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「純ジャパ」イベントがあぶりだした、私の中の「潜在的な分断」
炎上を「傍観」していて気づかされました
ツイッターで「純ジャパ」をめぐるイベントについて論争が起きています。何が問題なのか、論争の渦中にいる学生や社会学者と話しながら、自分が意識していなかった「マジョリティー」としての無関心と、おかしがちな過ちに気づかされました。
発端は東京外国語大学の伊勢崎ゼミが企画したイベント名でした。「あなたは⽇本⼈何パーセント? Letʼs 『混ジャパ』Project 堀潤さんと一緒に2030年の日本人を考える」
私は最初、この告知文がツイッターで回ってきたとき、「すごい名前のイベント」と感じながらも、スクロールして読み飛ばしていました。
しかし、このイベント名と告知文は、ツイッター上で「単一民族的発想」「差別的」との指摘が続々と上がる「炎上」をし、後に修正されることになりました。
問題が大きくなったことで、改めて修正前の告知文を読みました。
以下のような内容でした。
「単⼀⺠族国家という⽇本国家像は神話になりつつあると言えるでしょう。あるいは、そんなもの初めからなかったのかもしれません。今、改めて考えてみたい。『⽇本⼈とはそもそも誰なのだろうか?私たちを⽇本⼈たらしめるものは国籍?⾎統?⽂化?それとも……?? 伊勢崎ゼミでは、我々はこの問いから浮き彫りになる『純ジャパ』になれない『⽇本⼈』、『混ジャパ』の存在に注⽬。そこから⾒えてくる2020年現在の⽇本⼈論と2030年の⽇本⼈論を、世界各国の事例を基にした⽐較研究を通じて、分析・提言します」
差別的だと批判されたイベントでしたが、私は「単一民族的思想」をむしろ否定したい趣旨なのだと受け取りました。
一方で、多くの人がひっかかっていたのは、「『純ジャパ』になれない『日本人』、『混ジャパ』の存在に注目」という表現でした。
「ハーフ」など、海外にルーツのある人の研究をしている、社会学者のケイン樹里安さんは、「(日本は)2千年の長きにわたって一つの民族が続いている」などとした麻生太郎副総理兼財務相発言と合わせて論じました。
ケインさんは「わたしたちが問うべきは、麻生財務大臣や大学のゼミ発のイベントだけではない。それらは、氷山の一角にすぎない」とも述べています。
Twitterでの論争を「傍観」しながら、外国にルーツがある子どもの取材もしてきた私は、なぜそこまで問題視されたことに自分が素通りできてしまったのか、自分の感覚にショックを受けました。
改めて何が問題だったのか、ケインさんに話を聞きました。
ケインさんは「学生とは対立関係にないとは、最初から思っています。『単一民族神話はだめだ』と言っていることが、好意的に解釈すれば分かります」と話しました。
ーーそれでも、炎上したのはなぜでしょうか
ケインさん「差別する側の言葉を使ってしまったからです。それを不特定多数が見ることができるSNSで使えば、見ず知らずの人が傷つく『二次加害』になってしまう」
ケインさん「『あなたは日本人何パーセント』という言葉は、海外にルーツのある子どもたちがずっと問われてきたことでした。どれぐらい日本語が話せるの? おまえは何者なの? と。告知に使われた指をさして笑う写真をとっても、そういう状況を思い出させるもので、嫌悪感を抱く人が多かった」
そもそも、イベントの中で使われていた「純ジャパ」は、私にも聞き覚えがありました。そればかりか、私は顔の特徴で「ハーフ?」と聞かれたとき、「純ジャパだよ」と答えたこともあったかに思います。
しかし、この言葉が使われ始めた当初は「血統」を意味するものではなかったそうです。最初に使いだしたのは、帰国子女や留学生が多い大学などで、海外経験がない人が自嘲的に自分を「純ジャパ」と名乗ったとも言われています。
それがいつの間にか、「ハーフ」以外というような、ルーツを指す意味で使われるようになってきたそうです。
今回は「混ジャパ」という言葉も、「混血児」など「血」を連想させるトリガーになりました。
ケインさんは「『純ジャパ』は、その根底に『純粋でないもの』の存在があることを意識させる言葉です。ゼミ生は『単一民族神話』を批判したいはずなのに、カジュアルにその思想に巻き込まれてしまった。学生を指導する立場の大学でもそれをスルーしてしまった。言葉が世に出れば、結果として『単一民族神話』の消費期限を延ばす恐れがあります」と指摘します。
「単一民族思想」というと、北海道にはアイヌ民族が暮らし、大陸やほかの国からの人や技術、制度を取り入れてきた日本の歴史から、「そんな思想は幻想」と、一線を引くことができました。
一方で、「純ジャパ」を「カジュアル」に使っていた私自身を振り返ると、「純粋でないもの」を深層心理で意識していたのでしょうか。
ケインさんは、ラグビー日本代表の多様性を「新しい日本人像」と表現したメディアを引き合いにこう語ります。
「これは単一民族という意識が染みついている社会で出てきた、一つの現象なんです。気を付けないと、ぼくもあなたも、うっかりやっちゃうことがある」
