュの支え合いの輪に私も加わり、できる限りの手助けをしたいと思います。

バングラデシュの総選挙で、与党候補のポスターが掲げられたダッカの中心部=2018年12月
バングラデシュの総選挙で、与党候補のポスターが掲げられたダッカの中心部=2018年12月 出典: 朝日新聞

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