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「宣伝できない」ロケ地の事情 林遣都さん主演、人口2600人の村
今年1月に82歳で亡くなった女優の市原悦子さんの遺作となり、俳優の林遣都さん(28)とダブル主演した映画『しゃぼん玉』(2017年公開)。すべての撮影を宮崎県内でおこなったこの映画には、壮大で美しい風景や豊かな地場料理がふんだんにおさめられています。公開から2年以上が経った現在も、主な舞台となった村にはロケ地に関する問い合わせがありますが、ホームページで紹介したり観光マップを作ったりといった大々的な宣伝はしていません。「宣伝したいができない」理由とは? ロケ地の〝事情〟を探りに現地を訪ねました。(朝日新聞記者・浜田綾)
映画のキャッチコピーは「これからが、これまでを変えていく」。直木賞を受賞した作家・乃南アサさんの同名小説が原作です。
若い女性と高齢者ばかりをねらった強盗や傷害事件をかさねる、林遣都さん演じる青年・伊豆見翔人。逃亡中の翔人は、宮崎県北部の山奥にある椎葉村にたどり着きます。そこで偶然出会った市原悦子さん演じる村人・椎葉スマとの同居生活、村の人たちとの交流、自然と一体化した村での暮らし……。そんな日々を通じて、翔人が自らの犯した罪の重さに気づき、変わっていく姿が丁寧に描かれます。
原作者の乃南さんは、作品の舞台を椎葉村にした理由を映画パンフレット内で「偶然だった」と明かしています。
舞台の椎葉村は、宮崎市内から2時間半ほど車を走らせたところにある山間に約2600人が暮らす村。土地の96%を森林が占め、「平家の落人伝説」が言い伝わる村としても知られています。その昔、源氏との争いに敗れた平家の人たちが身をかくす場所に選んだ……そんな伝承にも納得のロケーションです。
村地域振興課の綾美智代主幹(50)によると、映画公開後から間もなく、役場に問い合わせがくるようになったそうです。
「あのシーンは、どこで撮影したのですか?」
「椎葉平家まつりについて教えてください」
「(市川悦子さん演じる)スマさんの家に行ってみたいのですが、どうしたらいいでしょうか?」
「(作中に登場したスマの飼い犬)ゴンには会えますか?」
公開当初よりは減りましたが、今でも問い合わせはあるそうです。
また、「椎葉平家まつり」の来場者数にも影響がありました。
映画でも、祭りの準備が描かれていましたが、これは実在する毎年11月開催の祭り。映画が劇場公開される前年の2016年、来場者数は約2万人でしたが、公開した2017年と翌2018年には、それぞれ約2万2千人が訪れました。
「村としても、あちこちの風景やさまざまな特産品が登場した大切な作品です。もっと宣伝していかなくては、と思うのですが……」と綾さん。実は大々的に宣伝できない事情がありました。
それは、問い合わせとして一番多く寄せられるロケ地が市原悦子さん演じる主人公・椎葉スマの自宅で、そこは、実際に村の住人が暮らしている家であること。そして、同様に問い合わせが多く寄せられる椎葉スマの飼い犬・ゴンとして映画に登場したシバイヌも、村の住人の飼い犬であるからです。
そのため、プライバシー保護や防犯上の理由からホームページで紹介したり、ロケ地マップを配布して広く知らせたりすることができません。
ですが、ロケ地を訪れてみたい人には朗報です。村役場(0982-67-3111)か同村観光協会(0982-67-3139)に連絡し、相談の上であれば案内してもらえます。
記者もさっそく手順に従って手続きをすると、案内人や住人それぞれから了承を得ることができました。
「住所を教えて頂ければ、現地で落ち合い…」まで言いかけたところで、綾さんに「自力ではたどりつけませんから」と笑顔でさえぎられてしまいました。不思議に思いながらも、とりあえず案内人との待ち合わせ場所に向かうことに。
紹介された案内人とは、映画の撮影が主に行われた松尾地区で落ち合いました。役場のある村の中心地からは車で30分ほどかかります。
軽トラックでさっそうと現れたのは、農林業・岡村正司さん(57)と千春さん(56)夫婦。正司さんは開口一番、「運転、大丈夫ね? とりあえずなんとかついてきてください」と言いました。
