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「使えない原木」のイス1脚、5万7千円は高い? 作り手が問う豊かさ
東京・表参道にある完全予約制の家具店に〝使えない〟木材を用いたイスが売られています。一脚の値段は税抜き5万7千円。素材は、シイタケ栽培用の原木になれなかった木材です。「正直、リスクは大きい」という種類の木を使ってまで商品を作るのは、なぜなのでしょうか? 遠く離れた宮崎県の山奥の村と表参道の企業のつながりから、日本の家具製造業のいまを考えます。(朝日新聞記者・浜田綾)
記者が宮崎県諸塚(もろつか)村にある、観光協会やレストランなどが入った施設「エコミュージアムもろつか しいたけの館21」をはじめて訪れた時のこと。
会議スペースで話していた村観光協会の田辺薫事務局長が、「このテーブルは規格外のシイタケ原木が使われてるんですよ。このイスも、あと、あのベンチも」と、次から次に指をさしながら言いました。
意外な原料に驚きを隠せず、「シイタケ原木って、あの、山の斜面にこうやって…」とジェスチャーつきで確認してしまったほど。
しかも、家具の製造販売をおこなっているのは渋谷区表参道にある会社といいます。
「諸塚と表参道……一体どういった経緯があったのだろう」
気になった記者は、帰路につく前に家具を製造販売する会社に取材を申し込みました。
諸塚村で出会った家具を製造販売するのは、渋谷区表参道にある「ワイス・ワイス」。家具のプロデュースから製造販売までをおこなっています。25平方メートルほどのショールームには、ソファやテーブルなどを展示。そして、そのほとんどが国産材で作られた家具だといいます。
そのなか、ゆるやかなカーブの座面や背もたれが特徴的な、見覚えのある一脚のイスがありました。原材料は、シイタケ生産が盛んな宮崎県諸塚村で採れたコナラと杉。コナラは幹が太くなり過ぎたため、シイタケ原木に使えなくなってしまったものでした。
家具製造の企画から携わった営業部企画開発課の野村由多加チーフ(38)に話を聞きました。
野村さんによると、「ワイス・ワイス」が扱う全ての家具を国産材に切り替えていくことを決めたのは2008年。生産ラインを明らかにし、「作り手の顔が見える家具作り」を方針に据えたことがきっかけでした。
外国産の木材は大木を使う場合が多いため、素材が均一で太いので加工がしやすく、かつ、価格も安いといわれています。木材自体の幅がひろく、加工の作業もしやすいのです。そのため〝比較的クセのある国産材を敬遠する風潮〟ができあがったことに、危機感を持っていたとのこと。
また、当時はプラスチックやスチール、化粧板などといった無機質で人工的な印象の家具の需要が高まり、傷ひとつないメンテナンスフリーの傷まない家具が好まれる傾向にあったそうです。「個体差があったり、手入れが必要だったりする多くの木製国産材の家具はますます売れなくなりました」
野村さんによると、日本に入ってくる外国産の木材の一部には、違法伐採されたものが含まれるため、「世界の違法伐採を防ぎたい。日本の木を使って森の循環を促し、手入れの行き届いた健康な森を取り戻したい」という思いだったと振り返ります。
では、野村さんは一体なぜ宮崎県の山奥にある村で課題となっていたシイタケ原木のことを知り、家具にしようと思い至ったのでしょうかーー。
経緯をたずねると、野村さんは即答しました。
「当時、諸塚村役場のかたが森が荒れて困っていると話していました。弊社は『困っている』という声を放っておけないんです。『助けよう』『何とかしよう』といった考えを大切にしています」
実は「もともと、諸塚村には一目おいていた」という野村さん。諸塚村は2004年、国際的機関の森林管理協議会から認証を取得しています。環境に配慮した林業を行っている先進的な自治体として注目していたそうです。
国産材への切り替えが社の方針としてかたまったのと同じころ、野村さんは諸塚村の林業がおかれた状況が変わりつつあることも知りました。
何度も村に足を運び、現状把握に努めました。主にシイタケ原木となる広葉樹のクヌギとコナラ、そして針葉樹の杉などが植えられ、特に秋ごろには〝パッチワーク〟のような様相をみせる……これこそ諸塚村が長年守っている森の姿でした。ですが、諸塚村でも高齢化や過疎化といった課題が例外ではなく、森を手入れする人、シイタケを生産する人が少なくなり、結果として森の木が伸び放題となっていました。
諸塚村の森が変わりゆく背景には、シイタケ原木に広葉樹を利用する〝シイタケ生産者の減少〟という村の課題がありました。
シイタケの生産が盛んな宮崎県。諸塚村はそんな県内でも有数の生産地です。村は宮崎市内から車を2時間ほど走らせたところにあり、1530人(2019年11月現在)が暮らしています。過疎化と高齢化がすでに進み、シイタケの生産農家は後継者不足という深刻な課題に直面しています。
