連載
#8 遁走寺の辻坊主
将来なんて今、決められない……辻仁成が坊主となって答えます
辻仁成さんがお坊さんとなって10代の悩みに答える「遁走寺の辻坊主」。18歳の少年が相談した「自分がやりたいことがわからない」という悩みに、辻坊主が授けた教えとは?
【連載:遁走寺の辻坊主】
作家の辻仁成さんがお坊さんとなって10代の悩みに答えます。「頑張れない自分は『負け組』ですか?」「たいして仲良くない友達との会話がつらい……」。辻坊主の答えが心に染みます。
早朝にもかかわらず、一人の若者が相談にやってきた。
見た感じは悩みのある子には見えない。
にこにこ笑顔だし、自己紹介もきちんとできたし、何より利発そうだ。
「いったい、こんなに朝早く、どうした?」
わしが問いただすと、微笑みながら、「悩んでいます」と近寄ってきた。
「そろそろ進路を考える時期なんです、私は18歳だから。でも、まだ猶予がほしいんです。受験勉強をするのか、たとえば進学しないで、バイトとかしながら、将来の職業など自分のやりたいことをじっくり考えるか……」
なるほど、と猫の百地三太夫が猫語で言った。
「つまり、自分がやりたいことがまだ定まっていないんです。辻坊主、どうしたらいいでしょう?」
相川真紀君の、18歳らしい切実な相談であった。
「面白いことに、昨日も、一昨日も、君と同年代の子たちが、同じような相談をしに、やってきた。でも、わしからするとそれは悩みではない」
「え、どういうことですか?」
「真紀君、君は遁走寺に行けば、相談に乗ってくれる親切な坊さんがいる、と誰かに言われてやってきたんじゃないのかね?」
「そうです。友達に言われて」
「昨日の子もそうじゃった」と三太夫が横から割り込んできた。
でも、猫語は真紀君には通じない。
「じゃ、聞くが、18歳まで一度も自分の進路について考えずに来たのかね?」
「え? あ、そうじゃないですけど、そろそろタイムリミットだから」
「そのタイムリミットというのは誰が決めた」
「え?」
相川真紀君が考え込んだ。
「あ、あの、たぶん、世の中的な決まりがあるんです。高校三年生になるとこの問題は全員に向けられるので」
「でも、一生の大事な問題なのに、学校や社会から言われてはじめてタイムリミットに気が付いたというのかね?」
「え? ああ、そうです。週明けに先生に言わないとならないので」
わしは大声で怒鳴った。
「誰の人生じゃ!」
三太夫が濡れ縁からジャンプして真紀君の足元に華麗な着地をしてみせた。
三太夫はちょっとドヤ顔であった。
「誰のって、もちろん、私です」
「じゃあ、人から言われて君は自分の人生を決めるのか?」
「え? いや、そんなつもりはないです」
「17歳の時には考えなかったのか?」
「考えました。でも、まだ猶予があるから、と思って……」
相川真紀君はわしの言いたいことが分かったようで、うつむいてしまった。
みゃあ、と三太夫が真紀君の周囲をぐるぐると回りながら、言った。
猶予はない、と三太夫が言った。
真紀君は三太夫をじっと見下ろしている。
「……辻坊主、確かに、私、ちょっといい加減だったかも、自分の人生に対して」
「いいかね、猶予という言葉の本当の意味は、ぐずぐずと引き延ばして、自分で決定、実行しない、ということを指す。猶予があると思っちゃいかんのじゃ。君らの場合、それは決していい言葉じゃない。先延ばしをする、延長をし続けるということになるだけで、自分をごまかしているということだ。真剣に考えさせるために、この時期に社会は君らに将来の道を迫る。だが、みんながみんな同じタイミングで一生を決めることも出来ない。どんなに早くスタートを切っても、それが自分の人生に合致しない将来であるならばずっとぎくしゃくし続けることになるからだ。そこは時間をかけて慎重にじっくりと考えなければならない。でも、同時に、ぐずぐずすることじゃない。将来については今、真剣に考えなければならない。でも、焦って自分をないがしろにして答えを急いでもそれは本当の答えとは言えない。そこをはき違えちゃいかんよ。自分の人生だからこそ、今、一生懸命将来について考えるべきタイミングだが、すぐに答えが出せないのは当然なので、時間をかけて悩んでもいいということだ。一生懸命考えもしないで、ただタイムリミットだからといって、わしのところに来ても、はい、どうぞ、これが結論です、という答えなどあるわけがない。さっと決められる問題でもない。よいか、誰の人生じゃ、ということだ。君の人生には猶予がない、しかし、君には悩む時間が無限にある、ということだ。いろいろ悩んでみたらいい。今からでもぜんぜん遅くはない。実は就職してからでも遅くないのだ。一生は長い。そういう意味では猶予がある」
「はい」と相川真紀君がすがすがしい顔で言った。
みゃあ~、と三太夫が空に向かって吠えた(猫だから、鳴いた、かな)。
よしよし、三太夫、お前がドヤ顔することじゃないだろ、とわしは諭すのだった。
辻仁成(つじ・ひとなり)1959年、東京都生まれ。『海峡の光』(新潮社)で芥川賞、『白仏』(文芸春秋)で仏フェミナ賞外国文学賞。『人生の十か条』(中央公論新社)、『立ち直る力』(光文社)など著書多数。
山田全自動(やまだ・ぜんじどう)1983年、佐賀県生まれ。日常のふとした光景を浮世絵風イラストにしたインスタグラムが人気。著書に『山田全自動でござる』(ぴあ)、『またもや山田全自動でござる』(ぴあ)。
【連載:遁走寺の辻坊主】
作家の辻仁成さんがお坊さんとなって10代の悩みに答えます。「頑張れない自分は『負け組』ですか?」「たいして仲良くない友達との会話がつらい……」。辻坊主の答えが心に染みます。
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