連載
#10 #カミサマに満ちたセカイ
住宅街に建つ「預言カフェ」 連日満席の理由、いったいどんな人が?
一瞬たじろぐ店名のカフェ、その実態は?
東京の住宅街に、ひっそりと立つカフェ。一見普通のお店ながら、意外な取り組みで話題を集めています。それは、キリスト教の「預言」を受けられること。何でも、「神様からの応援メッセージ」のようなものなのだそうです。耳慣れない言葉に、たじろぐ人も多いのかと思いきや、常に満席状態といいます。お客さんたちは何を求めているのか? 取材を通じて見えてきたのは、「人生のままならなさ」と向き合うヒントでした。(withnews編集部・神戸郁人)
私(筆者)が店の存在を知ったのは、昨年末のこと。東京・高田馬場で取材中だった同僚の記者から、こんなメッセージが届いたのです。
「『預言カフェ』って知ってる?」
予言じゃなくて、預言? 占いとは違うの? というか、そこ本当にカフェなの……? 事情を飲み込めないでいるうちに、続けざまに写真が送られてきました。
“Arise Tokyo Christ Church” と書かれた建物の入り口付近には、長蛇の列が。ドアの外まで続いています。写り込んでいる看板に目を移すと、なるほど、確かに”CAFE”という文字が見て取れました。
お客さんの多くはキリスト教徒ではないそう。一方、「神からのメッセージ、ギフト」として「預言」をもらうことができる、とも書かれているのが気になりました。
カフェには違いないものの、何やら不思議な雰囲気……。信者ではないけれど、これは一度、実際に行ってみるしかない。そう決意した私は、同僚とともに訪問することにしました。
今年1月中旬。本店に着いたのは、開店時刻の14時過ぎ。既にほとんどの座席が埋まっていました。大学生風の女性グループから、年配の夫婦まで、顔ぶれは様々です。
紅白色を基調としたガラス張りの店内に並ぶのは、ピアノやドラムセット。アメリカンロックが鳴り響き、店内の雰囲気からは、教会関連の店であるといわれなければわかりません。部屋いっぱいに立ちこめるコーヒーの香りが、気持ちを落ち着けてくれます。
と、そのとき。隣のテーブルに、赤いシャツ姿のスタッフがやってきました。手にしたレコーダーに向かって、何かささやいています。お客さんは頭(こうべ)を垂れ、真剣に聴き入っているようです。約3分後、スタッフは一礼してカウンターへと戻っていきました。
「びっくりしましたか? あれが預言なんですよ」
取材に応じてくれた吉田万代(かずよ)店長(55)が、にこりと笑います。思わず、顔を見合わせる私と同僚。周囲を見回すと、そこかしこで同じことが行われているのに気付きました。
自身も牧師である吉田さん。いわく、預言とは「神様からの印象を形にしたもの」で、個人の発言ではないのだとか。無料で受けられ、録音データは持ち帰ることが可能です。かといって、教会への勧誘が目的ではなく、伝えることに意味があるといいます。
「キリスト教では、神が一人一人に対して、計画を持っているとされています。それぞれがよい状況に置かれ、自分らしく生きられるように。その意思が、人の言葉を通して語られたものが預言である、と言えるでしょう」
扱うのは、聖書につづられた文句の引用ではありません。その都度違った内容が、店のスタッフたちによって語り出されます。共通しているのは、聞く人に寄り添い、背中を押すものである点です。
「実際にやってみますね」。吉田さんは同僚の方を向き、静かにうつむきます。一呼吸置いて、一気に言葉を紡ぎ始めました。
「主は言われます。わが愛する娘よ……」
自らを弱い存在と捉え、やりたいことを控えるのではなく、リスクを取り挑戦していって欲しい。そう励ます趣旨です。
同僚に感想を聞いてみると「自分自身を尊重する姿勢を、もっと持ちたいと考えていたところ。頭の中を見透かされているのかと思った」。事前の詳しい自己紹介などなかっただけに、驚いた様子でした。
ちなみに預言ができるのは、専門の訓練セミナーを受けた人のみ。プロテスタント教会で洗礼を受け、牧師の承認を得ることが参加条件です。語句の選び方などを学ぶもので、現在は吉田さん自身が月1回、キリスト教徒向けに開講しています。
