IT・科学
「タイピングが上手な少女」が全国屈指のアプリ開発者になるまで
作ったアプリが次々とアプリ甲子園で紹介された西林咲音さん(18)は、その実績が認められ慶応義塾大学に入学しました。ITのスキルが教育現場でも注目される時代、当事者である西林さんは「エンジニアは通過点」と言い切ります。子どものころからバトントワリングや体操、ピアノなどを習い、今もアカペラサークルに入るなど「コードを一人で書き続ける」生活とは無縁です。Z世代の当事者が、今、何を見つめているのか。「やりたいことを絞らない」西林さんの生き方から考えます。
「Hub」「Calm」「Memorie」「Gerdy」
西林さんが、高校1年生から今までにリリースしたアプリです。
「何か面白いことしたいな、と日々アプリのネタ探しをしていたら、急に思いつきました」
最初にリリースした「Hub」はいわゆる脳トレ系のアプリ。30秒以内に、9枚のカードの中から、お題と、色やかたち、文字色の全てが異なるものを選ぶ、「仲間はずれ」を探すゲームです。どこにでも空いた時間に簡単にできます。
2017年のアプリ甲子園の決勝大会で紹介された「Calm」は、西林さんが片頭痛という持病を持っていたことから生まれたアプリです。アプリは授業の欠席をカウントしたり、体調を崩した日を日記として書き込めたりします。このアイデアも「体調を崩して高校を早退して家に帰る車の中で降ってきた」そうです。
「Memorie」は2016年アプリ甲子園の決勝大会で紹介された、音楽付きのスライドショーを簡単に作れるアプリで、友だちにオリジナルの動画をプレゼントしたいという思いから開発がスタートしました。
最新のアプリは「Gerdy」で、出来事を時系列的に記録していき、それを草で可視化することでモチベーションをアップさせるロギングアプリケーションです。「毎日頑張って、あなただけのアマゾンをつくりましょう!」がキャッチコピーです。
今年4月、これまでの実績が評価されて希望の大学に入学しましたが、今、こんなことを感じています。
「私が最初にいい物を作ろう、トップランナーになろうと思って開発していても、3カ月後に企業がまったく同じコンセプトのアプリをリリースすることがあります。ITの世界はスピードが勝負だと実感しています」
西林さんが初めてパソコンに触れたのは、幼稚園の頃だったと言います。両親は共働きのため、幼稚園や小学校が終わった後は自宅近くの祖父母の家に預けられていました。そこにあったデスクトップ型のパソコンにあるゲーム「ソリティア」をやったり、ワードで文字を打って印刷したりしたことが出発点でした。
「明確な理由はなかったですけど、小学生の頃はパソコンが好きでした。何かを磨くのが好きなところがあるので、5、6年生のパソコンクラブではタイピングを極めました。その頃は、まだプログラミングということを知りませんでした」
パソコンのタイピングが上手な少女――。中学受験をしていますが、スマートフォンを買ってもらったのは、中学校に入学してからでした。
「中学1年のときは、スマホにはフィルタリングがかかっていましたし、アップルIDは母親が管理していました」
バトントワリングの部活をしつつ、中学2年の夏休みに参加した中高生を対象にしたプログラミングキャンプが転機になったそうです。
「学校ではマックブックを授業で使っていましたが、中学生でアプリなんて作れるの? という感覚でした」
慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスを借りて開かれた5日間のキャンプ。大学生がメンターとして付き、カウントダウンのアプリを作りました。簡単なコードですが、「勉強していったら、SNSやお買い物、写真……何でも作れるんだというワクワク感がわいてきました」と振り返ります。
キャンプはレンタルパソコンで参加し、自分のパソコン「マックブック」を買ってもらったのはキャンプの後です。プログラミングのスクールに通い、その中で技術を身につけ、アプリ甲子園にチャレンジし、高校1年と2年の時にはファイナリストの10人に選ばれました。特に高校2年の「Calm」は、全国で5位の成績。
「ますますエンジニアになりたいと思いが募っていきました」
大学受験を終え、高校3年の冬からは、ベンチャー企業でのインターンをし、エンジニアとして活躍し始めています。
最終ゴールは何か? 大学生になり、こう考えるようになってきたそうです。
「私がなりたいものはエンジニアだけど、私が伝えたいことは別なもの……」
「エンジニアは通過点」
今、技術や教育に興味を持っているそうです。
「勉強が直接的に役立つ実感が、大学や社会で得られていません。英語もテストのスコアでなく、コミュニケーションのためですよね。義務感で勉強する教育になってしまっているので、ほとんどの人が勉強嫌いになってしまっているのだと思います」
大学では幅広く学びたいと考え、技術系や教育系の講座を受講するとともに、法律やマーケティング、データ解析なども身につけていきたいといいます。
プログラミング教育の必修化が始まりますが、西林さんは義務感でプログラミングを学んだわけではありません。
「プログラミングキャンプやスクールを通じて、こういうアプリを作りたい、アプリ甲子園に出たい、最高のアプリを世に出したい、と考えられるような楽しさやその後のイメージが出来たから続いたんだと思います」
「パソコンやプログラミングというと、1人でじっとパソコンに向かっているイメージを持つ人が多いと思いますが、常にグループのメンバー同士で学び合ったり、すごいねと褒め合ったり、そして大学生のメンターが一生懸命サポートしてくれました。そんな学ぶ環境作りって大切だと思います」
「黙々とコードを書く子もいれば、自分が向かないと気付く子もいます。それでいいんだと思います」
「メンターの大学生は、私たちからするとちょっと先を行くロールモデル。実は私もそのロールモデルの先輩をいつか追いつきたい、追い越したいと思ってここまできました」
西林さんは、趣味がパソコンのみというわけではありません。普通の子どもと同じように、様々な習い事や部活動も経験してきました。
「両親には、やりたいことをやらせてもらいました。3歳からバトントワリング、その後、華道、体操、ピアノ、そして学習塾。そして中学生になって参加したプログラミングキャンプ。見守るような、あたたかい環境がありました」
そして西林さんに大きな影響を与えたのが、身近な存在である母親の生き方でした。主婦をしながら、祖父の秘書、インテリアコーディネーターなどをするかたわら、オンラインで大学にも通っているそうです。
西林さんも今、授業とインターンでエンジニアとしているだけではありません。起業支援サークルやアカペラサークルに入り、毎日を楽しみながら自分の幅を広げています。
「マルチタスクですが、計算が崩れると焦ったり、不安になったりすることがあります。それを支えてくれるのは、家族や友だちがいるから。だから、環境は大切なのです」
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ジェネレーションZ(Z世代)が、輝きを増しています。生まれたときからインターネットが当たり前のように存在する「デジタルネイティブ」な世代。クリエーティブな発想とプログラミングという技術を使って時代を切りひらく、令和時代のイノベーターたちの生き方に迫ります。