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共感できない!漫画で人気の小山コータローさん 常識人が生む狂気
「作者はどんな人なんだろうか。いや、たぶん変な人だろう」と思わせる作品ばかり。しかし、取材場所に現れたのはあまりにも「お笑い」に真摯な青年でした。
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「作者はどんな人なんだろうか。いや、たぶん変な人だろう」と思わせる作品ばかり。しかし、取材場所に現れたのはあまりにも「お笑い」に真摯な青年でした。
『狂おしいほど限定しりとりがやりたいんだよ』「わかるよ~」
そんなセリフから始まる8コマ漫画。1コマ目から、飲み込みにくいストーリー設定です。
『よ~し「両手に乗るもの限定しりとり」だ!』「想像力が試されるなあ」
ずっと理解も共感もできない内容なのに、なぜか読み進めてしまう。「共感」が大事とされるSNS時代を、まさに逆行していく漫画。もちろん、オチも非常に独創的。
幼い頃からバラエティが大好き。ダウンタウンさんに憧れ、ふんわりと「人を笑わせる仕事ができたら」と考えていたという小山さん。中学生の頃には、将来の夢は「お笑い芸人」になっていました。
学校でムードメーカー的な存在だったかと思いきや、「地味な方です。クラスの中心で笑いを取ってる男子を、指をくわえて見ているような感じでした」。しかし、そこに悔しさがあった訳ではなく、「みんなの笑いが取れていいなあって、憧れの気持ちですね」。
お笑いに夢中になった理由を「人とのコミュニケーションにコンプレックスがあったからかも」と話す小山さん。「人と仲良く接するのが少し苦手だったから、その裏返しかもしれません」
好きなラジオを録音し、繰り返し聴きながら面白かったフレーズを書き写す。次は日常生活での練習です。好きなフレーズを会話に差し込んで、相手の反応を見る。「ああ、人はこういうタイミングで笑うんだっていうのを、勉強していった感じですね」。シーンを変えて応用し、「どうしたら人が笑うのが考えるのがすごく楽しかった」と話します。
真面目すぎるほどのガリ勉タイプ。「だから、センスとかないんです」
高校1年生のとき仲の良かったクラスメイトと、高校生のお笑い選手権「M-1甲子園」に周囲には秘密で出場(後に「ハイスクールマンザイ」に名称変更し、霜降り明星の粗品さんなどを輩出)。結果は予選突破ならずと、ふるいませんでしたが、会場の反応には手応えを感じたと話します。
「初めてネタを作ったんですけど、思ったよりウケたんです。僕がやりたいと思っていたことは、そこまで間違ってはなかったんだな、と」
翌年も予選突破こそはできませんでしたが、小山さんの中で「お笑い芸人になりたい」という気持ちは揺るぎないものになりました。
高校卒業とともに、東京のNSC(吉本興業のタレント養成所)に入学。千人規模の同期で最年少にもかかわらず、当初から6組のみの選抜クラスに決まるなど順風満帆だったといいます。ところが、「あまりにも最初からうまくいきすぎたんです」。高校から続けてきた相方とのコンビを解消し、新しいコンビでのスランプを抱えたままNSCを卒業。気付くと、千人近くいた同期は、200人程度になっていました。
「評価されるのが早かったのと、ネタを書いていたのが僕だったので、最悪僕だけでもなんとかなるって思い込んでしまっていたんです。今思えば、過度な自信でした」
そこから始まったのは、心がヒリつくような毎日です。チャンスは月1回、1分だけネタを披露できるライブのみ。そこで1位になれば、1ランク上のライブに出演できるというシステムでした。バイトをしながら毎月やってくる1分にかける日々。何度出ても1位にはなれず、1位になったコンビのネタを見てもなんだか納得いかない。
「1回ついちゃった自信と結果が結びつかなくなっちゃって、しんどかったですね。丸1年やったときに、これからもこの月1の1分にかけるのかと思うと、途方もない感じがしちゃって……。『いつか諦めるなら』と、まだ起こっていない最悪の未来に負けてしまった」
小山さんは地元・静岡に帰ることを決めました。このとき、まだ20歳でした。
地元で家族が営む会社を手伝う傍ら、小山さんはやはりどうしてもお笑いをあきらめきれずにいました。最初の相方に声をかけて地元の公民館で漫才をしたり、ひとりで東京に出てコントライブを開催したりしたことも。そんな20代を経て、お笑いへの思いに変化が起こってきます。
「それまでは『僕の面白さを知って欲しい』『認められたい』っていう思いが強かったですが、落ち込んだ人をちょっと元気づけたいとか、誰かの幸せを少しだけ底上げしたいという気持ちに変わってきた」
それは、とてもシンプルな願いであり、幼い頃に夢見ていた姿でもありました。
「結局、どれだけ心が折れても、お笑いを嫌いになることはなかったんですよね」。テレビで同期が活躍するのを見ると、自分の「もしも」と重なって胸がきゅっとしめつけられる時もあります。それでも、バラエティ番組を見て笑うと、知らず知らずのうちに回復していました。
「僕自身がお笑いを見て救われることがあまりにも多かったから、やっぱり救う側になりたいんですよね」
先日会社員を退職し、スマブラのプロゲーマーとしてスタートを切ったkeptさん(@FaintKept )の個人スポンサー契約をしました!
— 小山コータロー@WEB4コマ作家 (@MG_kotaro) July 1, 2019
初めてのことで僕自身ワクワクが止まりません!
keptさんが世界で活躍する姿を想像して白飯を食う始末です。
(イラストは、僕を宣伝するために尽力するkeptさんです) pic.twitter.com/SAEEhScylA
取材を通して、記者が作風とのギャップに驚いていると、「いや、ちゃんと常識人ですよ」と笑います。
「結局、異常な行動で笑ってもらおうと思うと、何が異常じゃないかわかっている必要があるんです。一般的な回答が何なのか知っている人でないと、そこから外した答えは出せないんです」
自身の漫画を通して、「誰かの口角をちょっとでも上げたい」と話す小山さん。「本当にどん底の人を救える力はないけど、ちょっと元気になる一歩目になればいい。毎日Twitterに漫画を上げていれば、どこかでそういう人に届く可能性はあるはずだと信じています」
僕は皆さんの幸せの為に、笑いの底上げの為に、口角が1°でも上がるように頑張ります。それだけが僕の幸せです。
— 小山コータロー@WEB4コマ作家 (@MG_kotaro) April 12, 2019
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