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突然、客席から声が……合唱部だけが知っている「歌回し」という奇跡

昨年の全国大会で、客席で歌と踊りを披露する坂出高校(香川)の生徒たち。今年も出場する有馬すずさん(3年)は「他の学校も一緒に歌ってくれて楽しかった」と話す=2018年10月、長野市のホクト文化ホール
昨年の全国大会で、客席で歌と踊りを披露する坂出高校(香川)の生徒たち。今年も出場する有馬すずさん(3年)は「他の学校も一緒に歌ってくれて楽しかった」と話す=2018年10月、長野市のホクト文化ホール 出典: 朝日新聞

目次

その感動的な場面は、毎年、自然に生まれます。日本中から選び抜かれた生徒たちが集まる全日本合唱コンクール全国大会。審査発表を待つ一番緊張感が高まる時間に、「歌回し」は始まります。1年間の努力をぶつけ合ったライバルたちが笑顔で歌い継ぐ風習は、いつしか、全国大会の象徴として憧れの存在になりました。いつから始まったのか? 実際に体験した人の感想は? 合唱経験者の記者二人がその魅力に迫りました。(朝日新聞北海道報道センター記者・天野彩、原田達矢)

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【動画】合唱コンの「歌回し」 審査待ち時間にリレーする歌の輪 出典: 朝日新聞

それは自発的に始まる

毎年10月下旬に開催される全日本合唱コンクール全国大会(全日本合唱連盟、朝日新聞社主催)の高校部門の会場で「歌回し」が始まると、結果を待つ緊張の時間が魔法のように一瞬にして和やかな雰囲気になります。

長年にわたり脈々と受け継がれてきた歌回しには、ほかにも「歌合戦」「エール交換」といった呼び名があるそうです。

歌回しは観客席にいる生徒たちが、自発的に始めます。全校の演奏が終わり休憩に入ると、会場の一角から不意に「○○高校」と呼ぶ声が上がります。指名された学校の生徒は「○○高校です」と自己紹介し、1分ほどの歌を披露。そして次の学校を呼び、呼ばれた学校はまた歌を披露します。こうして各校がバトンタッチをしながら、歌をつないでいきます。

曲は各校が自由に選び、時には踊りを交えることもあります。審査結果を待つ緊張の時間が、軽やかな歌声のリレーと拍手で包まれます。年によっては最後に、合唱の名曲として知られる「大地讃頌(さんしょう)」を会場全体で歌うこともあるといいます。

<天野記者の振り返り>私が歌回しに初めて出会ったのは、おそらく16年前の秋。所属していた名古屋市の中学校の合唱部が、創部以来初の全国大会出場を決めた年です。私は舞台には立てなかったのですが、後日購入したDVDを見ると、高校生のお兄さんお姉さんたちが客席で楽しそうに手を振っている様子が、ほんの数秒だけ収録されていました。これはいったい、なんだろう。その謎が解けたと思ったのは、赴任先の札幌で社会人合唱団に入り、「歌回し」などと呼ばれている伝統が高校の全国大会にはあるらしいと知ったときでした。

<原田記者の振り返り>「歌回し」を体験したのは鳥取で行われた第69回全国コンクールの大学・ユース部門でした。休憩時間に、私もそわそわしながら審査発表の瞬間を休憩時間の会場内は、コンクールの審査前のため緊張感や期待感で張り詰めた空気を感じます。私自身もそわそわしながら審査発表の瞬間を待っていました。すると、会場1階から突然、「関西から来た関西学院大学グリークラブです。お願いします」という声が響きました。指揮者の合図で男声4部合唱を歌い始めると、会場全体から歓声と拍手がわき起こります。それと同時に、周囲では「何を歌うのか?」とざわつき始めます。あっという間に、前の団体から「次は○○さん」と呼ばれて私たちの番になりました。慌ただしく起立し、大学の校歌を男声4部合唱で歌いました。歌っている最中も周りからは手拍子が続いていました。普段の演奏では味わえない感覚です。歌い終えた瞬間、会場全体から温かい拍手をもらったことを今でも覚えています。

「歌回し」の曲の練習をする札幌旭丘高校の生徒たち=2019年10月9日、札幌市中央区
「歌回し」の曲の練習をする札幌旭丘高校の生徒たち=2019年10月9日、札幌市中央区 出典: 朝日新聞

会場全体に走る「始まったぞ」

最初に声を上げる「リード役」は、歌回しを毎年経験している全国大会の常連校です。ここ数年リード役を担うことが多いのが、実力校の岡崎高校(愛知)です。指揮者の近藤恵子さん(74)は「休憩が始まってすぐに他の学校を呼ぶと、始まったぞ、という空気が会場全体に走るんです。全国大会でしか味わえない醍醐(だいご)味です」と魅力を語ります。

