連載
#23 #父親のモヤモヤ
39歳で妻に先立たれた「企業戦士」、後悔だらけの子育て 子の思いは
「悩みを共有できるパパ友がいない」――。一時的な「ワンオペ」などもあって孤立する父親の記事を配信したところ、パートナーをはやくに亡くした父親から「とにかく孤独だった」と、共感したとするメールが届きました。孤立した状況で子育てしたことについて、「後悔の念しか残っていない」と続きます。どういうことでしょうか。子ども本人にも受け止めを聞きました。
【平成のモヤモヤを書籍化!】
結婚、仕事、単身、子育て、食などをテーマに、「昭和」の慣習・制度と新たな価値観の狭間を生きる、平成時代の家族の姿を追ったシリーズ「平成家族」が書籍になりました。橋田寿賀子さんの特別インタビューも収録。
メールの送り主は、山梨県北杜市の加賀爪(かがつめ)哲さん(60)です。大手半導体メーカーに長らく勤めて転職。その転職先も、この夏に退職しました。長男と次男は実家を離れ、今は一人暮らしです。
20年前の夏、専業主婦だった妻は、がんで亡くなりました。37歳。加賀爪さんは39歳でした。当時、小学校入学を控えた長男(6)と、保育園に通う次男(3)と3人の生活が始まりました。
加賀爪さんは自らを「企業戦士だった」と振り返ります。出張や接待の日々。「残業づけの毎日でした。週2回、ゴミ袋を電柱の角におけば、自分の家事は十分だと思っていました」。その生活が180度変わったと、加賀爪さんは言います。終業のベルが鳴れば、急いで家路に着く毎日が始まりました。
「『母親がいればやってあげただろうな』と思うことは、やるようにしました」と加賀爪さん。入学式を控えた長男の体操着袋は、「妻は、手作りしただろう」と挑戦しました。ところが、「慣れないことで、ミシンが動くまでに3日かかりました」
気を張っていましたが、相談できる相手がいなかったのはこたえたと言います。何を食べさせればよいのか、洋服はどんな物を選んだらよいか。お弁当は何を入れればよいのか、すべてが手探りでした。
それでも、「ママ友」の輪には入りづらかったと言います。「話題についていけませんでした」
そして、周囲には気持ちを共有できる父親はいませんでした。会社の上司にも状況を理解してもらえなかったと言います。
こんなことがありました。
ある時、加賀爪さんは男性上司に、夕食がてら話さないかと誘われました。子どものことが気になりましたが、長男が小学校高学年になっていたので、前日からその日に子どもたちが食べる夕飯の準備をして数時間、家を空けることにしました。
当日の朝もバタバタとしました。子どもたちが支度にもたつき、余裕のなかった加賀爪さんは「早くしろ!」と怒鳴ってしまったそうです。「半べそをかきながら登校するランドセル姿の子どもたちを今でも思い出します」
この日の昼、状況が急転します。上司から電話がありました。「予定をキャンセルする電話でした。『ごめん、ちょっと用事ができた』といった感じでした」
電話を切った加賀爪さんは、悔しさがこみ上げてきました。「仕事中心で余裕のある人は、必死で時間を作ったことなんて、分からないんだろうって、もう悔しくって、悔しくって。半べそをかきながら登校した子どもたちに申し訳なくて」
一事が万事。家庭に軸足を置く生活は、働き方としては認められつつも、内実には想像が及ばないことがたくさんあったと言います。
加賀爪さんのメールには、「子育ては後悔の念しか残っていない」とありました。
「日々をやりくりすることに精いっぱいだったんです。夕食は、『栄養補給』の時間であって、だんらんの時間にならないんです。次はお風呂。その次は寝かしつけてと次がある。子どもとゆっくりかかわる時間はなかったんです」
次男が小学生の時、学校の教員から「1年間、提出物を出していない」と言われたそうです。
「まったく知らずショックでした。もっと余裕があったら、母親がいたら、ゆっくり話を聞いて、引き出していたかもしれない。そう思えて仕方ないんです」
2人の子どもは高校で野球部に。朝練に間に合うように、お弁当を持たせるため、午前4時に起きる生活が続いたと言います。帰宅すれば家事が山積み。寝るのは午前0時です。
加賀爪さんの後悔は、日々に精いっぱいでゆっくりと子どもに関われなかったことです。
今、会社員になった長男にこう言われたことがあります。
「いつもお父さんは怒っていて話を聞いてくれなかった。思い通りにならないとダメだった」
加賀爪さんは、こう問いかけます。
「『企業戦士』だった私は、ひとり親になって初めて、家事と子育てにどっぷりとつかることになりました。いや応なく仕事を切り上げなくてはいけない。夜の時間を確保するのは難しい。そうした感覚が、『男は仕事』という意識で、時間的にも余裕のある人には理解されていないと感じていました。それは、今でも同じではないですか」
記者(39)は、共働きの妻と娘(3)を子育て中です。苦労して夜の時間を確保したのに、上司にあっさりとキャンセルされた話を聞いた時、はからずも涙が出ました。「悔しい」。この感情は、我がことのようにかみしめました。
15年ほど前のエピソードだと思いますが、加賀爪さんが問いかけた感覚の隔たりは、程度こそ和らいだとはいえ、なお続くものではないでしょうか。
ところで、加賀爪さんの子育てについて、当のご本人は、どう感じているのでしょうか。
会社員になった長男の匠さん(26)がメールで取材に応じてくれました。寄せてくれた回答を最後に紹介します。
――加賀爪さんは「怒鳴ってばかりだった」と言います。いかがでしたか。
「私が父親の言うことを守らずに叱られている時に、よく刃向かって怒鳴られた記憶はありますが、当然といえば当然のことで、それが嫌な思い出だったことはありません。むしろ筋の通っていないことに対してきちんと叱ってくれて感謝しています」
――加賀爪さんとの関わりで印象に残っていることは?
「たとえ仕事が忙しくても毎日必ず18時ころには帰ってきて、晩御飯の支度をしてくれて、朝飯も弁当も必ず用意してくれました。それ以外でも、野球の応援に来てくれたり、雨の日は送り迎えしてくれたり、普通の家庭では母親がやってくれるようなことも父1人仕事をしながらやってくれていたことです。それが普通の生活だと思っていましたが、今考えてみると恐ろしくすごいことだなと思っています」
記事に関する感想をお寄せください。母親を子育ての主体とみなす「母性神話」というキーワードでも、モヤモヤや体験を募ります。こうした「母性神話」は根強く残っていますが、「出産と母乳での授乳以外は父親もできる」といった考え方も、少しずつ広まってきました。みなさんはどう思いますか?
いずれも連絡先を明記のうえ、メール(seikatsu@asahi.com)、ファクス(03・5540・7354)、または郵便(〒104・8011=住所不要)で、朝日新聞文化くらし報道部「父親のモヤモヤ」係へお寄せください。
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