連載
#36 #となりの外国人
「女の子は学校行かなくていい」 日本に暮らす外国人の子どもの今
「家のことだから」……子どもをしばる、この「檻」は、まだ日本にあるんです
女の子だから学校に通えない。日本に住み、これからも生きて行く外国ルーツの子どもたちの一部で、そんな問題が起きはじめている。一見すると、異文化だからこそ起きている問題のようだが、背景にあるのは、よい人と結婚し、家事をし、子どもを産み育て、家に尽くす――そんな親の価値観だ。支援者は「かつての日本も同じだった」と感じ、家庭への介入しづらさは今も変わっていないと指摘する。学ぶ機会に苦しむ外国ルーツの子どもや女性の現場をたどった。
「みんな何者かになるために勉強しているんでしょう?」
千葉県に住むアフガニスタン人の女性(20)がくっきりした二重の目を見開きながら、こう話した。りゅうちょうなイギリス英語だ。イスラム教徒として髪を覆うためのスカーフはバーバリーのチェック柄で、乱れないようにしっかりピンでとめられている。
16歳のとき来日した。弟2人と同じように学校に行きたいと考え、妹とともに両親に「学校に行きたい」と伝えた。父は母を介して「ダメだ」と言った。
来日前はドバイで、パキスタンと英国系の学校に通っていた。父は、中学1年時点で学校をやめさせようとしたが、その時は祖母が「通わせてあげなさい」と間に入ってくれた。来日後も改めて祖母が言ってくれたが、父は頑として聞いてくれなかった。
父には、「日本の学校では教室に男女が共に座る」「女の子の制服のスカートが短すぎる」そんな理由を挙げられた。
日を置いて、改めて直接訴えた。父は怒って「学費が高いからダメだ」。妹と共に部屋にこもって泣いた。1~2カ月後、また訴えた。それでも父親の考えは変わらなかった。そして、その一カ月後も―。
来日前の14歳のときから妹とともに、一つ屋根の下で住んでいた家族と親族30数人分の食事の準備を任された。15歳のときには、30歳の男性とのお見合い話が持ち込まれた。ほかの女性の従兄弟たちと順番にアフガニスタンに住む祖父母の面倒を見るため一時帰国もしている。女性の役割として家を切り盛りすることだけが求められていると思う。
日本に来てからも学校に通わず、家族6人分の3度の食事の支度と食器洗い、掃除で一日が終わる。家事の合間には、インターネットで韓流ドラマや中国のドラマを見る。主役がイスラム教徒ではなくても、女性たち同士のおしゃべりがにぎやかで親近感がもてるからだ。モスクは遠くて行っていない。週末の楽しみはイオンで洋服や靴を見ることだ。ファッションが大好きで、スマートフォンのカメラは、日本で散歩中などに見て自分で撮ったきれいな風景や花の写真のほかは、ネットからダウンロードした気に入った服の写真でいっぱいだ。
将来の夢は洋服デザイナー。年々父も年を取り、やせていっているように感じる。自身も別に稼げるようになれば、父の助けにもなれるのでは、と思う。意を決して「将来デザイナーになりたい」。食事の場で話したら、父親と弟に笑われた。
中古車販売にたずさわる家族もこのまま日本に住む予定で、自身も日本に住み続けたいと考えている。最近は日本人の女の子たちも床に届きそうなロングスカートをはいている。イスラム教徒にも、日本の子にも着てもらえる服を作れないだろうか--そんな思いを抱いている。
19歳でフリースクールに通うようになってから、高校進学を目指すクラスメートを見て、空しさを感じるようになった。アメリカやカナダに行った親戚の女の子たちはみな高校や大学に進学している。「私は人生を無駄にしているのではないか。痛みを感じる」といい、「私たちは女の子。学ぶべきではないのかしら。欧州だったら学力が保障されるよう、行政が介入してくれるのに」と訴えた。
親のすすめる見合いをしたら、これまでの与えられた役割を生きる人生の延長になってしまう。それは嫌だ、と思っている。20歳になり、改めて思う。
「学校に通っていない私は、ここからどうやって自分の人生を生きていけばいいのか」
その女性の言葉に深くうなずくのが、女性の同い年のいとこの女性だ。同じくアフガニスタン出身で、薄ピンク地の花柄のスカーフをかぶっていた。
いとこの女性は11歳の時に来日した。当初、弟たちと同じように小学校に行くかを父に尋ねられた。でも女性は、異国に来たばかりで不安もあり、首を横に振った。
それから数年は家で過ごした。15歳のとき、日本のテレビで学園もののドラマを見た。「やっぱり学校に行ってみたい」。思いを募らせ、父にそう言ったが、「何を今更」と取り合ってくれなかった。
子どもすぎて、学校に行かないことがどんな意味をもつのか、わからなかった。「もし私が日本人だったら、行政の人がうちに来てでも学校にいくよう説明してくれたのでしょうか」。今も11歳の時の判断を悔やむ。
