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少年院に響くすすり泣き、市原悦子さん遺作が今も上映される理由
今年1月に亡くなった女優の市原悦子さん(享年82)の遺作となった、2017年公開の映画「しゃぼん玉」。全国の映画館で追悼上映が相次ぎました。撮影をすべて宮崎県内でおこなったこの映画、実は各地の少年院や刑務所でも上映されてきました。映画化の企画を立ち上げ、矯正施設での上映会開催に尽力する豊山有紀プロデューサーの話から、出資を集めたりヒットしたりするには難しいとされる〝ちょっと地味〟な映画の持つ力について考えます。(朝日新聞記者・浜田綾)
映画のキャッチコピーは「これからが、これまでを変えていく」。直木賞を受賞した作家・乃南アサさんの同名小説が原作です。
若い女性と高齢者ばかりをねらった強盗や傷害事件をかさねる、林遣都さん演じる青年・伊豆見翔人。逃亡中の翔人は、宮崎県北部の山奥にある椎葉村にたどり着きます。そこで偶然出会った市原悦子さん演じる村人・椎葉スマとの同居生活、村の人たちとの交流、自然と一体化した村での暮らし……。そんな日々を通じて、翔人が自らの犯した罪の重さに気づき、変わっていく姿が丁寧に描かれます。
プロデューサーである豊山さんと「しゃぼん玉」の出会いは、2012年の年明け間もない頃。自宅近くの本屋に平積みされていた小説をたまたま手に取りました。
職業柄、本はよく読んでいましたが、この小説は一気に読み切り、その後も、本を引っ張り出してはぱらぱらとページをめくりました。しっかりとした物語の内容がすとんと腹に落ち、登場するキャラクターたちにそれぞれ引き込まれたと言います。
「最初は作品のいちファンとして、映画になった『しゃぼん玉』を素直に見てみたいと思ったんです」
その後は、別の作品制作に取り組みながらも、「しゃぼん玉」の映画化に向けて奔走しました。
撮影の資金集め、出演者のキャスティングなど行程は実にさまざま。初めて小説を手にしてから映画が完成するまで5年がかかりました。「その間はずっと映画を成立させなければ、という気持ちしかなかったです」。豊山さんはそう振り返ります。
まだ映画化することがはっきりと決まる前から、脚本を書く東伸児監督と2人で構想を練り、ああでもないこうでもないと話し合っていました。
「そうやって準備をしていても、実現しない企画もあります」
そのため、「長く時間がかかった」「とても苦労した」といった感覚は全くありません。
「むしろ、それだけの時間が必要な作品だったんだと思います」
「しゃぼん玉」では、ドラマチックな大恋愛が扱われませんし、派手なアクションシーンもありません。言葉を選ばなければ〝ちょっと地味〟と言われる作品かもしれません。
豊山さんいわく、こうした作品は、出資を集めることとヒットさせること、その両方で「なかなか難しい作品」として扱われてしまう傾向にあるそうです。
それでも、主役を演じた林遣都さんと市原悦子さんは、脚本を読んだ上で「ぜひ出演したい」と快諾しました。
「独特の包容力や醸し出される雰囲気といい、椎葉スマって不思議ですよね。ケガをしているところを助けてくれたとはいえ、素性も知らない青年(伊豆見翔人)を家にずっと滞在させるなんて一般的には考えられませんよね」
そう語る豊山さんは、キャスティングの初期段階から「スマの役は市原悦子さんに演じてもらいたい」と東監督と話していました。
豊山さんはこう続けます。
「きっと、スマがそれまでの人生で培ってきた経験が〈彼女らしさ〉をつくっているんだと思います。その中でしか生まれない〝独特の不思議さ〟なのだと私は考えました」
「スマがただ優しいから翔人を迎え入れたり、無作為に愛情を注いで優しく接していたりしていたわけでは決してないと思います。
