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リングに崩れ落ちた13歳の少年 危険と引き換えに闘い続けた現実
昨年、タイの伝統格闘技、ムエタイの試合で13歳の少年選手が亡くなりました。打たれたパンチによる脳への衝撃が死因でした。5歳で競技を始め、174戦目の試合。「危ないから」と家族から止められながらも、彼にはムエタイをやめられない理由がありました。(アジア総局員兼ヤンゴン支局長・染田屋竜太)
アヌチャー・タサコ君は2018年11月、バンコク郊外の臨時会場のリングに立っていました。第3ラウンド、1分を過ぎたところで左のアッパーを受け、ダウンします。
すぐに起き上がりましたが、今度はロープ際に追い詰められ、数発打たれると、体から力が抜けたように崩れ落ちました。意識が戻らぬまま、2日後に亡くなりました。
「全ての準備はうまくいっていた。試合前も何の異変もなかった。運が悪かったとしか言いようがない」。目を伏せたまま、アヌチャー君の伯父、ダムロンさん(49)は話します。
アヌチャー君がムエタイを始めてからずっと付き添ってきた唯一のコーチ。格闘技の経験はなく、大学で運動生理学などを学んだ知識を生かして地元で開いたムエタイ教室に、「僕もやりたい」とアヌチャー君がやってきました。
こぶしだけでなく、足技も重要なムエタイ。「レック(アヌチャー君のニックネーム)のひざの使い方は、他の子どもではできない。やわらかく、鋭い。間違いなく才能があった」とダムロンさんは思い出します。
初めは地方の小さな大会から、勝ちを重ねて少しずつ大きな大会に行けるようになったところでした。「試合前、必ず私のところに来て緻密な戦略を話してくれる。頭の良い子だった」
でも、なぜ命を落とすまでムエタイをやらなければいけなかったのでしょうか。ダムロンさんは初め、「あいつはムエタイが好きだったから」と繰り返しました。でも、話を聴いていくうちに、「家族のためにも放り出すことはできなかったんだ」と教えてくれました。
アヌチャー君はタイの首都、バンコク生まれ。でもすぐに東北部、カラシン県の小さな村に移ります。3歳の時、両親が離婚し、母親とともに祖父母の元で暮らすことになったのです。
その後、母親は韓国に出稼ぎに。「じいちゃん、ばあちゃんに子どものように育てられた」とダムロンさんは言います。
それなら、とアヌチャー君の祖父母に話を聴きに行きました。教えてもらった住所には、きれいな色をした壁の平屋がありました。迎えてくれた祖父のブーントンさん(77)と祖母のスビンさん(76)は、「この家は、レックがいなかったらできていなかったんだよ」と言います。
ここで兄(15)と祖父母と4人暮らしをしていたアヌチャー君。「とにかく他人にやさしくて、いつも家族の事をきづかう子だった」とスビンさん。「朝は午前4時半に起床、すぐにランニングに行って、戻ると家族の朝食の用意。学校から帰ってくるとまた練習、それから夕食をつくってくれる。いつも家族の事を考えてくれた」
家の近くには、タイヤがくくりつけられた丸太がありました。「これはレックが自分でつくったトレーニング道具。引っ張って体を鍛えていた」。祖父のブーントンさんが教えてくれました。「寝ても覚めてもムエタイのことばかり話していた」というアヌチャー君ですが、学校での成績はいつもトップ。勉強も手を抜きませんでした。
「これを見てください」。スビンさんがファイルを見せてくれました。そこには、アヌチャー君の戦跡が全て手書きで書き込まれていました。「地方に試合に行くときもついていっていた。勝ってうれしそうな顔をするのを思い出します」とまた、声を詰まらせました。
でも、スビンさんはムエタイを続けることが心配だったと言います。タイのムエタイには、年齢制限がありません。ヘッドギアをつけないことがムエタイ界では「常識」となっていて、小さな子どもたちの脳への衝撃を懸念する専門家も少なくありません。
「あんなに殴られて平気なの。やめた方がいいんじゃないか」。スビンさんがきくと、アヌチャー君は、「心配しないで」と笑顔で返しました。「僕がやめたらみんなが困っちゃうよ」