ところで、この習わしはいつ始まったのでしょうか。公式のイベントではないため、主催する全日本合唱連盟には確かな記録は残っていないそうです。連盟の会報「ハーモニー」の過去の記事では、1978年の全国大会の写真の説明に「結果発表を待つ1時間余、(中略)全会場にコーラスが渦を巻く」とあります。これが歌回しについての記述なら、少なくとも40年の歴史はありそうです。

連盟で顧問を務める野村維男さん(79)は、連盟の常務理事として長く生徒たちの歌回しを温かく見守ってきました。「賞に関係なく、大会が良い思い出になってほしいという気持ちで見ていた」と話していました。

<原田記者の振り返り>自分たちの演奏後も歌回しは続き、私の時は計11団体が歌いました。メジャーな合唱曲を完璧に歌う団があるかと思えば、アニメ「ポケモン」のオープニングを歌う団もあります。各団の歌う姿を見ていると、お祭り気分で盛り上がる人、クールなたたずまいで歌う人、恥ずかしそうな人などさまざま。それでも、共通して皆笑顔で歌います。最後の団が歌い終えると、表彰式が始まるブザー音が鳴ります。すると、会場は再び緊張感につつまれます。

1978年に函館で行われた全日本合唱コンクールで、審査結果発表前に客席で歌を披露する生徒たち=全日本合唱連盟会報「ハーモニー」から
1978年に函館で行われた全日本合唱コンクールで、審査結果発表前に客席で歌を披露する生徒たち=全日本合唱連盟会報「ハーモニー」から

「歌回しがあるから、全国にまた行きたい」

歌回しは、生徒たちが全国を目指すモチベーションにもなっているようです。

札幌旭丘高校(北海道)部長の中原風花さん(2年)は「他の高校が見せる、コンクールとは違う様子を見るのが楽しかった。歌回しがあるから、全国にまた行きたいとさらに思う」。今年もコンクール曲だけでなく、歌回し用の曲の練習にも励んでいます。同校を20年以上指導している大木秀一さん(67)も、「こうして交流できるのは、合唱本来のあるべき姿だ」といいます。

審査結果を待つ時間を使っての歌の交流は、一部の地方大会にもあるようです。福島県の合唱連盟理事長、菅野正美さん(64)が安積女子(現・安積黎明)高校に赴任した30年ほど前には、県大会でも東北支部大会でも全体合唱があったといいます。

菅野さんは「当時は部長どうしが手紙でやりとりし、曲を決めていた。ライバルどうし、しのぎを削る場のコンクールが終われば、みんな一緒に歌う仲間。そういう意識を高められるのはとてもいい」といいます。

<天野記者の振り返り>学生時代に体験できなかった私は、取材で訪れた2017年の全国大会の会場でほんの一瞬、その様子を目撃し、なんて素敵な伝統なのだろうと思いました。普段は競い合っているライバル同士が、楽しく歌う時間を共有して笑顔でたたえ合う。まさに平和を体現する時間だなと思い、ぜひ取材したいと思い続けて2年。ようやくその夢がかないました。

「歌回し」の曲の練習をする札幌旭丘高校の生徒たち
「歌回し」の曲の練習をする札幌旭丘高校の生徒たち 出典: 朝日新聞

合唱版の「ノーサイド」

歌の輪は、今も広がりを見せています。今年9月に北海道帯広市であった道大会では、全体合唱を指揮する生徒たちが現れました。

他県の大会で休憩時間に全体合唱をしているのを知り、札幌第一高校の荒木喜朝さん(3年)がツイッターで出場校に呼びかけたのです。道内4校の5人が客席で指揮し、会場に歌声が響きました。荒木さんは「思っていたよりも積極的に参加してもらえた。他の学校の人に『企画ありがとう』と言ってもらえ、つながりができた。来年以降も続けてほしい」と話していました。

<原田記者の振り返り>コンクール本番ではどうしても「この団体はうまいかどうか」、自分たちと比較して聴いてしまいます。歌回しはどういった選曲をするか、どう歌うかで、団の雰囲気や歌い手の姿が一瞬ですが見えるような気がします。今ちょうどラグビーワールドカップが開催中で、試合後にはお互いをたたえ合う「ノーサイド」という言葉を耳にします。歌回しは合唱版の「ノーサイド」と言えるのかもしれません。競い合うコンクールとは一時離れた不思議な時間だと思います。

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