学生たちはどんな思いだったのか。東京外国語大学に取材を申し込むと、ゼミの指導教員である伊勢崎賢治教授から「ゼミ生と直に話してみませんか」と返信がきました。
このゼミは「紛争予防」「平和構築」を掲げ、今回は外国にルーツを持つ人が日本社会で直面している問題を研究発表のテーマに取り上げたそうです。
炎上について中心となったゼミ生たちに話を聞くと、「『ネオナチ』なんて指摘もきました。自分たちの意図と全く逆の意味にとる人もいて、不本意過ぎて焦りました」と話します。
ゼミ生たちの中には「自分も『ハーフ』」という人がいました。
イギリスにルーツがある女性は、これまでの経験を話しました。「私は生まれ育ちも日本だし、日本人が好きだし、皇室も大好きなんです。でもアルバイトの面接に行くと、容姿で『日本語話せる?』と聞かれます。自分がいくら日本人だと思っていても、周りからは日本人には見られない」
中国にルーツがある女性は、移民が多い国での留学経験から、ルーツで「日本人かどうか」をくくる日本に違和感を覚えていました。「日本人的でない」といじめられ、「控え目にしろ」という同調圧力の息苦しさを感じていました。
経験してきた生きづらさが、「純ジャパ」という言葉への反発に変わりました。
この女性は「私たちを『排除する言葉』だと思いました。今の日本は『純』の価値が上がっている、まるで白人至上主義のようじゃないですか」と話しました。
混ジャパは、自分たちの造語だと言います。ゼミ生の一人は「あなたは日本人ではない、という社会に、『こういう人たちもいる』と、その存在を浮かび上がらせたかった」と話します。
学生たちと話す中で、帰国子女や留学生、「ハーフ」の比率が多い学内と、学外の社会との温度差を感じました。
「混血の意味があることは、指摘されて気づきました。そういう見方もあるのか、と。そしてやっぱり『血』の話になるのかと、ショックでした。私たちは『文化』なども含めて『混ざる』ことを考えていた」
「『混』は私たちにとっては、全然ポジティブな意味です。人を構成する要素は、文化や言語などさまざまで、血は一つの要素でしかない。日本社会だって、いろいろな文化が混ざってできている。好きな歌を考えたって、本当はみんな『混ジャパ』なんじゃないんですか?」
ゼミ生は、その後インターネット上で無記名のアンケートを公表しました。
「大坂なおみ選手のような見た目は外国人風の人を日本人と捉えますか?」を「はい」「いいえ」の二択で聞くなどの内容で、差別的な表現があるとして、さらに批判を招きました。現在、アンケートは終了しています。
ゼミの責任者である伊勢崎教授は「潜在的な分断の実態をあぶりだすための調査だった。今後、さらに『マイノリティー』が増えてくるなかで、現実に切り込むためには議論を起こさなければいけない。分断を見せれば傷つく人もいる。でも、ヘイトを罰する法も満足に整備されていない日本で、このまま放置すれば、どんな状況になるか、世界中に最悪の前例があります」と話します。
イベントを企画したゼミ生も、イベントを批判した人たちも、社会を脅やかす分断に危機管理を抱いている点では同じ立場のはずです。
いわば、「当事者同士」にあたる両者が、なぜ衝突してしまうのかと悲観しかけた時、ケインさんの言葉を思い出しはっとしました。
「当事者」の話だと線を引いた私は、その瞬間、「マジョリティー」に身を置いてしまったのだと気付かされました。
本当に関係がなかったかと問われれば、私もためらいもなく「純ジャパ」を使っていた一人です。「差別の意図はない」と言ったところで、その言葉を社会に放ち、誰かにしんどい思いをさせていたかもしれません。回りまわって、私の言葉が別の差別を生んでいたかもしれないのです。
お笑い芸人の人種差別的なネタに「それは、ひどい」と言うことは簡単です。でも、そのネタが公的な場に出るまでスルーされる社会を作っていたのは誰だったのか。
今回の出来事には、伊勢崎教授の言う「潜在的な分断」に目を向ける上で、少なからず意味があったと考えます。
そして、当然、「マイノリティー」になるのは外国にルーツのある人だけではありません。自分が「マイノリティー」なる可能性はどんな人にでもあります。誰かの言葉で傷つき、生きづらいと感じたときに、「気にしすぎ」と社会にスルーされたら……。
「純ジャパ」「混ジャパ」という言葉には、誰かを傷つけるかもしれない凶暴さがあるのは事実です。同時に、だからこそ普段は見えない「潜在的な分断」をあぶり出す起爆剤になったのかもしれない、とも思います。それだけに、その後に出たアンケートに「差別的な表現」という批判を受けざるを得ない言葉が使われていたことは残念でなりません。
withnewsでは、身近に暮らす外国人の姿を伝えようと2018年から「#となりの外国人」シリーズを続けています。これまでに45本の発信してきて思うのは、日本が外国人の存在なしには成り立たないという事実です。
彼ら彼女らとともに生きながら、「潜在的な分断」に向き合い、無くしていくにはどうすればいいのか。考えて続けていきたいと思います。
※2月9日午後6時更新
アンケートについて追記しました。
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