話題
「保毛尾田保毛男」を全否定できますか?ミッツ・マングローブの問い
「女装家」を自称する、ドラァグクイーンで歌手・タレントのミッツ・マングローブさん。現在は情報番組でコメンテーターを務めるなど、お茶の間でも高い知名度を誇ります。一方で自身を押し上げた「オネエブーム」には、複雑な気持ちを抱いているそうです。テレビの現場で感じてきた、性的少数者へのまなざし。異なる価値観を持つ人同士で非難し合う動きが目立った、「保毛尾田保毛男(ほもおだ・ほもお)」騒動への思い。世の中と向き合う芸能人の視点から、現代社会を切り取ってもらいました。(編集・構成=withnews編集部・神戸郁人)
<今年8月、近著『熱視線』(朝日新聞出版)を出版したミッツさん。アイドルの発言や、時事問題についてのコラムを一冊にまとめました。特に記事の見出しを考えることには、心を砕いたそうです>
この本は『週刊朝日』の連載が基になっています。誌面記事をネット版に転載するとき、当初は記事の見出しが変わっていたんです。だから編集部に「自分の文章を載せるのであれば、タイトルもそのままにして下さい」とお願いした経緯があります。
――たとえば昨年話題となった、東京・南青山の児童相談所建設問題に関する記事には「女王『南青山』のアーティスト気取り」という表題をつけられていますね。含蓄がある表現で、思わず目が止まりました
見出しって、時代性が表れますよね。「●●の仕方」とか「幸せになれる●個の方法」とか。そうした引っかかりのいい言葉を、ワードメイキングすることは大事だと思っています。ただ時代にこびすぎてしまうのは、ちょっとダサいかもしれません。
「●●力」「●●系」みたいな表現で、物事を定義づけようとする風潮ってあるじゃないですか。元々、すごく抵抗が強かったんです。もっとも、最近は心理的ハードルが下がっていますけれど。
――ある意味、世間から求められる考え方を、敏感に感じ取っていると
仕事ですからね。でも、これが難しいんです。
テレビのワイドショーで「このニュースについて30秒間でコメントして下さい」と求められることがあります。でも、なかなかスパッと言えない。色々考えて「結局わからなかった」「こういう見方もあって難しい」という結論に落ち着くことも、少なくありません。もちろん、実際は回答しますよ。
ただ、そもそも世の中って、一言で表現できるほど単純なものではないとも思います。
――そういった性格は、ご自身の個性だと捉えているんでしょうか
個性ではあるかもしれませんが、商品にしていいかどうかとは、また別の話です。仕事をいただいている以上、対価に見合ったものをお返ししなければいけませんから。その点、本はゆっくり言葉が選べるし、書いた文章を見直すこともできます。しっかり準備できるので好きですね。
<ミッツさんは、テレビ番組で「毒舌キャラ」であることを求められてきたといいます。自身の思いとの間に、距離はなかったのでしょうか?>
テレビに出始めた頃、よくディレクターから「毒舌をふるって下さい」と指示されていました。そういうイメージが強かったんでしょうね。
あるテーマに関して、二人のタレントが「A」というスタンスを取っていて、自分は「B」という真逆のスタンスを表明しないといけない……という場面があるとしますよね。「私もAです!」って、平気で言ってしまうんです(笑)。その意味で、私はあまり勘がよくないんですよ。
自分の仕事というのは、「少数派」を保つことなんだろうなと思います。それって、すごくきついんです。少数派になりたくてなったわけではないですから。
――周囲からの期待と、本心とのギャップが大きいわけですね
そうですね。はやりに乗っかって、情報をうまくアレンジし、共感や驚きを引き起こすような形で発信する。それがテレビタレントの仕事だと思っています。
だから「斜に構える」ことが、ある種の義務のようになってくると、「何か違う」という思いも湧き上がってきます。むしろ、自分なりの実感に基づいて語るべき段階にきているのかもしれません。