吉田さんが店をオープンしたのは2007年5月。それまで勤めていた教会の移転がきっかけで、新しい場所に教会兼店舗を構えることにしました。
過去にも、沖縄などで信者ではない人たちに預言し、手応えを得ていた吉田さん。「教会を閉ざされた空間ではなく、人々が出会うための拠点にしたい」。そんな思いから、カフェという形態をとったそうです。
評判は口コミで広がり、営業初日に3人だけだったお客さんは、3カ月ほど経つと一日70人を超えるほどに。リピーターもつきました。やがて吉田さんは、預言の意義を一層強く実感するようになったといいます。
「赤ちゃんの頃って『すごい、すごい』と褒めてもらえるじゃないですか。でも大人になったら、そうやって励まされる機会は、ぐっと減ってしまう。預言がその代わりになっているのかもしれません。根本にあるのは、慰めと癒やしですから」
とはいえ、ときには語った内容が「外れていた」と指摘されることも。しかし「むしろ『間違っても、失敗してもいい』ということを伝えられたとも言える」と吉田さんは笑います。
それに、その場で伝えた言葉が、後に相手の人生を動かすことだってあるかもしれない。文字通り、「神様の祝福」を信じて取り組んでいるのだ、と教えてくれました。
こうした営みについて、お客さんはどう考えているのでしょうか? この日が3度目の訪問という、山城美紀さん(48)に話を聞きました。
店との出会いは、約4年前にまでさかのぼります。20年以上続けてきた、介護の仕事を離れるべきか迷っていたとき、たまたま友人に紹介されたそうです。
「自分の考えを超える意見に導いてほしい。そんな強い思いがありました」
耳にした預言は「ずっと子どもと触れ合える仕事が向いている」。当時はしっくりきませんでしたが、翌年、夫婦で発達障害児向けの療育施設を開いたといいます。
以来、節目に店へと赴くように。今回は、これまでの歩みを振り返りたくて来店したとのこと。スタッフからは「物事を管理する力がある。頑張って下さい」とのメッセージを受け取りました。
学生時代、アメリカに留学し、教会に通った時期もある山城さん。聖書と異なり、個人に対し語りかけるスタイルに、安心感を覚えてきたと話します。
「いい意味で、『あなたの力はとても小さい』と言ってもらえている気がするんです。人生がどうにもならないときは、より大きな流れに身を委ねても構わない。無理せず、そのままの自分で生きれば道は開けてくる、と。私にとって、この店はとても清い場所ですね」
山城さんの、生気あふれる語りに触発された私。預言を受けてみたくなり、改めて吉田さんお願いすることにしました。
「親切で丁寧。しかしそのことが、あなたの足を止めることがないように」
「細かいところにこだわると、仕上げには時間がかかる。物事を大きく捉えれば、楽しみながらできることは、もっと多くあるでしょう」
4分足らずの時間の中に詰め込まれた言葉たち。私は思わずうなってしまいました。少し前、上司から告げられた仕事上の助言の内容と、重なる部分があったのです。もちろん、自分の身の上について、吉田さんには明かしていません。
もしかしたら、私自身が都合よく解釈しているだけなのかもしれない。しかし、自分と無関係であるとは思えない表現に触れたとき、心に息が吹き込まれるような感触を得ました。
「神様」が実在するかどうか、預言がどう成り立っているか。そういったテーマより、「人を生かすための言葉を授けてくれる」という事実に、私は惹(ひ)かれたのです。そしてお客さんの多くが、同じ気持ちを共有しているのだろうな、とも思いました。
「預言とはアドバイスでも命令でもない」。吉田さんは強調します。受け取り方や、活用方法が自由であること。きっと、その軽やかさこそ、日々を豊かにするものなのでしょう。
人生のままならなさに打ち負かされたとき、ふらりと訪れたい。そんな場所が、一つ増えました。
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