きっと実の息子に対する〝育てきれなかった〟という後悔の念なども、翔人に向けられた愛情を形成していた一要素だったんじゃないかなと考えました。そういう〝過去の苦労や心の痛み〟まで伝わってくるような、奥行きのある演技が必要とされる作品だったんです」
「そして〝独特の不思議さ〟の一方で、スマには圧倒的な包容力を醸し出してもらわなくてはなりませんでした。すごく複雑ですよね。でも、それができるのが市原さんだと考えたんです」
「実際に会った人は分かると思うのですが、市原さんだけが持っている独自の空気やたたずまいがあるんです。市原さんのことは、いろんな作品を通じて知っていましたが、直接お話するたびに引き込まれていきました。この作品でも、その独特な魅力がいかんなく発揮されていたと思います」
「市原さんは人のことを包み込み、人の心にしっかりと残る方でした。りんとしているのに、おちゃめで強くて。演技に対するたしかな厳しさをもっていたのに、最後は温かな印象しか残さないんです。市原さん自身が〝独自の不思議さ〟をもっていたとも言えるかもしれませんね」
豊山さんはそう振り返りました。
映画にたずさわる者として、映画を通じて何らかの社会貢献ができたらーー。豊山さんは「しゃぼん玉」の映画化に向けて動き始めた頃から「この作品を少年院や刑務所で上映したい」と考えるようになりました。原作者の乃南さんに相談すると、こころよく賛同してくれたそうです。
ただ、当時の豊山さんにとって、矯正施設は「なじみがなければツテもない〝遠い場所〟」。そして、メディアの報道を通じて、矯正施設でおこなわれる慰問のイベントは、〝歌手や著名人らが舞台上でパフォーマンスなどをおこなう華やかなもの〟という印象を抱いていました。
撮影からちょうど1年後、映画は2017年3月に劇場で公開。そして同年11月、当時の所長が作品の舞台になった椎葉村出身だった縁で、念願だった上映会を京都刑務所(京都市)で実現しました。
入所者全員が一か所に集まる形式の上映会ではなく、居室で見た入所者らもいましたが、講説をおこなう教誨師(きょうかいし)、保護司、そして地域住民らも参加しました。
「最初は、どんな会になるか全くわかりませんでした。映画がどこまで届くのか不安でした」
ところが、上映中、聞こえてきたのは、すすり泣いたり笑ったりする声でした。観客の反応を見えて、ようやくほっと胸をなで下ろしたと言います。
上映後、豊山さんが登壇して映画の感想や質問を募ると、多くの入所者が手をあげました。全員の話を聞くことができないほど活発に意見交換がおこなわれ、あっという間に時間は過ぎました。
その後も矯正施設での上映は各地で続いています。豊山さんが望んでいた〝参加可能な入所者がひとところに集まって映画を見る形式〟がずっと実現されています。
少年院では、兵庫県加古川市にある「加古川学園」と「播磨学園」が合同で、千葉県八街市の「八街少年院」、長野県安曇野市の「有明高原寮」、東京都府中市の「関東医療少年院」、静岡市の「駿府学園」、千葉県市原市の「市原学園」、神奈川県横須賀市の「久里浜少年院」の計7回。
成人刑務所では、長野県須坂市の「長野刑務所」、高知市の「高知刑務所」(上映のみ)、北海道旭川市の「旭川刑務所」の計3回。
それぞれで上映会と意見交換会などを開きました。
スケジュールの都合で参加できなかった高知刑務所での上映会を除き、豊山さんはすべてに参加しています。「映画を見て終わり」ではなく、講演や意見交換をする時間を設けるためです。
映画がどうやって作られているのか、100人単位の人が映画制作にかかわっていること、現場でのコミュニケーション、表現することなど。おもに映画制作にかかわる話をしています。
「映画を共有して感想や意見を話し合う。そして、それをまた自分の中に落とし込んでいくのが、映画の醍醐味だと思うんです」
「自分の退所を待ってくれている人のことを思いました」
「これから、自分はがんばらなくてはならない」