村は、あの手この手でシイタケの生産を存続させようと努めています。たとえば「原木銀行」や「椎茸団地」と名付けられた仕組みを取り入れています。
「椎茸団地」とは村内に四カ所ある村が管理する、シイタケを生産する施設。生産者は、一定の利用料を支払うことでそこにある設備を活用することができます。原木の乾燥や切断、植菌や栽培などを一カ所で行えるため、生産者は山の斜面で作業したり、重機を購入したりする必要がありません。生産環境が整うことで、生産量拡大も可能になり、ある生産農家は「自分の家で栽培していた時の10倍の生産量になった」と話していました。
また、1990年に始まった「原木銀行」という仕組みは、《原木を持っているが不要な人》と《原木が必要だが育てていない人》のいわばマッチングサービス。
原木は元来、自分の家でつくるシイタケ用に自分たちで育てていたり、個人間でのやりとりをしたりすることで確保するものでした。ただし、多くのシイタケ生産者にとって、原木作りは最も労力がかかる仕事のひとつとのこと。高齢化などで作業が困難になる生産農家が増えたといいます。
そこで、村があいだに入り、1年ごとにサービスの利用者を募集。需要と供給のバランスを調整する仕組みを作りました。原木を売りに出す人は、昔シイタケを生産していたけれど既にやめてしまった人が多いそうです。
2018年度には、村内の生産者約130軒のうち42軒の生産者がこのシステムを利用して原木を受け取りました。
村の担当者によると、「申請の際に伐採後に植樹したい木をたずねるのですが、スギやヒノキといった針葉樹が選ばれる傾向が高くなってきたと感じます。あと最近は『とりあえず木を倒すだけ倒してほしい』という要望も増えてきた」と話します。
シイタケ原木には、広葉樹のクヌギやコナラが使われます。約20年のサイクルで伐採することで、森が定期的に循環し、手入れの行き届いた状態が保たれてきました。
村の担当者によると、原木の幹の太さは15センチ前後がベストですが「広く見積もっても6センチから20センチほどが限度」とのこと。これ以上太くなると、木の養分がなくなってしまったり、重くて扱いづらくなったりします。
ここで、はじかれてしまった〝使えない〟いわば規格外原木は、チップ状に細かく砕かれて製紙用パルプやバイオマス発電に使われてきました。
シイタケ原木になるために植えられた木が、適切な太さで収穫されずに太くなり、約20年も育てられたのに〝用なし〟ではしのびない――。そこで、村の人たちといっしょに考えたのが、規格外のシイタケ原木を使った家具作りでした。村にデザインを提案するとすぐに好意的な反応がありました。その後、さまざまな困難があっても、現場の人たちで工夫を重ねるなど前向きな協力体制が築けたといいます。
「諸塚村には、組織化し行動に移す熱い方がいらっしゃいます。諸塚の人たちの理解と熱意、そして協力があってこそ、家具作りが成功したんだと思います。どちらか一方だけではダメなんですよね。お互いにやる気がないと成り立ちませんから」
「こちらの提案やアドバイスに『良い良い』とうなずいても、実際に行動に移す人は限られます。現地に1人でも周りをたばねて、リーダー役あるいは連絡役となる人が必要なんです。家具や空間づくり、ひいては地域づくりの当事者であり主役であるのは現地の方です。私たちは、販売も含めサポートすることに徹します」
地元には家具を製造する工場はありませんが、近隣地域の技術を生かそうと家具作りは諸塚村のおとなり、美郷町の建具屋に依頼。ベテラン建具屋の職人の意見も取り入れながら、家具のデザインをまとめました。
シイタケ原木に使われるコナラを家具材にすることについて、野村さんは「正直、リスクは大きいです」と言います。
コナラは広葉樹のなかでも特にかたい材質で、しかも、木目が不均一で複雑。そのため、伐採後に乾燥させる段階から変形しやすく、くわえて、経年でも反り返りや割れが生じやすいのです。そのため、一般的には家具材に不向きだといわれています。
ですが、扱える業者が少ないからこそ、「家具の個性」になるのでは。そうとらえて、あえて困難な状況にいどみました。
木を伐採する時期、木材の乾燥期間や環境、保管の時期や方法、そして、木材の厚みを微調整するために家具のデザイン変更……伐採から加工に至るまで、村の人たちと協力しながら、行程ごとに試行錯誤を重ねました。製品化まで約2年がかかりました。
「コナラはとても頑丈なので、加工技術さえともなえば、長く愛用できる家具になります。ただ、木の家具は生き物なので、日常的な世話も必要です。変わりゆく風合いや、ついた傷にも愛着を抱きながら長く使ってもらいたいです」
ところで「ワイス・ワイス」がこだわる国産材の利用。国産の木材が使われなくなってしまうと、一体どのような問題が起こりうるのでしょうか。
野村さんは、(1)土砂災害が多発しやすくなる、(2)地球温暖化、(3)二酸化炭素の増加、(4)異常気象、(5)きれいな水の確保が難しくなる、を挙げました。
