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弟と母まで修士の同級生に…「三十路大学院生」の今 浪人・留年重ね

「三十路大学院生」の今(写真はイメージ)
「三十路大学院生」の今(写真はイメージ) 出典: PIXTA

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三十路に突入した修士2年の大学院生の男性がいます。気づけば弟も同じ修士2年。「勉強がしたくなった」と60歳を過ぎて大学院に進んだ母親も修士2年。親兄弟3人とも「同級生」です。専門は「日本で研究している人がほぼいない」というニッチな分野。浪人と留年を計6年経験し、ずっと学生を続けています。将来に悲観しつつも、明るい未来を信じているという男性の「キャンパスライフ」を聞きました。(朝日新聞デジタル編集部・影山遼)

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進学校から2浪

大学院に通う三十路の男性は、今年で3回目の修士2年。

男性は平成生まれ。高校はストレートで進学校に入学。将来は法律関係の仕事がしたいと、現役の時は法学部を受験しましたが、不合格。そのまま高校を卒業しました。

春から予備校に通いましたが、全然勉強をしなかったため、次も試験は越えられず。「予備校行っても遊ぶ人は遊ぶんや」との考えに至ります。「気持ちを入れ替えて次こそは頑張る」という一言だけで両親を説得し、浪人を継続させてもらいました。

浪人・留年を繰り返しても明るい人は明るい?(写真はイメージ)
浪人・留年を繰り返しても明るい人は明るい?(写真はイメージ) 出典: PIXTA

ヨーロッパへ

翌年からは予備校をやめ、自宅で浪人する「宅浪」に切り替えました。そして、2浪目の受験で、「ワンランク落とした」という大学に合格しました。受けたのは一貫して法学部。2浪はそこまで珍しくもなく、入学した大学でできた友達と遊ぶ日々を始めました。

テスト一発勝負で出席の点数は加味されないため、授業はたまに出る程度で、後はテスト直前に友達とファミレスで一気に覚えていました。ですが、ギリギリだったため、夜通し勉強し、朝少しだけ仮眠をとろうと家に帰って寝たところ、起きたらテストは終わっていたということもあったそうです。

単位を計画的にとることができなくても、この法学部には留年制度がなく、進級は毎年できていました。順調に進級し、3年秋からはヨーロッパに交換留学をしました。日本では法学部に属していたため、行った国でも法学を学ぶことになります。

ただ、当時の会話能力は留学した国の語学検定3級のみ。普通の授業は難しすぎたため、英語で実施している授業を中心にとったそうです。1年間の留学中、様々な科目に挑戦し、生涯をかけることを誓う科目に出会うことになりましたが、その時、彼の人生を左右する決断になるとは思いも寄りませんでした。

学問によっては浪人・留年も珍しくないが…(写真はイメージ)
学問によっては浪人・留年も珍しくないが…(写真はイメージ)

2留が確定した瞬間

戻った年は4年生。それでも単位を必死でとり、大学院の受験に臨みました。しかし、不合格。人生で初めての留年をすることになります。

友人も大半が卒業し、迎えた翌年。男性は今の大学院に受かります。「よっしゃー」という思いを胸に、早速、新天地で家を探し、住む所を決めます。そこにかかってきた1本の電話。教授から「君ちゃんと単位とれているかい」という内容のものでした。

慌てた男性。友人に掲示板を見に行ってもらいましたが、知らせは「(男性の)学籍番号ねえぞ」というものでした。他学部で取得した単位が認められないという痛恨のミスで2単位足りず、教授にお願いしたところで、救済はもちろん無理。2回目の留年が確定した瞬間でした。

留年で頭を抱えた(写真はイメージ)
留年で頭を抱えた(写真はイメージ) 出典: PIXTA

ライバルは存在せず

さらに翌年、男性は今の大学院に進みます。大学院で学ぶのは、留学時代に行ったヨーロッパの法学。「世界中で勉強しているのは、自分を除くと1人しかいないようです。つまりライバルはいません。日本で他にやっている人がいないであろう分野だから、切り開いていくという使命感に燃えています」と男性は誇らしげです。

     ◇

文部科学省の統計によると、1991年に博士課程を卒業したのは6201人。それから16年後の2007年には1万6801人と2倍以上になりました。そのうち大学教員となった人は、1991年が1520人だったに対し、2007年は671人増えて2191人。倍率は4.1倍から7.7倍に増えます。

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