そこから先は車1台がやっと通れる山道を進みます。アスファルトは張られておらず、道の片側は木々や草の生い茂る山肌がむきだし、もう片側はガードレールのない崖っぷちという細道。傾斜はどんどんきつくなっていき、カーブの間隔はどんどん縮まっていきます。ふと目を落としたカーナビの画面は真っ白でした。
村職員・綾さんの「自力ではたどりつけない」という言葉が身に染みて分かったころ、椎葉スマの家として撮影で使われた住宅に到着。住人の椎葉イトノさん(86)がむかえてくれました。
イトノさんが暮らす平屋建ての一軒家は、映画に登場した時のまま。ゴンは別の住人の飼い犬ですが、犬小屋も庭に残っていました。
玄関の土間には、映画のキャストやスタッフと撮影した写真やサインなどがずらりと並びます。映画で使用した、架空の住所が書かれた「椎葉スマ宅の表札」も飾られていました。
「わざわざここまで来てくれた映画ファンに楽しんでもらいたい」と、写真好きのイトノさんが展示コーナーを作ったそうです。
「築200年以上経っている」という家の中を案内してもらいました。撮影中は、引き出しの中身を全て出したり、飾ってある写真を片付けたりしたものの、家具や家電などはほとんどイトノさんの私物が使われました。
「ここで映画の撮影は始まったんですね」
記者がそう話しかけると、イトノさんは「ほーんとじゃ。入院してたけど、かけつけた。ほったら、車が人がたくさんおってびっくりした。映画の撮影がこんな大変た思わんかった。どういうもんかもわからんし」と大きく笑いました。
映画の撮影が行われたころ、体調を崩して入退院をくり返していたイトノさん。ロケに使う家を探していた制作者からのオファーを一度は断っていました。それでも最終的に引き受けた理由を尋ねると、照れくさそうに教えてくれました。
「市原さんに会えると思ったから。それだけですよ。実際に会えた時は、うれしかったですねえ。もう本当幸せでした。宝物です」
イトノさんは入院中、「椎葉村が舞台になったから」と映画の原作となった乃南アサさんの同名小説「しゃぼん玉」を知人に渡され、読んでいました。〝どうやら、この映画を村で撮影するらしい〟ということも、そのころ知りました。
「病院で看護師さんと、スマの役は市原さんしかできんよねえ。市原さんがぴったりよねえと話しちょったから、決まった時はびっくりで」
ロケは2016年3月から4月にかけて、18日間にわたっておこなわれました。
市原さん演じる椎葉スマが暮らす家は多くのシーンで登場するため、撮影の期間中、イトノさんの自宅にはずっとスタッフが出入りしていました。そのため、イトノさんは退院時、娘の千春さんと正司さんの家で過ごしました。
「市原さんが演じたスマのようなストーリーが、小さいながらも私にもあったんですよ。そういう道歩いてきたからね。子供たちへの愛情が足りんかったっちゃかなあって思うてね、若い時は」
イトノさんは、自宅に時々もどっては、庭に置いたイスに座って撮影の様子を眺めながら、作中のスマの境遇や思いに自らを重ねていました。
撮影が終わり、市原さんが空港に発った日のことをイトノさんは忘られません。
車に乗り込んだ市原さんと交わした「神様がおったら、もう一回会わせてくれるでしょうね」という言葉。かたく握手をしてから別れたこと。ですが、再会はかないませんでした。
市原さんの訃報を知った日は、なかなか眠りにつけませんでした。
「そん夜は『いやあさびしいねえ、さびしいねえ』ってひとりごと何度も言うて。眠れんかったです。もう一度会いたかったっちゃけど……」
映画が劇場公開されて間もなく、映画を見たファンがイトノさんの自宅を訪れるようになりました。「幅広い年代の女性が多い印象」ですが、カメラが趣味という男性も訪れているそうです。
「(林)遣都くんが大人気じゃからねえ、彼のファンが多いかねえ。遣都くんの活躍がうれしい。私が元気なうちにもう一度椎葉に帰ってきてもらいたいねえ。映画に出た皆さん、いい人たちだった。こんな経験ができたちゅうんは本当ありがたい」
矯正施設が関連した作品であることから、刑務所や少年院などで業務にたずさわる人たちも訪れています。
イトノさんは、自宅を訪れた人が記念にメッセージを残せるようにノートを用意しています。
