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陸に上がった海猿 韓国船と護衛艦の衝突、10年前の「苦い教訓」
海の要所として知られる関門海峡で、船の運航に欠かせないのが管制官の存在です。1日におよそ1千隻もの船が通る海峡で、10年にわたって見守ってきたベテランがいます。2009年に起きた韓国船と海上自衛隊の護衛艦「くらま」の衝突事故では、同僚が書類送検されるという事態も経験しました。「関門マーチス」と呼ばれる海峡の要の今を追いました。(朝日新聞下関支局記者・山田菜の花)
「ディスイズ、カンモンマーチス、クエスチョン」「情報です、約8分後にフェリーと接近します」
張り詰めた空気の中、日本語と英語のやりとりが気ぜわしく飛び交う。机上には、関門海峡にひしめく船の動きが映し出されたレーダー卓。海のライブ映像を流すモニターが四つ据え付けられ、時折、長さ1メートル以上もある双眼鏡で、ガラス越しに関門海峡に目をこらす人もいる。
1989年に発足した海上保安庁の組織の一つ、関門海峡海上交通センター(北九州市門司区)だ。「Marine Traffic Information Service」を略して、愛称は「関門マーチス(MARTIS)」。24時間8人態勢で、船が安全に航行できるよう情報を伝えたり注意を促したりする、海の管制官だ。
高橋良一さん(60)は、7人の管制官を束ねる統括管制官を務めている。2001年に関門マーチスで管制官になって以来、通算10年のベテラン。眼鏡の奥の鋭い眼光が、職責の重さを物語る。
元々は機関士や潜水士として活躍していた。だが、00年に膀胱(ぼうこう)がんを患った。体力的に乗船は難しいと考え、陸に上がった。
「当時はまだ訓練用のシミュレーターもなかった。パニックにならないよう最悪の事態を想定して、経験を積んでいくしかなかった」
船に乗っていたキャリアを生かし、現場のニーズを考えながら分かりやすく情報を伝えるよう心がけている。
「同じ性能の船は一つもない。それぞれにとって利用価値のある情報を見極め、限られた時間に伝えることに神経を使う」
それでもなお、事故は起きる。関門海峡は1日に約1千隻もの船が通る。09年には海上自衛隊の護衛船「くらま」と韓国籍のコンテナ船が衝突し、関門海峡が封鎖された。このとき管制官はコンテナ船へ、前を航行する別の船からの情報を元に左から追い抜くよう助言。船長は航路の最も狭い海域で左にかじを切り、対向する護衛艦との事故に至った。
事故が起きたとき、高橋さんは日中の勤務を終え、市内の自宅に戻ったところだった。船の汽笛が何度も聞こえ、テレビをつけたら衝突して船が燃えている映像が流れていた。
コンテナ船に助言した同僚の管制官は、のちに業務上過失往来危険などの疑いで書類送検された。不起訴になったものの、高橋さんは苦い教訓の一つとして心に刻む。
「統括管制官は船だけでなく後輩を守る責任もある。駄目な情報提供をしていれば、厳しく接しなければ」。だから勤務中は常にモニター類を見ながら、それぞれのやりとりに神経を張り巡らす。
関門海峡を通る船は近年、大型輸送船の割合が増えている。最も狭いところで500メートルしかなく、S字に蛇行する航路を、小回りがきかない大型船同士がどうすれば無事に航行できるか。関門マーチスが果たすべき役割も増している。
海上保安庁は管制の態勢強化を図るため、昨年度から海上保安学校(京都府舞鶴市)に管制課程を新設した。発足から30年を迎えた関門マーチスも今夏、地元の学生向けに職場見学会を催した。業務説明や管制の様子を見た後、今回初めて訓練用の機器を使った船との交信体験も行った。
自由ケ丘高校(北九州市八幡西区)3年の大山天音(あまね)さん(17)は、小学6年生の夏休みの宿題で調べて以来、海上保安官に憧れているという。「得意な英語を生かして管制をしたい。夢が具体的になった」と目を輝かせた。
高橋さんは大山さんのような若者に期待を寄せる。今春に定年退職し、いまは再任用で働く。
「覚悟を決めて入った若い世代に、自分の経験を伝えたい」
関門海峡沿いを歩いていると、大きな汽笛が鳴り響くことがある。思わず事故かと身構えてしまう。ひっきりなしに行き交う船の行き来を見るたび、安全な航路を支える人たちのありがたさをかみしている。
本州側の山口県下関市と九州側の北九州市門司区を隔てる海域。船が通る海の道「関門航路」が東西約50キロに渡って整備されている。S字に屈曲しており、最も狭い「早鞆瀬戸(はやとものせと)」は航路幅約500メートルで、潮流は最速時速20キロ前後にもなる難所。東アジアなどと国内の主要港湾を結び、漁船を含めると1日に約1千隻が航行する。
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