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連載

#10 遁走寺の辻坊主

ぼくは負け犬? 陰口におびえて……辻仁成が坊主となって答えます

若者の悩みに「遁走寺の辻坊主」の答えは……=イラスト・山田全自動
若者の悩みに「遁走寺の辻坊主」の答えは……=イラスト・山田全自動

作家の辻仁成さんがお坊さんとなって10代の悩みに答える「遁走寺の辻坊主」。男子高校生の「自分に対する陰口に振り回されたくない」という相談に、辻坊主が授けた教えとは?

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今日の駆け込み「悪口陰口におびえています」

ちょっと腹が出てきたので腹筋をしておったら、猫の百地三太夫が腹に飛び乗ってきた。
みゃあ。
あのな、手伝わなくてよい。邪魔だ、あっちいけ。
みゃあみゃあ。
いいから、重いっちゅうのに。あっち行けよ、三太夫!

「あの、お取り込み中すいません。辻坊主さんでしょうか?」
わしは腹筋をやめて、声の主を振り返った。
「そうだけど、何かわしに用かな?」
わしは三太夫をどけて、濡れ縁に座り直し、取り繕った。
「高校一年の戸田雄二です」
「戸田君か、はじめまして、わしがここの住職、辻坊主じゃ」
「はい、和尚に相談すればいい、と友人にすすめられました」
「どうした? 何かあったかな」
「はい、陰口が聞こえてくるんです。ぼくの友人が教えてくれます。隣のクラスの子がぼくの悪口を言ってるって」
なるほど、と三太夫が猫語で言った。
「辻坊主、気にしないようにと思うんですけど、聞こえてくるので腹が立ちますし、でも、だからって文句を言いにいけません。ぼくはこのまま負け犬でいればいいんでしょうか?」
三太夫が催促するような目で、わしを見上げた。
やりにくくてしょうがないので、三太夫を無視することにした。

「戸田君、気にならない方法を教えてあげよう」
「そんな方法があるんですか?」
「あるよ。たいしたことじゃない。方法と偉そうに言えるほどのものでもない。気持ちの持ち方次第でそれは気にならなくなる」
「どんな方法でしょう?」
わしは境内に下りて、戸田君を見つめた。
「まず、第一に、陰口というのは直接本人に言えない根性のない人間がやるもっとも卑劣な時間つぶしなんだ。そういう弱い人間から発せられる言葉だから陰の口と言われている。根性なしの発言にびくびくする必要はないだろ」
「……はい」
「第二に、悪口を言う人間は悪口を言うしか自分の存在を表せないダメ人間なんだ。そういう人間らの言葉で君が弱る必要などない。ダメなやつらが遠くで吠えていると思えばいい。相手にする相手じゃない。そうだろ?」
「はい」
「第三に、なんかそいつらが君について文句を言いたいということは君が目立っている、つまり、彼らにしてみれば癪に障る存在だとうことで、ようは嫉妬なんだよ。ということは君からすればそれは勲章なんじゃないか? 君の方が頑張ってるから、ちっとも頑張れない連中が、くそ、とか思ってるのに過ぎない。だろ?」
「あ、はい」
「第四に、君が悪口を言っちゃいかん。彼らと同じ土俵に下りることになる。自分を下げる必要はない。上の相手と勝負しなさい。こういう連中は軽く無視しておけばいい。わかりやすくするために、陰口が届いたら、辻坊主に言われた通り軽く無視、と声に出しなさい。それで済む。そうじゃないか?」
「はい」
「第五に、悪口や陰口というのは実は邪気の塊なんだ。人間の悪い感情が生み出した負のエネルギーに過ぎない。そういうことを言ってる人間というのはだいたい邪気に蝕まれておる。いい人間はぜったい悪口を言わない。悪口、陰口を好む人間はわしの経験上必ず邪気におかされているので、彼らの方こそ将来が危険だ。むしろ可哀想な人間と言えるだろう。邪気を受け入れるしか他に生きていくことのできない人間どもだ。相手にする必要もなければ、そういう人間の言葉に心を痛める必要はない。邪気がうつるので無視でいい。だろ?」
「は、はい!」

「だいたいそんなところだけど、これでもまだ君は苦しいかな?」
「みゃあ」と三太夫が叫んだ。
「ほほ、その通り。この子が今、わしに代わって君に言ったよ」
「なんて?」
「誰の人生だって」
「……はい」
「自分の人生じゃないか、人の悪口なんかで振り回されるな。そういうものも人生の訓練だと思え、そこを切り抜けることで君はもっと高いレベルに上がることが出来る。ゲームの中で出てくるしょうもない障害物に過ぎない。相手にもならないから、ぴょんと飛び越えて先に行く、でいいんじゃないか。ただ、一つだけ、わしからの忠告がある」
「なんでしょう?」
「もしも、誰かがそこにいない人間の悪口を言い出したら、その輪の中に一緒にいちゃだめだ。即刻そこから離れろ」

戸田君がわしをじっと見つめた。
わしは再び段を上り、戸田君の横に腰を下ろした。
「邪気がうつるからじゃ。君は綺麗な心を持った人間で居続けなさい。わかったかな?」
戸田君が笑顔になった。
「はい、辻坊主、気持ちが楽になりました」
みゃあ、と三太夫が鳴いた。
一件落着、と言ったのである。
「しかし、これからも様々な事件が訪れる。その一つ一つをこうやって解決していくことが大事だ。そうやって人間は強くなっていく。強い人は苦しんだ経験があるからこそ優しくなれるんだ。そのことだけ、最後に追加しておきたい」

辻仁成(つじ・ひとなり)1959年、東京都生まれ。『海峡の光』(新潮社)で芥川賞、『白仏』(文芸春秋)で仏フェミナ賞外国文学賞。『人生の十か条』(中央公論新社)、『立ち直る力』(光文社)など著書多数。

山田全自動(やまだ・ぜんじどう)1983年、佐賀県生まれ。日常のふとした光景を浮世絵風イラストにしたインスタグラムが人気。著書に『山田全自動でござる』(ぴあ)、『またもや山田全自動でござる』(ぴあ)。

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