実は、ブーントンさん夫妻の収入は1カ月に年金の1800バーツ(約6400円)だけ。暮らしを支えていたのは、アヌチャー君のファイトマネーでした。「もらった2千バーツや3千バーツの賞金を全部、渡してくれた」とブーントンさん。生活費はもちろん、家の修繕もほとんどはアヌチャー君がムエタイで稼いだお金だったといいます。
「あの子の優しい言葉に甘えてしまった自分が恥ずかしい。無理にでも止めていれば……」とブーントンさんは話しました。
アヌチャー君の事故後、タイでは少年の試合での防具装着の義務づけや、年齢制限を設ける声が高まりました。でも、実はルールの厳格化は進んでいません。
ボクシング・スポーツ委員会のプラサート・タンミー部長は、「子どもたちの安全を守るためには対策が急がれる。ただ、反対する意見も多く、なかなかうまくいっていない」と打ち明けます。
公営競馬以外は原則的に賭博が禁止されているタイですが、ムエタイ会場では賭けが横行しているといいます。アヌチャー君のコーチだったダムロンさんは、「賭けの対象として強い刺激が求められ、ヘッドギアの義務化に反対する人は多い」と言います。
実際にバンコク郊外の試合会場に行ってみました。屋内市場の横につくられたリング。午後6時を過ぎると、薄暗い中に人々が集まり始めました。その中には、小学生くらいの少年選手も。伝統音楽が流され、オレンジの照明がともされると、観客がリングの周りに集まり、会場の気温がぐっと上がりました。
ゴングが鳴り、少年たちが拳を交えます。リングサイドからはトレーナーらが大声で指示。記者は、自分の息子(10歳)と同じくらいの子どもたちが本気で殴り合い、時にはひざからダウンする姿を見ると、胸を締め付けられるような気持ちがしました。
ふと、周りを見回すと、リングサイドの数人が指を立てたり、手をひらひらと動かしたりしています。観客の1人にきくと、「どちらが勝つか、賭けの合図だ」と教えてくれました。試合後、観客と現金をやりとりする人たちもいます。しかし、近づくと手で追い払われ、話を聴くことはできませんでした。
この試合の主催者に聴くと、「ムエタイの賭けは禁止だ。我々は何も認めていない」と話します。でも、観客の男性の1人は、「ムエタイで賭けるのは当然だよ。それが楽しみで来ているんだ」と言います。
判定で試合に勝ったポーンピタック・ウィサティ君(11)に話を聴きました。「今日の相手は強かった。勝てて良かった」。笑顔で話します。これまで12戦9勝。もらった賞金の半分は両親に、半分は貯金しているといいます。
右手には、今日の試合でもらった1千バーツが握りしめられていました。目に入る汗も気にせず、「この国で一番の選手になりたい」と話してくれました。
子どもたちはどんな気持ちでムエタイをしているのか。バンコクのムエタイジムを訪ねると、10人ほどの中で、1人の女の子が汗だくになって練習していました。
プンラピー・ペチュライさん(15)。「大きな大会に出て有名になりたい」と話します。父親はバイクタクシーの運転手。プンラピーさんが稼ぐ月5千~6千バーツは家族の生活の支えです。
「試合中に亡くなった子どももいる。怖くないの」ときくと、「怖くない。もっと強くなりたい」と話します。ただ、「お父さんは私がけがをするのがいやで、ムエタイには反対しているの」と少し小さな声で言いました。
このジムを運営するデンサック・ムンタルンパさん(58)は、「子どもたちは自分の意思でムエタイをしている。我々はけがをしないようにトレーニングをしている。どんなスポーツにも危険はつきもので、ムエタイだけ特別視すべきではない」と話します。
子どもたちがリング上で必死に闘っている姿に少しつらくなった後、まっすぐな目で「ムエタイが好き!」と話す彼らを見ると、記者はさらに複雑な気持ちになってしまいました。日本ならまず「子どもの参加を禁止しよう!」となるだろうし、それが当然と思えます。
ただ、タイにはこれまで積み上げてきた伝統や文化があり、ムエタイに関わる人たちがそれを変えるのに苦労している様子がわかります。純粋な気持ちで競技をする子どもの命が失われることは、二度と起こらないでほしいと願っています。
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