感動
甘えない男の子に渡せなかったぬいぐるみ 27年後にかけた言葉
宮崎県の森の中にある児童養護施設。浩之君は、そこで過ごした1年3カ月が、人生の中でもっとも楽しい日々でした。施設には、「甘えない」男の子をずっと気にかける保育士がいました。ぬいぐるみを用意した小学校卒業の日、浩之君は現れませんでした。それから24年、36歳になった彼は、すべてを捨てて家を出ました。目指したのは、あの児童養護施設でした。
27年間、それは買った時の包み紙に入れたまま、押し入れに眠っていました。枕くらいの大きさの、ぶたのぬいぐるみ。宮崎県高鍋町の藤元(旧姓加藤)久美さん(66)は、どうしても捨てられませんでした。
藤元さんは、結婚前まで同県西都市の森の中にある児童養護施設で保育士をしていました。小学生以下の20人ほどの子どもや、他の保育士たちとの寮生活を送り、子どもたちからは、「加藤姉ちゃん」と呼ばれていました。
気になる男の子がいました。小学生の林田浩之君。
親の虐待から逃れて施設に来たと聞いていました。いつもにこにこしていましたが、争うように甘えてきたり、物をねだったりする子が多い中で、浩之君はその集団から一歩引いていました。夜、絵本を読み聞かせて眠らせる時に、近くに来て欲しいのか、ときたまエプロンのはしをつまむくらいでした。
浩之君は、小学校を卒業後、施設を離れて岐阜県に引っ越すと聞いていました。
「最後に何かプレゼントをしたい」
みんなにプレゼントをあげていたわけではなかった藤元さんですが、「浩之君にどれだけのことをしてあげられただろう」という気持ちがありました。
「お祝い」というより「幸せに暮らしてほしい」という願いを伝えたいと思い、みんなで遊んでいる時の合間に、何げなく「何か欲しいものはない?」と聞いてみました。
「ぶたのぬいぐるみ」
(クマやネコならあるだろうけど……)
でも、それは初めてわかった浩之君の欲しいもの。市内のショッピングセンターに走り探すと一つだけありました。
「よかったあ」
卒業式の日に渡すためその場で買いました。
しかし、そのぬいぐるみは渡せませんでした。卒業式の後、他の子は施設に戻って別れのあいさつをしてから巣立っていったのに、浩之君は、戻って来なかったのです。
卒業式が終わると、待ち構えていた父親に連れられて、そのまま宮崎港からフェリーに乗ってしまったのですが、その時の藤元さんは、そのことを知るすべはありませんでした。
「なぜ戻って来なかったんだろう」
施設に入っていた過去を消したいと思っている子もいるので、無理に連絡先を調べて渡すわけにもいきません。とはいえ、捨てたり他の子にあげたりするのは「このまま浩之君とのつながりが切れてしまうのが嫌だった」のでできませんでした。
ぬいぐるみを渡せなかった卒業の日から24年、36歳に成長した浩之君は十数年働いた飲食店を辞め、運転免許証も携帯電話も捨てて、岐阜のアパートから出ました。数日分の衣類と寝袋を詰めたリュックだけを持って。
一緒に暮らしていた女性との関係が壊れ、子どもの頃のように人が信じられなくなった彼の足は、自然と西へ向きました。駅や建物の軒先で野宿しながら、浩之君は思いました。
「自分の居場所はどこだろう」
旅の終わりは決めていませんでしたが、唯一立ち寄ってみたかったのは、あの児童養護施設でした。
「あのときが今までの人生で一番楽しかったなあ」
児童養護施設に入所するまで、浩之君にとって家は「地獄」としか思えませんでした。
物心がついた時には、父子家庭でした。新しいお母さんがいた時期もありましたが、両方から理由もわからぬまま殴られ、木刀で打たれ、エアガンで撃たれました。真冬にタオルケット1枚で縁側で寝かされたり、砂利の上で長時間正座されたりしたこともありました。
食事はほとんど与えられず、作らされても自分は食べさせてもらえないこともありました。学校の給食で何とか飢えをしのいでいたので、健康診断は毎年「栄養失調」で、いつも背の順はクラスで一番前。家出を繰り返した末、児童養護施設に入れられたのは小学5年生の途中でした。3度の食事や、あたたかい布団。誰にも殴られない生活。それだけでうれしかったので、いつもにこにこしていました。
しかし、そんな日々が続いたのは1年3カ月でした。
