話題
タイの御曹司が地位捨て政治家に 民主化の星が日本人に言いたいこと
タイで今、若者の間で絶大な人気を集めている政治家がいます。大企業の副社長で大富豪だったタナトーン氏。政党をつくって1年で、総選挙では議員ゼロからいきなり第3党に躍り出ました。カリスマ的リーダーシップで「民主化の星」と呼ばれ、将来の首相とも目されます。大企業の御曹司の座を捨てて政治家を選んだ彼は、日本企業の買収に関わるなど、実は日本とつながりのある人です。そんな彼が、日本の人に言いたいことがある、といいます。(朝日新聞ヤンゴン支局長兼アジア総局員・染田屋竜太)
新未来党は、2018年3月にタナトーン氏らによってつくられたばかり。「タイの東大」とも言われるチュラロンコーン大学では支持率が90%に上るなど、若者を中心に急激に人気が高まり、3月の総選挙では500議席中81議席を占める大躍進を見せました。
タナトーン氏は1978年、タイ大手の自動車部品会社、「タイサミット」の御曹司としてバンコクに生まれました。何と記者と同学年……。チュラロンコーンと並び称されるタマサート大学を卒業。留学でアメリカに渡りましたが2002年、父親の急死により跡継ぎとしてタイに呼び戻され、サミットグループの幹部になります。
日本で注目されたのは2009年。金型大手のオギハラ(群馬県)をタイサミットが買収するというニュースです。欧米ではなく、日本企業がタイ企業に買収されるというニュースに驚いた人も多かったようです。
経営手腕を発揮し、15年間で売り上げを160億バーツ(1バーツ=約3.5円)から800億バーツへと5倍に増加させます。そんなタナトーン氏は2018年、友人らと政党をつくることを決意。大企業の副社長という地位を捨て、政党に個人で約1億1100万バーツ支出しました。ネットなどを使って支持者を広げ、オンラインも含めると8千人のボランティアが党を支えています。
新未来党を支えるのは、支持者たちの「熱さ」です。3月の選挙の1週間前。北東部ウドンタニ県の新未来党集会を訪れました。
インタビューしてみると、みんなとにかく熱く語ります!大学生のワタチャック・シーセーンさん(22)はこの日、党員登録。「タナトーンさんは若い人のための政治をしてくれる。今回の選挙で政権をとれなくても、次は首相になれる人だ!」。若い人ばかりではありません。サルンタ・シーサエンさんは59歳。長女と一緒にききにきました。「これまでタイの政治は対立ばかり。タナトーンなら止められるのではないか」
ここは少し説明が必要かもしれません。タイでは、「赤シャツ」「黄シャツ」の対立が続いてきました。赤はタクシン元首相の支持者たち、黄は反タクシンの人たち。2008年、国王の誕生日の色を示す黄色いシャツを着た人たちがバンコクの空港に立てこもったと思えば、翌年の東アジアサミットは赤いシャツの人たちのデモで延期に追い込まれました。
軍事クーデターで首相の座を追われたタクシン氏は有罪判決を受け、帰国すると収監されるため、国外での生活を続けていますが、「赤対黄」の対立はくすぶり続けています。2014年には軍がまたクーデター。当時の首相だったタクシン氏の妹のインラック氏は失職し、それ以来軍事政権が続いてきました。今回の総選挙ではタクシン派は軍事政権打倒を訴えています。
そんな中で登場したのが新未来党でした。タナトーン氏の主張の多くは従来のタクシン派と重なります。ただ、「これまでの対立を超えた社会をつくろう」と呼びかけ、支持を集めました。「もう赤対黄の不毛な衝突は勘弁してほしい」という人々の期待を集めたわけです。
さて、ウドンタニでの集会です。ひときわ大きな歓声が起きる中、タナトーン氏が壇上に立ちます。「皆さんはこれだけ一生懸命働いているのに、相応の報酬を得ていない。軍政は皆さんを貧困にした。我々に必要なのは民主主義だ」と呼びかけると、「わー」と歓声。会場を見渡すと、みんなが演説に見入っていて、スマホをいじったり雑談したりする人は見当たりません。
日本で選挙を取材しているとき、先輩から、「演説会では人数にだまされるな。動員されているか本当に関心があるかどうかは集まった人のきき方でわかる」と教えられました。身を乗り出してタナトーン氏の演説をきく姿はまさに、支持者の「熱」を感じました。
選挙後、議員の投票で新しい首相が決まります。軍政の流れをくむ親軍政政党のグループは少数政党を抱き込み、軍政下で暫定首相だったプラユット氏を推します。一方、反軍政を掲げるタクシン派はタナトーン氏を支持。軍政下でつくられた憲法で事実上、軍政側が初めから3分の1の票を持っているため、結果はプラユット氏の圧勝。しかし、タナトーン氏は首相指名選挙を通して「民主化勢力の象徴」の立場に躍り出ました。
では、タナトーン氏が「民主化勢力」の旗を持って国会で立ち回ったかと言えばそうではありません。憲法裁判所によって国会議員としての資格を停止されているのです。「憲法に違反し、メディアの株を持ったまま選挙に立候補した」という主張に裁判所が「結論が出るまで議員資格停止」という処分を決めたのです。これだけではありません。「コンピューター犯罪」「扇動罪」など、党への訴えを合わせると、全部で15以上の容疑や請願がかけられています。タナトーン氏は全ての容疑を否認していますが、どうなってしまうのでしょうか。
こうなったら本人に話をきいてみたい。党を通じてインタビューを申し込みました。しかし、警察の捜査が進み、党も混乱している中、なかなかオーケーの返事が来ない。1カ月待ってようやく受け入れの連絡。しかも、「場所は自宅で」とのことでした。
タナトーン氏の家は、警備員が出入りする車をチェックするような高級住宅街の一角にありました。インタビューをした応接間は英語、タイ語の本がぎっしり。緊張して待っていると、白いシャツを着たタナトーン氏が現れました。
「今回は我々に興味を持ってくださってありがとうございます」。きれいな英語でお礼を言われます。
染田屋
タナトーン氏
染田屋
タナトーン氏
タナトーン氏
染田屋
タナトーン氏
染田屋
タナトーン氏
タナトーン氏
染田屋
タナトーン氏
染田屋
タナトーン氏
染田屋
タナトーン氏
染田屋
タナトーン氏
タナトーン氏
タナトーン氏
染田屋
タナトーン氏
タナトーン氏
タナトーン氏は終始穏やかに答えていましたが、自分の容疑についての質問や、日本の人へのメッセージでは少し感情が高ぶった様子になりました。
タイがいまだに「軍事政権」だときいて驚く人も少なくありませんが、現地から見えるのは、今回の選挙でも「民主政治」に移行したとは思えない現実です。
新未来党がすんなり政権に就く日が、すぐに来ることはないでしょう。でも、記者は「期待」という大きなうねりがタイ社会に起きているのを肌で感じ、自分すらもわきたってしまうような気持ちになりました。
タナトーン氏がこれからの政治を変え、本当に「民主主義の星」になれるか。ちゃんと見つめていきたいです。
※質問部分で「党の公約の中に貧困格差是正がありますが、法人減税を考えているんですか」は、「党の公約の中に貧困格差是正がありますが、法人増税を考えているんですか」の誤りでした。訂正しています。
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