地元
「君の名は。」の聖地が「子孫繁栄」の石棒アピール 出向職員の熱意
岐阜県の山あいの集落、映画「君の名は。」のモデルになった街が、縄文時代の人々が「子孫繁栄」などの祈りにつかっていたとされる石器「石棒」でまちおこしをはじめています。遺跡などを巡るツアーに参加してみると、そこには、石棒の奥深さとそれに魅せられた人々の熱いパッションがありました。
2019年11月、岐阜県飛驒市であったツアーには県内外から男女約10人が参加しました。
飛驒市は映画「君の名は。」のモデルになった街で、映画公開以降、国内外から多くのファンたちが訪れる聖地巡礼スポットになっています。ツアーのあった宮川町は中心市街地から車で約1時間。富山県境の山あいにあります。
そもそも石棒とは、石をたたいて棒状にしたもので、男性器を模した主に縄文時代の石器のことです。中には、かなりリアルなものもあります。全国で出土し、数十センチほどのものから1メートルを超える巨大なものまであります。
子孫繁栄などを願い、祭祀に使われたと考えられていますが、まだ解明されていない謎の部分も多いそうです。
実は飛驒市宮川町には全国屈指の約1千本の石棒が出土した遺跡があり、石棒研究の世界では「聖地」として知られているのです。
小雨が降る中、ツアーの参加者はまず石棒の材料を探しに山に入りました。
クマの出没情報もあるため、クマよけの鈴やサイレンを鳴らし、慎重に山道を進みます。
ツアーのガイドを務める市教育委員会の学芸員、三好清超さん(42)が足を止めます。
「ここに石棒の元となる石が落ちています」と参加者に呼びかけました。
角張った石が周囲にごろごろしています。
「これが石棒になる『塩屋石(しおやいし)』です。正式名称を黒雲母流紋岩質溶結凝灰岩(くろうんもりゅうもんがんしつようけつぎょうかいがん)といいます」
「この石は縦に割れやすい性質があります。『柱状節理(ちゅうじょうせつり)』といいます。ぜひ覚えて帰ってください」
三好さんの口から次々出てくる専門用語に、なんだか全国の地質の名所を巡る「ブラタモリ」を見ている気分です。
「おーーー」と参加者から声が上がります。どうやら、基礎知識のようです。
雨に濡れるのも気にせず、しゃがみ込み、石を観察したり、写真を撮ったり、地質ファンたちに囲まれたせいで、記者も石を食い入るように観察してしまいました。
「ここはパラダイスやな」
若い男性がふとつぶやきました。
次に参加者が訪れたのは、山を下りたところにある塩竃金清(しおがまきんせい)神社です。
実は、この神社の近くから縄文後期の石棒約1千本が出土しました。石棒と縁の深い神社で、ご神体は石棒だそうです。
ご神体はめったに見ることができない秘仏ということで、代わりに社の中には「なで仏」が鎮座していました。写真撮影は認められませんでしたが、木製と思われ、高さ30センチほどありました。
多くの人が触ったせいか、表面はつるつるに。子宝や安産などの御利益があるとのことですが、ここは参加者全員でツアーの安全を祈願し、いざ、ツアーの核心「飛驒みやがわ考古民俗館」に向かいます。
一行は「飛驒みやがわ考古民俗館」で収蔵品が収められている倉庫でのバックヤードツアーに突入です。
考古館の中には、農機具などの民具が並ぶゾーンの奥に、石棒などの石器が所狭しと並ぶゾーンが広がります。
その中心に度肝を抜かれる展示がありました。
2本の石棒を入れたアクリルケースが回っています。
ゆっくりゆっくり石棒が回っていきます。
「この展示を考えた人は、石棒の全貌を見てほしかったでしょうね。強い意志を感じます」と三好さん。
ただ、残念なことに立派で石棒愛にあふれた展示がありながら、考古館はいつも開館しているわけではありません。
市街地から離れていることや公共施設管理のあり方の議論もあり、常時開館は難しく、電話もつながっていません。
そもそも飛驒市が石棒でまちおこしを始めたのは2019年3月のことでした。
2008年に大がかりな発掘調査があり、貴重な石棒が出土しました。文化財としての価値はある。でも、石棒そのものはマイナーで、「紹介するにも少し恥ずかしい」存在。地元の美術館で展覧会を開いたり、市民向けのワークショップをしたりしましたが、市外にPRするような取り組みはありませんでした。
そんな石棒に光明を見いだしたのは、飛驒市役所にIT大手楽天から出向している舩坂香菜子さん(32)でした。
舩坂さんは2年前から市役所でふるさと納税を中心に担当しています。人口減少で悩む飛驒市の魅力を市外に発信して、ファンをつくろうと考えていたところ、知ったのが石棒でした。
「最初は下ネタという感じはしましたが、一点に尖っていることがすごく魅力に感じました」と舩坂さんは話します。
「石棒はその使われ方や意味などは謎の部分が多い。だから楽しみ方は自由で人それぞれでいいと思います。楽しみ方でけんかしないからこそ、発信する意義があると思いました」
舩坂さんは周囲に石棒の魅力を伝え、ツアーでガイド役を務める三好さんにまちおこしに活用しようと提案しました。
背中を押された三好さんですが、一抹の不安がよぎります。「石棒でまちおこし……ネット上でたたかれたら、どうしよう」。
その躊躇、分かる気がします。
それでも、都竹淳也市長が「文化財として価値があるのだから」と後押ししてくれたことで、踏ん切りがついたそうです。
三好さんは有志を募り、6人で石棒を市外にPRする「石棒クラブ」をつくりました。地元金融機関の職員や建築士らがメンバーです。
市が収蔵する石棒の写真をインスタグラムやファイスブックに投稿したり、イベントを企画したり。2019年8月には、東京で石棒など縄文時代をテーマにした映画鑑賞イベントを開催しました。
「だれも来なかったら、どうしよう」
そんな想像を覆す46人の男女が集まったそうです。
映画鑑賞後にはトークセッションもあり、三好さんも石棒の魅力について話しました。
参加者のアンケートでも8割が満足したと回答したこともあり、「今後も続けていこうという自信になりました」と三好さんは話します。
実は三好さんは、地元飛驒市の方ではありません。大阪市出身で、大学では文化財の保存方法を学び、学芸員の募集のあった旧神岡町(その後、合併して飛驒市)に就職しました。
縁もゆかりのない土地だったそうですが、いまでは石棒にはまり、飛驒市の魅力を発信しようとしています。
一見するとびっくりするかもしれない石棒によるまちおこしですが、実物を眺め、その意味を知ると、石棒の奥深さとともに、三好さんはじめ地元の人たちが飛驒市の魅力をなんとかして伝えたいという意気込みが伝わってきます。
ツアーの参加者には「石棒研究員認定証」がもらえます。記者も研究員番号103番をもらい、「石棒」との距離がさらに近づきました。
「石棒」を使った飛驒市の取り組み。人口減少に悩む地方にとって、もともとある資産を活用するアイデアには可能性を感じます。
関心のある方は、飛驒市文化振興課(0577-73-7496)まで。
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