「もう自分は一生、普通の感覚で犯罪を扱う映画を見ることはないと実感し、自分が一生背負っていかなくてはならない罪を再確認しました」
「翔人に自分を重ねて映画を見ました」
そして、こんな質問も。
「実際にこんな優しい村が存在すると思いますか?」
入所者が述べた何らかの気づきを含んだ感想が、今も豊山さんの心に残っています。
ある少年院では、「あのシーンの翔人の気持ちはどういったものだったんですか?」という質問を受けたり、原作をあらかじめ読んでいた入所者に「原作になかった場面を取り入れたのはどうしてですか?」と聞かれたりもしました。
「映画は見るだけのものじゃないと思うんです。映画を見て考えたことを話したり、ほかの人の意見を聞いたりする。それが、感情を大切にするきっかけになるのではないでしょうか。そういったことを通じて、人生が変わっていくこともあるかもしれませんよね」
矯正施設で上映会を開催することになった当初は、少年院に入所する若い年代の人たちがどのように映画をとらえるのか気になりました。ですが、上映会をかさねるにつれて「大人と同じだと気づいたんです」。
「そして、高齢の受刑者も同じでした。登場人物に自分の母親を重ねたり、つぐなわなくてはならない罪を見つめ直したりしている様子を感じ取ることができました」
上映会を通じて、豊山さんが得ることも多かったそうです。それまで「自分にとって知らない世界だった」矯正施設とかかわり、どうやって再犯防止していくのか、そして、実際に更生のために矯正施設の職員や保護司らが取り組む現場のことまで考えるようになりました。
今後も「矯正施設での上映会は可能なかぎり続けたい」と言います。加えて、更生を支える保護司会やその地域の人たちを対象にした上映会などにも裾野を広げていけたら――。意欲的にそう話していました。
「映画では〝犯罪を起こす人〟と〝犯罪を起こした人を受け入れる人たち〟が登場します。両方の立場から考えるきっかけになり、よりよい作用が生まれたらうれしいです」
今回取材をした私は、映画の舞台となった宮崎県北部にルーツがあり、「しゃぼん玉」を何度も見ていました。新聞記者になる前は芸能事務所で働いていたこともあり、「ひとつの映画にかけられる大勢の人の労力や現場の熱量に、作品の派手や地味といったくくりは関係しない」と思っています。
その上で、映画制作に必要な出資を募ったり、高い興行収入を狙ったりするのが困難とされる〝ちょっと地味〟とされる映画が持つ力について考えてみました。
それは、大恋愛や見どころとなるアクションシーン、大きなミステリーなどを扱わないという、〝ちょっと地味〟であるゆえんのリアリティそのものだと思います。作品が自分の日常に近い感覚・温度だからこそ、見ている側も描かれる暮らしや登場人物の言動を通じ、人の温かさや日常で見落としている小さな優しさや幸福をなぞっていくことができます。
映画「しゃぼん玉」が、何らかの〝非日常〟を経験してきたであろう人たちがいる刑務所や少年院などで上映されていること、そして、入所者の心を揺さぶっているということに〝ちょっと地味〟な作品がもつ大きな価値を感じます。映画のもつ強い力をあらためて教えてくれる作品です。
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豊山有紀(とよやまゆき)映画プロデューサー。東京都生まれ、横浜市育ち。日本大学芸術学部放送学科卒業後、単身渡米し映画制作にたずさわった。帰国後、1995年から活動している。株式会社エスプリ代表取締役。
脚本・監督:東 伸児
出演:林 遣都 藤井美菜 相島一之 綿引勝彦 / 市原悦子
主題歌:秦 基博「アイ(弾き語りVersion)」(OFFICE AUGUSTA)
原作:乃南アサ『しゃぼん玉』(新潮文庫刊)
©2016「しゃぼん玉」製作委員会
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