熊本県、福岡県、滋賀県、兵庫県、京都府、岐阜県、東京都、秋田県……全国各地から訪れた人たちの温かなメッセージであふれていました。
《天国のようなところでした》
《2年前に映画館で映画を見て以来、椎葉に行ってみたいと思い続けていました。そして今日、椎葉に来ることができ感動です。映画の舞台となった場所に、いま自分がいることに幸せを感じています》
《一日かけて来たのですが、本当に映画のままで来て良かったと思っています》
《自分が映画の主人公になったような気分です。優しく迎えて頂き、ありがとうございました》
《大変いやされました。また必ず帰ってきます》
《おばあちゃんも元気にもっともっと長生きしてください》
イトノさんは、「みんなほめすぎ」とほほえみます。訪れた映画のファンからは「椎葉のお母さん」や「椎葉のおばあちゃん」と呼ばれていました。
さて、市原悦子さん演じる椎葉スマの飼い犬・ゴンとして登場した、シバイヌのチョコ(4)とふれあうこともできました。イトノさんと同じ地区で飼われています。
映画のエンドロールにも、「松岡チョコ」としっかりクレジットされています。また、劇場公開された当初、東京都内であった完成披露試写会にもサプライズで登壇し、林遣都さんら出演者を和ませる大役もつとめ上げました。
撮影に同行した飼い主の松岡功倫(かつひと)さん(15)は、「どうかNGは出すなよ……と念じながら、撮影を見守りました。こっちは緊張していましたが、チョコは落ち着いていました。いつもは暴れちょるのに」と振り返ります。
映画化が決まってから小説を読んだという松岡さん。
「チョコが出たこともありますが、物語自体がしっかりと心に残っています。この『しゃぼん玉』は、これからもずっと特別な思い入れのある大切な映画だと思います」
現地で取材をしていると会話は自然と弾み、映画の各シーンがどんどんよみがえります。これがいわゆる〝聖地巡礼〟と呼ばれる、映画・アニメ・小説といった作品の舞台になった場所を訪れる醍醐味なのだと、身をもって体感できました。一般の住人の自宅が観光スポットになるということに、作品が持つ力を感じます。
アクセスが良いとは決して言えない椎葉村。はっきりとした目的がなければ訪れる人は多くないと思います。その目的のひとつに「映画・小説の舞台を訪れること」が加わったのは、人口減少が進む村にとっては良い兆候なのではないでしょうか。椎葉村はすでに、映画やドラマの撮影地として売り込もうと、東京で開かれるイベントなどに参加し始めています。
村で生まれ育った女性(22)は、自分の故郷を「高校進学を機に一度出て行く村」と表現しました。その女性自身、中学卒業とともに村を出て進学。高校を卒業後、村外で数年間働いたあと、「生まれ育ったところで働きたい」と村に戻ったそうです。
都会と比べれば不便なところは少なくありませんが、魅力も多い椎葉村。映画を通じて、「一度出ていった人」が再び土地に誇りや魅力を抱いたり、縁のなかった人が椎葉村の存在を知ったり……。そんな可能性を感じる聖地巡礼となりました。
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映画に登場した場所などに関する問い合わせ、あるいは「訪れてみたい」という相談は、椎葉村役場(0982-67-3111)か村観光協会(0982-67-3139)へ。担当者は「映画をきっかけに村に来て頂けるのはうれしいです」と話しています。
ただし、「現地まで案内できる人に取り次ぐので、事前の連絡無しでそれぞれのご自宅を訪れることは、ご遠慮頂きたいです。また、住民の事情などによっては案内できないこともあるので、その点はご了承ください」と呼びかけています。
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脚本・監督:東 伸児
出演:林 遣都 藤井美菜 相島一之 綿引勝彦 / 市原悦子
主題歌:秦 基博「アイ(弾き語りVersion)」(OFFICE AUGUSTA)
原作:乃南アサ『しゃぼん玉』(新潮文庫刊)
©2016「しゃぼん玉」製作委員会
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