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一発屋・髭男爵の「エゴサ」無力化させた強敵 「紅白」で決定的に
年の瀬、一人、検索画面を前に「存在を消されそうな」気持ちを抱いている人がいます。“一発屋”芸人の髭男爵・山田ルイ53世さんが「自分探しの旅」と呼ぶエゴサーチに異変が起きたのです。紅白歌合戦が迫る中、日に日に大きくなる悩みについて、つづってもらいました。
普段から"エゴサーチ"をたしなんでいる筆者。
"エゴサ"とはネット上での己の評判を知るべく、SNSなどで自分の名前を検索する行為である。
文字通り"自分探しの旅"というわけだが、一発屋にとっては鬼門、もろ刃の剣だ。
「最近見ない」「消えた」「死んだ」等々、極一部の方々の手厳しいご意見に不意打ちを喰らい、スマホ画面から目を背けたくなるようなこともしばしば。
精神衛生上よろしくないのは重々承知しているが、まれにお褒めの言葉にもありつけるのでなかなか止められない。
少し前のこと。
「『学園祭に髭男くるよ!』って友達が言うから、学校のHP見たら、「ゲスト:髭男爵」って書いてあって盛大にズッコケた」
とつぶやくTwitterアカウントを発見。
実際、とある大学からオファーを受け、学園祭のお笑いステージにお邪魔する予定が近々であった。
恐らくその学校の生徒によるものだろう投稿を眺めつつ、
(またか……)
と此方も負けじと"盛大に"ため息を吐く。
この"髭男(ヒゲダン)"こそ、先述の「official髭男dism」のこと。
2018年から19年にかけて、ドラマや映画の主題歌に夏の高校野球の応援ソングと抜擢(ばってき)が続き、若い世代を中心に絶大な人気を誇るピアノPOPバンドである。
当然、彼らに関するSNS投稿は爆発的に増えた。
いや、かくいう筆者も"髭男"は大好き。
移動中などよく聴いているし、ファンだと言っても過言ではない。
しかし、彼らの躍進を手放しでは喜べぬ事情があった。
「official髭男dism」のことを、「official髭男爵」「オフィス髭男爵」、果ては「髭男爵リズム」などと誤る人たちが続出したからである。
(……ん?)
最初の違和感、異変を感じ取ったのは、今年の春先だったか。
"エゴサ"に励んでいると、
「髭男爵って良いよね?私だけ!?」
「髭男爵好きって言っても、皆に分かってもらえない!」
といった内容のツイートがチラホラと目に付くように。
(一発屋になっても応援してくれる人たちが……)
と能天気にうのみにし、
(肩身の狭い思いをさせて申し訳ないなー!)
などと、やや屈折したスター気分に浸っていたのもつかの間、目を凝らすと、「official」とか「オフィス」が漏れなくくっ付いている、ということがよくあった。
セミが鳴き出す頃になると、
「髭男爵、最高!」
「最近、髭男爵にハマってる!」
といった熱のこもった投稿が大量発生。
しかも、「official」「オフィス」が取れ、「髭男爵」=「official髭男dism」というケースが目立ち始める。
もちろん、
「今、学校で髭男爵がめっちゃ流行ってる!」
というつぶやきが、自分を指したものだとはさすがに思わぬが、それでも、
(あれ……俺、知らぬ間に再ブレークした!?)
と錯覚してしまうほど、「髭男爵」というワードがネット空間に溢れ返る事態となった。
今では、本来の「髭男爵」は、
「母親に、"髭男dism"だって何度教えても、『今、あんたの好きな髭男爵がTVに出てるよ!』とか言う!」
とか、
「"ひげだ"まで(文字を)打つと、(予測変換で)"髭男爵"になる。いちいち爵を消すのがホント面倒臭い!」
といった苦情めいたもの、あるいは、中高年世代の、
「芸人の髭男爵が、バンドを組んで再ブレークしたと思ってた」
という"遅まきながら気付きました"の報告、そんな文脈で散見出来るのみ。
前者に関してはただのとばっちり、後者に至っては、
(そうだったらいいのになー……)
と誰よりも切に願っているのは筆者自身である。
とにかく、単純な間違いから略称まで、全ての「髭男爵」が検索に引っ掛かるのだからたまらない。
結果、お笑いの「髭男爵」は、圧倒的多数の"髭男"のつもりの「髭男爵」に埋没し、筆者の"エゴサ"は完全に無力化。
SNS上で自分を見付けるのも一苦労……もはや、ウォーリー状態である。
YouTubeでは、「髭男爵」と検索してもひたすらミュージックビデオが表示され、「ワイングラスを持ったシルクハットの男」は待てど暮らせど出てこない。
この年末、「第70回NHK紅白歌合戦」に出場を果たす、『official髭男dism』。
いや、実にめでたい。
案の定、SNS上では、
「髭男爵紅白、やったー!」
「スゲー、髭男爵!」
といった祝福の声が。
ちなみに、筆者自身も2008年の「応援枠」で出ているので、「髭男爵」ということで言えば、実に10年振り2度目の出場……高校野球の古豪のようだ。
いや、そんなことはどうでも良い。
問題は、この国民的番組の影響力。
今回の紅白で、これまで"髭男"に縁の無かったご年配の視聴者層にも彼らの存在が知れ渡ることは、『ノーダウト』……疑う余地もない。
そういった中には、「official髭男dism」を「髭男爵」と早速誤認する方々もいるだろう。
除夜の鐘が鳴り終わる頃には、人々の記憶の上書き作業は完了。
芸人・髭男爵は存在しなかったことに。
まあ、それも、一発屋の『宿命』。
事実、質・量ともに、『プリテンダー』(なりすまし)は今や此方なのだ。
致し方ない。
流れに身を任せる……それが筆者の"ダンディズム"。
何より、新たな"世界線"では「髭男爵」は超が付く売れっ子。
「消えた」「死んだ」と揶揄されることはもうない。
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