あの小学校の卒業式の日、「加藤姉ちゃん」が待っているとも知らず、父親と一緒に岐阜に引っ越しました。中学卒業後、寮のある会社に就職しましたが、そこでも給料を父親に天引きされて……。逃げるように職場を変え、調理師になりました。
そして、飲食店で働きながら新しい人生を始めました。何人かの女性と交際しましたが、結婚はしませんでした。浩之君は、生まれて一度も人を殴ったことがありませんでしたが、子どもができるとやはり暴力を振るってしまうのでは、と思うと踏み切れないのでした。
4年前、同棲していた女性が上司と関係を持っていることを知り、またあの頃のように、人間不信に陥ってしまいました。免許証も携帯電話も捨てたのは、過去の自分を捨てたかったからです。それでも、足が向かったのは過去の一番幸せだった場所でした。
浩之君は1年以上の放浪の末、児童福祉施設のあった森にたどり着きました。
25年を経て、建物は古ぼけた姿で残っていました。しかし、そこはもう施設ではなく、2人の芸術家の住居になっていました。画家の高見乾司さん(70)と、染織家の横田康子さん(79)。2人は森に自生する草木を使って薬草茶や布を作り、生活していました。
事情を話すと「しばらく泊まっていっては」と勧められました。
それから毎日、高見さんは森に連れ出してくれました。どの草に薬効があり、どんな色に染められるのか。夜空の星で狩猟を占う言い伝えや、何千年もの歴史が詰まった神楽の魅力……。横田さんは、草木から糸を作る方法を教えてくれました。時間を忘れて聴き入りました。
2人にはささやかなプロジェクトがありました。荒れた杉や竹の林に手を入れて、ハイキングコースをつくるのです。子どもたちを集めて工作教室を開いたり、秘密基地を作ったり。10年前から少しずつ進めていました。
小川での水遊び、砂利道で初めて乗った自転車、林の中でのターザンごっこ。嫌なことを忘れて夢中で遊んだ日々を、浩之君は思い出しました。
「もうしばらく、ここにいさせてください」。浩之君は2人に頼みました。2人ではなかなかはかどらない作業を手伝いながら、浩之君の新しい暮らしがはじまりました。
昨年10月。結婚して施設を退職していた藤元さんは、関係者に毎月送られてくる冊子「友愛通信」を読んで驚きました。浩之君のその後の人生とともに、あの施設があった場所に帰って来たことが書かれた新聞記事のコピーが添付されていたのです。
実は、あの時のぬいぐるみは、まだ手元にありました。子どもができましたが、使うと渡せなくなるので、包装紙に入れたまま押し入れにしまっていたのです。そして、たまに状態を確認しては「浩之君、幸せに暮らしているかなあ」と思っていたそうです。何度も見返したぬいぐりみの包み紙はいつしかくしゃくしゃになってしまいました。
「新聞には、施設が楽しかったように書いてあったけど、子どもの頃を忘れたいと思っているかもしれない」
1週間迷った末、藤元さんは意を決し、ぬいぐるみを抱えて会いに行くことにしました。不在だったので預けて帰ろうと玄関先に出ると、山仕事から1人の青年が戻って来ました。
「浩之君?」
ほお骨の張り具合や柔和な表情は、27年前と変わっていませんでした。
浩之君は40歳になっていました。すぐ「加藤姉ちゃんだ」と思い出しましたが、ぬいぐるみをねだったことは思い出せませんでした。
「ぶたの出てくる絵本が好きだったからかなあ」
ただ、自分を忘れずずっと持っていてくれたことに驚き、感謝しました。27年の時を経て、ぶたのぬいぐるみは、ようやく浩之君のもとにたどりついたのです。
藤元さんは「もっと甘えてくれればよかったのに」と、あの頃を思いを伝えました。「甘えるということを知らないで育ったので」と浩之君は淡々と答えました。まじめで自己主張しない性格は、変わっていないようでした。
子どもの頃の写真を持っていないと言った浩之君。
ぬいぐるみのあった押し入れから当時の写真を捜し出しました。
「どこまで当時の気持ちに踏み込んでいいのか」と何日か眺めて過ごした後、届けに行くと、喜んでくれました。
藤元さんは、その後も茶飲み話をしに、浩之君を訪ねています。「もっと甘えてくれないかなあ」と思いながら。
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