IT・科学
「スマホで無駄時間」解決アプリがヒット、学生エンジニアの家庭環境
羽柴彩月さん(22)は、高校2年で作ったアプリ「Stuguin」が、いきなり15万ダウンロードを記録しました。今は慶応義塾大学に通いながら、国内の大手IT企業でインターンを続けています。大学に入るまでは愛知県に住み、自分専用のパソコンを持ったのは高校生の時という環境。そこから、どうやってヒットアプリを生み出せたのか。「誰かに勝ちたいではなく、自分に何ができるのかを考える」という羽柴さんの言葉から、Z世代の才能の開き方を考えます。
大学が休みの日でも、インターンがあり、忙しい日々を送っているという羽柴さん。
「Stuguin」の次にどんなアプリを作ったのか聞いてみると、「作ったけどリリースまでしていません」。
「他のアプリをリリースすると、Stuguinの運用を止めてしまいそうで。大学で研究しながら、Stuguinをアップデートしていると、いっぱいいっぱいで考える余裕がありませんでした」
大学1年から研究室に所属し、プログラミングキャンプのメンターやIT系企業でのインターンを続けてきました。メンターを通じて、新しい技術、実用的技術を身につけると同時に、就職につながる可能性を感じています。
これまでにインターンをした企業はサイバーエージェント、クックパッド、メルカリ、グーグル……。誰もが知っている企業ですが、誰でもインターンができるところではありません。
「インターンといっても、社員と同じようなことをしています。研究よりスピード感があって新鮮です」
そんな羽柴さんが高校まで過ごしたのが、愛知県の知多半島でした。初めてプログラミングと出会ったのは中学2年の時です。友だちの間で、自己紹介サイトを作るのがはやっていました。そんな中で「ちょっとみんなと違ったものを作りたい」という気持ちが芽生えたそうです。
決まったテンプレートがあるものの、「ここの数字を変えれば色が変わる」――。ウェブデザインの入り口でしたが、そのときはそれがプログラミングだとは気付いていませんでした。
中学時代は剣道部、高校時代は放送部に入り、パソコン部で活躍していたわけではありません。
ただし、パソコンには保育園児のときからふれていたそうです。祖父にメールをだしたり、フラッシュゲームで遊んだり、そして中学生のころはアメーバピグがはやっていました。
「ニコ動やウェブサイトを見るのが好きで、いつもネットサーフィンをしていました」。パソコンは、リビングにあった家族共用のもの、自分のパソコンを手にしたのは高校生になってからでした。
転機となったのは、高校受験を終え、高校1年で大学の進路希望を出すように学校に求められたからです。何にしよう? そう考えていたとき、父親が新聞記事で読んだプログラミングキャンプを勧めてくれました。
「父親に紹介される前から、コンピューターサイエンスやプログラミングする人がかっこいいと思っていました。その世界に憧れを持っていたので、ポジティブな気持ちを持って参加できました」
それが一時的な関心でなく、アプリをリリースするほど熱中できたのは、SNSの力もありました。キャンプに参加した仲間とメンターによるFacebookグループが作られ、地元に戻った後も相談できました。学びを継続してもらう一つの仕掛けでもあると同時に、SNSを適正に使うことを体験する場にもなっていました。
「当時の私は、バグが見つかっても一人で解決する力がなかったので、SNSでアドバイスをもらえる環境は大いに助かりました」
高校生になって初めて手にしたスマートフォン。ツイッター、インスタグラムにはまって勉強に集中できない……。自分でも何とかしたいと思っていた時、「スマホさわっちゃう問題」を解決するアプリが出来るのではないか、と思ったそうです。アプリ「Stuguin」はこうしたひらめきから開発が始まりました。
「スマホをさわり始めたら、自動的にツイッターでツイートされるようなソーシャルなペナルティーを付けたらそうか」
「かかった時間で何かが育つのは」
「友だちが勉強しているのが可視化されれば、自分もスマホいじりをやめて勉強するきっかけになるだろう」
「どうしたら、自分がやる気になるのかな」
