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虐待サバイバーが「大人の支援」訴える理由 母の日記に書かれた真相

『わたし、虐待サバイバー』を手にする著者の羽馬千恵さん=天野彩撮影
『わたし、虐待サバイバー』を手にする著者の羽馬千恵さん=天野彩撮影
出典: 朝日新聞

目次

子どもの頃に受けた虐待が、大人になった後の人生に影響を及ぼすことが少なくありません。近年、子どもが虐待で亡くなる事件が相次いでいますが、生き延びた大人たちもまた、子どもの頃から続く苦しみを抱えています。壮絶な虐待を経験した羽馬千恵さん(36)は、多くのトラウマを抱え、今も苦しんでいると告白します。「虐待サバイバー」として、幼少期の体験と、大人になった今も続く困難さを赤裸々に描いた本を、この夏出版しました。「虐待を防ぐには大人の支援が必要」と訴える羽馬さん。被害の連鎖を食い止めるために必要なことを聞きました。(朝日新聞北海道報道センター記者・天野彩)

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虐待、社会のほうに問題

――ここ数年、子どもが親からの虐待で亡くなる事件の報道が相次いでいます。2018年3月には東京都で船戸結愛ちゃん(5)が、2019年1月には千葉県で栗原心愛(みあ)さん(10)が、6月には札幌市で池田詩梨ちゃん(2)が亡くなり、そのたびに大きく報道されました。

いずれの事件も、母親が貧困状態にあったことと、父親や義父らが暴力を主導していたことが共通しています。これらの事件は、私の経験とそっくりなのです。

本当は子どもを愛している母親が孤立して、夫の暴力で追い詰められて貧困状態に陥り、SOSをうまく出せなかった。これは個別の事象ではなく、虐待のある家庭にとても多いパターンなのです。

同時に、虐待の問題は、一様ではありません。貧困やDV(家庭内暴力)の問題にも、理解と支援が必要です。虐待の問題は、まずは社会のほうに問題があり、そこから派生するものです。

虐待をする親は、いろいろな問題の当事者なのです。親から虐待を受けた人は、適切な家族の愛情のかたちを知らないために、虐待を連鎖させてしまう場合があります。加害者側の大人の支援をすれば、子どもを同時に救えるのです。

警察と児童相談所の連携をどうするとか、そういうことばかり話し合うのではなく、大人をどう救うかということを考えてほしいです。

虐待をしてしまう親だけをバッシングしても仕方が無いのです。虐待は社会の問題、みんなの問題として考えてほしいです。

羽馬千恵『わたし、虐待サバイバー』(ブックマン社)

根本的な解決は「大人の支援」

――羽馬さんは、虐待を防ぐには大人の支援が必要だと訴えます。

2018年3月、札幌市市民活動サポートセンター登録団体である全国団体(任意団体)の大人の未来(全国虐待被害当事者の会)を立ち上げました。虐待を受けた当事者のコミュニティです。情報を交換するのが目的で、今は300人を超える会員がいます。グループ名には、子どもの未来を救うためには、大人が明るい未来を生きるための支援こそが必要だという願いを込めました。

近年「子どもの貧困」という言葉が流行っていますが、大人が貧困でなければ、子どもは貧困にならないのです。

子どもの貧困は、大人の貧困の問題なのです。貧困と同じく虐待も、虐待をしなくてはいけない状況に追い込まれる親のほうにこそ、支援が必要です。大人の支援をしなければ根本的な解決にはならないのです。

4歳くらいの頃、祖父母の家で母にパーマをあてられてポーズを取っている様子。この頃にあった親戚づきあいは羽馬さんが5歳くらいのときになくなり、その後両親からの虐待が始まったという=本人提供
4歳くらいの頃、祖父母の家で母にパーマをあてられてポーズを取っている様子。この頃にあった親戚づきあいは羽馬さんが5歳くらいのときになくなり、その後両親からの虐待が始まったという=本人提供

「虐待は死んでしまう子が受けるもの」と思っていた

――自分は虐待被害者だと気付いたタイミングは?