「日本は国土の7割が森林です。手入れが行き届かなくなった森は暗くなり、地表に光が届きません。すると、多種多様な小さな植物や微生物が育たずに生態系が崩れてしまいます。生物多様性が失われるということです」
「人が手入れをすることで、森に光が差し込み、風が通り、健康な森になります。地表を直接雨がたたき、泥水が集まり、河川に流れる……木の根が豊かに張り巡らされると、土はやわらかくなり、土は根によってつかまえられている状態になります。森の成分が川に溶け込んで海に注がれるので、日本の海は豊かなんです。漁業にたずさわるかたのなかには、森の手入れをしたり木を植えたりするかたもいらっしゃいます」
それでは、国産材をより生かしていくためにはどのようなことが必要なのでしょうか。
野村さんは「木の出口、すなわち、木を使う市場をつくること」と考えています。
消費者に国産材を使う意義を知ってもらい、建築や家、家具や生活道具を買ってもらう社会にする――。
「その過程では、さまざまな課題が絡んでくるはずです。それぞれが独立した問題ではありません。諸塚で起こっている過疎化や高齢化も、建築や家具に関わってくることなんですよ」
野村さんがよく口にするのは、「家族や子どもが増える社会にしよう!」という言葉。ここには、血のつながっていない、友人や仲間とのパートナーシップも含むそうです。
「人が集まる所には、必ず空間すなわち建築や家そして家具が必要になります。身近な人や子どもと過ごす環境を思えば、大切な道具とモノを買うでしょう」と野村さん。
「自分ごととして行動してもらうためには、モノをまっとうするまで大切に使って受け継いでいくような、そういった心を育てる教育をしていく必要があると考えています」
「自分たちが手がけた家具で、誰かと誰かの間に縁を生むことができたなら、それが一番のやりがいですね」
そう語る野村さん自身にも、このシイタケ原木の家具がきっかけとなって恵まれた特別な縁があります。
シイタケ原木の木が伐採される諸塚村内の全3校に通う小学6年生は全員、同店を訪れるのが毎年夏の恒例行事になっています。東京で、地元のことを知る学習の一環で、交流は2012年から続いています。
野村さんは、諸塚村の子供たちにもらった手紙や送られてきた学習の成果物を見返しながらこう話します。
「最大のモチベーションは、まさに、こういうことです。本当にうれしい。子供たちからもらった手紙を読んだ時は泣きました。諸塚との縁もずっと大切にしながら、代々引き継がれる一生物の家具作りに携わり続けたいです」
同社が国産材を使うと方針を定めてから約12年が経ちました。「現時点の達成率は約8割」といいます。
「80年代は家具業界全体が右肩上がりで発展しました。ですが、バブルがはじけたことで不動産業の勢いが弱まり、新規出店のとりやめが相次いだほか、建物が建たない状況になりました。当然、家具も売れなくなりました。また、デフレスパイラルにより低価格競争が激化。外国からの安価な木材が大量に輸入されるようになり、〝国産の木を扱う林業製材業のかたが食べていけない時代〟になりました」と野村さん。
「林業、製林業、建設業、流通などの現場が安価な外材に傾倒してしまったほか、『国産の針葉樹は扱えるけども、広葉樹はまったく扱えない』というケースも増え、多様な木材に関する知識を持つ人自体が大幅に減ってしまいました」
だからこそ、野村さんは、ともに国産材を使った家具製造にたずさわり、木に関わっている全ての職人や生産者に対して、こんな思いを明かします。
「発注書の紙1枚を渡して終わり、なんてありえません。手と手をとりあって顔を合わせて一緒にやっていきたい。木という何十年、何百年もかけ代々育てて収穫する長いサイクルの仕事をこれからもどうか誇りに思ってほしいんです」
今後の展望を交えながら、家具を通じて実現したいことをこう語ります。
「たとえば、一脚6万円のイスは果たして『高い』といえるのでしょうか。接する時間、使う期間、使う人との距離。いろんな要素で〝価値〟や〝豊かさ〟について考えることができると思うんです」
「これからも自問自答しながらですが、家具を通じてそうした〝本当の豊かさとは何か〟広く問いかけ続けていきたいです。どうしたら豊かに暮らせるのかを考えていれば、周囲の人やモノも大切にできると思うのです」
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「ワイス・ワイス」表参道店は、来店に完全予約制を取っています。家具をじっくり見てもらい、家具の経年変化や手入れ方法について時間をかけて説明するためです。来店予約や問い合わせは、ワイス・ワイス表参道店(03・5467・7001)へ。
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