<昨今、テレビ番組を中心に使われるようになった「オネエ系タレント」という表現。当事者の一人として、この言葉に対し抱いている思いも聞きました>
――2年ほど前、性的少数者がモチーフとされるキャラクター「保毛尾田保毛男」がテレビ番組に登場したことを巡り、議論が巻き起こりました。放送局に「侮辱的だ」との声が寄せられましたが、ミッツさんは著書で「差別意識にフタをする動きだ」と述べられていますね
保毛尾田保毛男:フジテレビ系列のバラエティー番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」のコントパートで人気を博したキャラクター。番組初期に、お笑いコンビ・とんねるずの石橋貴明さんが演じた。2017年9月30日放映の、30周年記念回に再登場。SNSを中心に「性的少数者を軽蔑している」といった批判が広がった。
一人一人が多様性への意識を育む。そのこと自体は、とても大事であると考えています。ただ、あの一件について、頭ごなしに否定するのは違うんじゃないか……とも思ったんです。
確かに、青ひげで、おちょぼ口で、小指が立っていて……というステレオタイプな「オカマキャラ」ではあります。でも彼は、岸田今日子さん扮する「お姉ちゃん」に可愛がられ、豪邸で幸せそうに暮らしていた。そうした描写から、何かを差別したり、卑下したりする意図は感じられませんでした。私にとっては、むしろアイドル的な存在でしたね。
もちろん、番組の影響でからかわれ、嫌な思いをしてきた人々がいるのも事実です。そうかといって、当事者全員があのキャラクターに悪いイメージを持っているわけではありません。
――全体的な文脈で捉えれば、そう言えるかもしれません。しかし切り取り方によっては、差別的なニュアンスが強調されてしまうのではないでしょうか
もちろん、それは注意しなければいけないですよね。とはいえ「ホモという言葉も、オカマという言葉も絶対使っちゃダメ」とフタをするだけでは、意味がないと思います。
私自身は「オネエブーム」の中で生まれたタレントです。これまではオネエという表現を、あえて女性的な言葉遣いや仕種(しぐさ)を採用する人に対し使ってきました。ところがテレビ側が、性的少数者に関わる様々な要素を、この言葉でまとめ上げてしまった。私のように女装している人も、性転換した人も、今ではみんな「オネエ系」です。
オネエと言えば、当事者を理解したことになる。そんな雰囲気が、まだ業界内に残っているようにも感じます。結婚がテーマの番組収録中、共演者の芸人さんから「ミッツは(同性婚が可能な)アメリカでなら結婚できるね。いい世の中になってるじゃん!」と声を掛けられたことがあるんです。もちろん、ご本人に悪気はないのですけれどね。
とはいえ、批判ばかりしていては、それこそ「言葉狩り」になりかねません。四の五の言うべきでない状況では、そのまま済ませることもあります。でも、世の中ってそんなに割り切れるものでしょうか? 何だか、「もやもやしている」ということが、許されない時代になっているような気がしますね。
<芸能人として、世間の「空気」と向き合ってきたミッツさん。最後に、その心構えについて語ってもらいました>
――周囲の期待に応えることを求められ、苦しんでいる人というのは、少なくないように思われます。ミッツさんは芸能人として、どういった心構えで、世間の空気と向き合っているのでしょうか
私は世の中にあまり期待をしていません。正直、自分自身に対する興味もないんです。でも、女装で自らを商品化しています。矛盾しているようですが、このやり方だと、私という人間の価値付けをお客様に委ねられるんですよ。お代をもらえなければ成立しない仕事ですから。
――外部からの評価で、自分の立ち位置が決まる。ある意味わかりやすいですね
そう、とても楽なんです。値段を提示するより、他人に評価を任せた方が、私は努力できる人間なんでしょうね。よりよい価値を見いだして欲しい、と思えますから。その意味で、誰かに認められることは、私にとって「生きていてもいい理由」なのかなと思います。
1/21枚