30歳になったくらいの頃でしょうか。それまでも、とてもひどい家庭環境だったという認識はありました。でも、虐待というのは、死んでしまう子たちが受けているもので、児童相談所に保護されたこともない、生きている自分もその対象になっているとは気付きませんでした。

気付くまでは、なぜ仕事もプライベートもうまくいかないのか、わかりませんでした。子ども時代の体験と今の自分がつながっていることを認識できていなかったのです。

児童虐待防止法が施行されたのは2000年。それまでは、社会は家の中の暴力に干渉できなかった。世の中には、ほんの数年前の私のような、虐待被害者だと気付いていない人がものすごくたくさんいるのではないかと思います。


――なぜご自身の体験を発信しようと思いましたか。

2年ほど前、虐待を受けてきた被害者を救うため、室蘭市で後遺症をもつ大人の居場所づくりを始めました。でも、人を救うことはとても難しく、つらいものだと気がつきました。

ずっと悩みを聞いてきた人を見捨てるときの絶望感はとても大きいです。直接支援することは、地獄を味わう覚悟がないといけないことがわかりました。

私も精神的に安定しないときもあるので、気持ちが引きずられてしまうのはきつい。今の自分にはできないと判断しました。そこで、文章での啓発なら私にもできるのかなと思いました。

2歳くらいの頃、祖父母の家で遊んでいる様子。この頃は近所づきあいも盛んで、庭にはおもちゃがたくさんあったという=本人提供
2歳くらいの頃、祖父母の家で遊んでいる様子。この頃は近所づきあいも盛んで、庭にはおもちゃがたくさんあったという=本人提供

「虐待していた母親も被害者」

――何が、発信へと駆り立てるのでしょうか。

虐待サバイバーは、愛情に飢えていて、自己肯定感が低いことが多いのです。子どもの頃に与えられなかった愛情を、別の存在で埋めようとする。だからこそ、誰かに認めてもらいたくて、夢中になりやすいのです。

私が実名で本を出したり、ウェブ上で体験を赤裸々に語ったりしたいと思うのは、愛情の飢えからきているとしか思えません。ときどき自分の周りのあらゆる人間関係を破壊してしまいたい、と思うときがあります。

実名を公表しての体験の発表は、ある意味では破壊衝動の一種だったのかもしれません。


――体験を発信していくうちに、「虐待していた母親も被害者」と考えるようになったのですね。

本は出版前に母に全部読んでもらい、実名で出版することを許可してもらいました。本の中には、母とのラインメッセージのやりとりも載せています。

数年前まで私は母に対して、強烈な憎しみがありました。絶対に許さない、今の私の苦しみは全部母のせいだ、と思っていました。

それが、ウェブ上で体験談を配信するうちに、母も被害者だったと気が付きました。彼女も父親(私からみた祖父)に愛されていなかったと言っていたのです。

親だけが悪いわけじゃなくて、親が子どもを虐待せざるを得なくなる社会的な要因があるだろうと考えるようになりました。

母や社会を分析し、多角的に見ることができるようになったことで、私自身も回復の道のりをたどることができました。

『わたし、虐待サバイバー』の口絵(一部)。羽馬さんの母親が、羽馬さんが3歳になるくらいまで書いていた赤ちゃん日記の冒頭のページだという=ブックマン社提供
『わたし、虐待サバイバー』の口絵(一部)。羽馬さんの母親が、羽馬さんが3歳になるくらいまで書いていた赤ちゃん日記の冒頭のページだという=ブックマン社提供

「不幸な体験はキャリアだと思っています」

――今は、過去の体験を前向きに受け止めていらっしゃいます。

当事者のことを一番理解できるのは、医者でも看護師でもなく、当事者なのです。

私は今も不幸な体験で苦しい時がありますが、その体験がない人生は想像がつきません。過去の不幸があって、今の私があるのです。

私は児童虐待被害者支援法(仮)の制定を目指しています。まずは私が住んでいる札幌市などで、虐待被害者の大人を支援する条例を制定するために、サバイバーたちで協力して議員などに働きかけています。

自分の不幸な体験はキャリアだと思っています。ひどい体験をバネにしてプラスに変えて、社会に貢献したいです。

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