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ヒグマの射殺に加担した私……1週間の追跡取材で気付かされた現実
今年8月、人口200万都市である札幌市にヒグマが出没しました。カメラマンと追いかけながら書いた記事は、多くのビューを集めました。そして、8月14日、ヒグマは射殺されました。理由は「人に慣れすぎてしまったから」。自分たちの取材行為が、意図せず、クマの警戒心を失わせることに加担してしまったのではないか。1週間にわたる追跡を振り返りながら、野生動物との共生について考えました。(朝日新聞北海道報道センター記者・片山健志)
市街地に現れたヒグマをなぜ取材しなければならないのか?
もちろんビューを稼ぐ記事のためではありません。まず、人命を脅かすかもしれないヒグマの情報を届けなければいけない。そして、200万都市・札幌の住宅地にヒグマが出没しているという驚きを、リアルに伝えたかった。加えて、こんな事態にどう対処していけばいいのか、みんなで考えるための材料を提供できないか、という思いがありました。
農家ばかりか人口そのものが減り、里山という緩衝地帯が消えゆく中、クマなどの野生動物が、都市へじわりと進出してきているのは札幌だけではありません。人間が野山を切りひらき、野生動物のすみかを奪っていった時代とは逆のことが起きていると言われます。そんな中、彼らとどうやって住み分けるか、どこに境界線を引くか。それは全国共通の大きな課題だと考えています。
同時に取材行為そのものが、野生動物と人間の境界線を揺さぶってしまったかもしれない。そう感じ、あらためて当時の様子を振り返ってみることにしました。
札幌市中心部から定山渓温泉に向かう国道を走ること30分余り。深い緑に抱かれた同市南区の藤野、簾舞(みすまい)地区の住宅街にヒグマを追って同僚と2人で訪れたのは、8月8日夜でした。
数日前からこの一帯で出没情報が相次いでいました。そんな時、北海道警察本部から出没情報が入り、何とかクマの姿をカメラに収めたいと考えたのです。
その日の天気は、残念ながら雨。現地に近づくほど雨脚が強まり、市の担当者の車両やパトカーが集まる一角に着いた時には本降りになっていました。報道陣も多数、詰めかけています。「この先は行かないで!」「どこにいるかわからないから」。雨音をついて、市の担当者の緊張した声が聞こえてきます。
市の担当者の指示に従い待機した場所は、クマが潜んでいるとみられる住宅の奥までの距離は20~30メートル。しかし、雨が降り続く中、いつまでたっても姿を現しません。時折車に戻りながら待ちましたが、靴の中にも水がたまってきます。裏山に戻ってしまったのでしょうか。いつの間にか他メディアの車もいなくなり、こちらも場所を変えましたが、ついにこの日はクマの姿を見ることはできませんでした。
それにしても、市街地で夜間、クマを追う難しさはこれまでにないものでした。相手がどこにいるかはっきりわからないのは、市も警察もさほど変わらないはず。だから彼らの後を付いていくのが必ずしも正しいとは限らない。
市や警察の動きに合わせてメディアもいっせいに動くのですが、行き先は道路が狭かったり、一方通行だったり。できるだけ住民の方々の迷惑にならないよう、家の前を避けて車を止める場所を探す間に、クマはまた移動しています。
4日後、カメラマンの同僚とともに訪れた住宅地のはずれで、偶然見つけました。追って走っていたらそこは一方通行。あわてて戻り、進む先を予測して回り込んだ先は、国道からわずか1本入っただけの生活道路でした。
暗闇の中、車などのライトに照らされて黒い影が浮かび上がったのはわずか数秒。カメラがかろうじてその姿をとらえると、間もなく緑地の奥へ姿を消しました。
クマはもう一度現れるだろうと踏んで場所を変えずにしばらく待ちましたが、そこには戻ってきませんでした。私たちが待機している間、ガソリンスタンドやスーパー、レストランなどが立ち並び、煌々(こうこう)と明かりがついた国道側を歩いていたことを、翌日のテレビニュースで知りました。結果からみれば、「待ち伏せ作戦」は失敗でした。
このクマの行動は日を追うごとに大胆になり、人が見ていようが車のライトに照らされようが、平気で歩き回り、畑のコーンを食べるようになっていました。山へ追い払っても翌日になるとまた住宅街に出てくる、の繰り返しでした。
「そこ、車止めないで!」「速やかに離れてください」。待ち伏せ作戦の翌日夜は、市の担当者ら当局のいらだちがいっそう募っているように感じました。
クマの人なれが進んだことに加え、報道が過熱したことで、たくさんの車が現場に来るようになったのです。市の担当者は山側へとクマを追いやっているのに、斜面の上から近づく車両があると、逆に街中へ向かわせる圧力をかけることにもなりかねません。
クマを追って走り回る間、私たちも山側から近づいていなかっただろうか。行動を思い返してみると、自信を持って否定することはできません。
メディアが撮影のために光を当て、カメラを向ける。警察が拡声機の大きな音で住民に注意を呼びかける。いろんな車がクラクションを鳴らし追い立てる。「そうした行動のすべてが、クマにとっては人間との無害な接触でした。その過程で人間が無害であることを学習してしまった」。道立総合研究機構環境科学研究センターの間野勉・自然環境部長は指摘します。
クマは14日に駆除されました。人になれすぎて人への危害が及ぶおそれが高まったのが理由です。推定7、8歳の雌でした。
このニュースは、札幌に住んでいない人にとっても大きな関心を呼びました。記者としてそれに応えようとした結果、記事のビューが伸びたのだと考えます。
ヒグマの追跡劇が起きた背景には、野生動物のすみかを奪っている人間の存在があります。
人慣れしまったことが、命を奪う結果になったという現実。今は、少なくとも、この割り切れない思いを、取材の成果として届けなければいけないと感じています。意図せずに人間社会は怖くない、とのメッセージを送り、結果的に人への警戒心を失わせることに加担してしまった私たち。クマを追いかける取材はすべきでなかったのか。次に同じような騒動が起きたとき、どう対処したらいいか。考え続けています。
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