高校2年の夏に開発を始め、センター試験当日の翌年1月にリリースしました。そして、2014年に開かれたアプリ甲子園で5位に輝き15万ダウンロードを記録しました。
なぜ、そこまで受け入れられたのでしょうか? 羽柴さんは「機能がたくさんあるアプリは、ユーザーからすると多すぎて、広告がいっぱい出てきます。そうではない、シンプルで、使いやすくて、見た目がかわいいという視点を大切にしました」と話します。
そんな羽柴さんでもインターン中に「きれいなコード」が書けず、泣きながら帰ることがあるそうです。
「求められている状況に自分が応えられないのがつらい。自分の力では、超えられないのかなとも思いますが、でもやめようとは思いませんでした」
海外の文献を含め、知識を積み重ねていきました。
昔は、本を書いている人たちとの実力差を感じつらい気持ちになることもあったそうですが、今は比べる必要はないと思えるようになったそうです。
「自分がプログラミングを続けているのは、この人たちに勝ちたいからではなくて、純粋に面白くて、ユーザーに届けたいからやっているんだと考えられるようになったからです。だから、今は、自分に何ができるのか、考えるようにしています」
インターン先のメンターとの出会いも羽柴さんの考え方に影響を与えました。いいエンジニアになるために、本を読んで毎週報告するように求められたそうです。そして2週間に1回のペースで、技術記事を書いて公開していく――。そこでメンターに「いいね」と言ってもらえることを繰り返すうちに、「自分はエンジニアの中で埋もれてしまっている」と思わなくなったそうです。
10年後の自分について尋ねてみると、「海外で働いていたいですね。例えば、Airbnb(エアビーアンドビー)とか、Uber(ウーバー)とか、イケイケのベンチャーでガンガン開発をしていたいですね」。
「大きな会社だと、インパクトが大きくて、ユーザーがたくさんいますが、自分が作っている感じは薄くなってしまうのではないかな」
「ベンチャーだけど、世界に与える影響が大きい企業で働きたいです」
羽柴さんのようなイノベーターが生まれてくるためには、どのような環境が必要なのでしょう?
「プログラミングをしていることが好きだという気持ちを大切にしていきたいです。みなさんに伝えたいのは、それがプログラミングでなくても、情熱を持って、夢中になれることを突き詰めていけば、やりがいがある人生になるということです」
子どものころ、インターネットで遊んでいて親から怒られることもあったそうです。でも、そこで「禁止」にはなりませんでした。
「好きなことは必ず仕事にできるので、遊びだからと言って無理やりやめさせるようなことはしないで欲しいですね」
強調したのは「ポジティブな気持ちを抱かせる環境」。
「プログラミングを始めた時に感じた『めちゃ楽しい』という気持ちがなかったら、インターン先での高い壁を乗り越えられず、プログラミングをやめてしまっていたかもしれません。最初のときに、楽しい、あこがれ、といった自分の中から出てきたモチベーションが大切だと思います」
「家には本がたくさんありましたが、私が食いついたのは高校2年のときに父親が知らせてくれたプログラミングキャンプの案内です。親たちは、色々な扉を子どもに提供してあげて下さい」
羽柴さんは、大学に合格し、東京に出てきました。
「東京のおしゃれなカフェに、気軽に行けなくて、会う人も刺激的な人が多いです……。世界の広さが違います」
その感覚は今も続いており、その世界の広さを求めて「日本にずっと居るのも自分の世界を狭くしてしまう」と考えています。いずれ海外で挑戦したいと考えるようになったそうです。
「ユーザーが直接使ってくれるものを作りたい。世界にモノを送り出したい」
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ジェネレーションZ(Z世代)が、輝きを増しています。生まれたときからインターネットが当たり前のように存在する「デジタルネイティブ」な世代。クリエーティブな発想とプログラミングという技術を使って時代を切りひらく、令和時代のイノベーターたちの生き方に迫ります。