女の子ゆえに学校に通えなかったり、進学できなかったりした外国ルーツの子どもたちの存在は、埼玉などでも聞かれる。
埼玉県でクルド人支援に取り組む「クルドを知る会」代表の松沢秀延さん(71)も、この数年だけで、中学生になるころから学校に通わなくなった女の子が数人いるという。丁寧に聞き取りをすると、いずれも子どもは学校に通いたがっているが、父親が、女の子だから通わせないというケースだったという。
ただ、こうした問題を行政側はあまり把握してはいない。アフガニスタンの女性たちの住んでいた千葉県内の自治体の教育委員会の担当者や、クルド人の子どもたちの通っていた学校のある埼玉県内の教育委員会の担当者は「把握している中ではない。直近でもそういう事例は把握していない」と話す。
不就学の問題に詳しい愛知淑徳大の小島祥美准教授は「外国の子どもは日本の就学義務の対象ではないので、教育委員会も去る者は追わない」と指摘する。今年度、文科省が初めて行った全国調査では、外国人の子どもの教育について、取り扱いの位置づけがなく、公務規定がないことが明らかになった。同調査では、日本に住む外国人の小中学生にあたる子ども約12万4千人のうち、約2万人が就学していない可能性も示されている。
女の子だから学校に通えない――。そんな遠く海外で問題になっていたようなことが、なぜ、日本で起きているのか。文化や宗教の問題なのか。
「なんでそういうことを言うのか、わからない」
千葉県内に通う高校生の女性はそう言って驚く。アフガニスタン出身のイスラム教徒だが、身近には女の子が教育を受けることを否定するイスラム教徒はいないからだ。夢は、日本の大学で医学部に進み、アフガニスタンで医者になることだ。両親は「日本語をよく勉強して、夢を実現するためがんばって」と応援してくれる。
「イスラム教では学校に行って学ぶことは許されている。知識や情報を得ることは大事だから」。だからイスラム教徒を理由に学校で学ばないという話を聞くと、こうも思ってしまう。「地域や家庭によってそれぞれの考えはあるのかもしれない。でもイスラム教を理由にしないでほしい」
この問題をめぐっては、実は「ついこの前まで日本だって同じだった」と指摘する声も多い。
その一人であるクルドを知る会の松沢さんによると、たとえばクルド人のコミュニティでは、女性は20歳前後で結婚し、子どもを生み始めることが多いという。無理してお金を払って学校に行くよりも、十代では弟や妹の面倒を見ながら家事を覚え、「女性として成長すること」に価値が置かれているという。
そんな家父長制的な価値観について、松沢さんは「日本もこの前まで同じだった」と言った上で「今だって平等と言いながら管理職は女性が少ない。別世界のことではない」とも話した。
女の子だから学校に行ったり、進学したりしない。最初にこの問題を聞いたのは2年前、東北地方に住むパキスタン人の家族を取材していたときでした。中学生の女の子が高校進学を目指さないかもしれないということについて、支援者は「パキスタンにいつ帰るかわからない。現地では中学校を出ているだけでもすごいこと。文化や風習も異なり、日本の考えを押しつけられない」と言いました。デリケートな、難しい問題だと感じました。
一方で、外国ルーツの子どもの取材を重ねると、家族が当初の予定以上に長く日本に暮らすことになり、日本で進学や就職することになるケースも増えているようでした。同時に、外国人の親には日本の教育制度や進路事情についての情報が不足していることも改めてわかりました。
どうしたらいいのか。そう考えていた矢先に、出会ったのが冒頭の千葉県のアフガニスタン人の20歳の女性たちでした。自ら「日本の社会に問題を知って欲しい。ちゃんと介入して欲しいので取材してほしい」と名乗りをあげてくれたのです。
学校に行かなくても自ら人生を切り開ける人たちもいます。学校がすべてというわけではありません。でも彼女たちと話して感じたのは、自分の人生を切り開き、社会とつながる力を得るために、教育を受けたいと強く願っていることです。
外国人や女性という、ただでさえ弱い立場におかれがちな人たちにとって、その機会をどう確保できるのか。
日本社会にはそもそも家庭に深く介入しづらいという風潮もあります。こうした問題に接したことのある各地の支援者は、まず親に、地道に日本の就学や進路の考え方を説明している、といいます。
「各ご家庭のこと」と見過ごされがちな問題ですが、どこまで尊重するべきで、どこからが押しつけになるのか。答えはまだ出ません。でも社会とつながりたいと願う子どもたちの声を聴くことのできる社会にしていけたら、と思います。
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