話題
プラごみの終着点 「プラスチック村」で記者が見た「やばい」もの…
私が住んでいるベトナムの家庭で捨てられるごみは、どこへ行くのだろう。疑問に思ってたどっていくうち、プラスチックごみだけを再生する「プラスチック村」にたどり着きました。プラごみを数分でプラスチックの原料に生まれ変わらせる工場もありますが、黒い煙がもくもく上がり、水路に流れる汚水は墨汁色で……。リサイクルできないごみが埋められる最終処分場で思ったこと、それは、日本人がよくやる「あの習慣」は、もうやめるべきだということでした。(朝日新聞ハノイ支局長・鈴木暁子)
このごみはどう処分されるのだろう。プラスチックや空き缶までごちゃごちゃ入った我が家のごみ箱をみるたび、そう思っていました。
東京にいたころは、プラごみや生ゴミ、新聞紙などを自分で分別し、ごみの日に出すのが当たり前でした。でもベトナムの首都ハノイに住んで2年10カ月、外国人が多く暮らすサービスアパートでは、各戸のごみまで回収してくれます。缶やビンを分けて出しても、混ぜて回収されるため、家族はすべてごちゃまぜに捨てるようになりました。
でも、市が分別回収をしているわけでもなく、恥ずかしいことに、家を出た後のごみの行方がさっぱりわかりません。罪悪感がつのります。
「それなら、ハノイの『ごみ博士』とごみツアーに出かけませんか」
悩める私を誘ってくれたのは、国際協力機構(JICA)ベトナム事務所の広報担当の方でした。ごみ博士とは、ベトナムでごみのコンサルタント会社を立ち上げ、ベトナム政府にごみ政策の助言をしている和田英樹さんです。
「ベトナムの状況を一言でいうなら『リサイクル先進国』でしょう」。訪ねた私に博士はこう言います。えっ、リサイクル? 家庭ごみの分別もされていないのに、本当かな。
「それは誰かが分けてくれているんですよ。そしてジャンクショップに売る」。はあ、ジャンクショップ?
和田さんはまず、ベトナムがリサイクル先進国たるゆえんを写真で見せてくれました。ハノイの飲食店から出る残飯を容器に入れて運ぶ人が写っています。よく町で見る光景です。「これは養豚場に運ばれて飼料になります。90年代までは東京の世田谷あたりでもやっていたんですよ」。
次に出てきたのがジャンクショップの写真でした。缶や鉄くず、ボール紙などあらゆるものを重さごとに買い取ってくれる店で、市内のあちこちにあります。朝日新聞ハノイ支局の近所の店では、鉄くずを1キロ7000ドン(約32円)で買い、7500ドン(約35円)で売っていました。
余談ですが、こうしたリサイクルに携わる人には、北部ナムディン省の方が多いそうです。田舎から都市に出てくる際に、この仕事を通じて暮らしを支えあってきたのかもしれません。
ベトナムにはさらに、素材ごとにリサイクルを専門に手がける「紙村」や「鉄くず村」などがあるのだそうです。数日後、和田さんたちと訪ねたのはハノイから車で30分ほどのフンイエン省ミンカイ村。別名「プラスチック村」です。
村に入ると、プラスチックを荷台に積んだトラックが行き交い、道の両端には丸められたプラスチックが山と積まれていました。国内外から持ち込んだプラスチックをリサイクルする作業所が並んでいます。
ある作業所では、5人ほどの女性が、韓国語などの文字が書かれた、医療用とおぼしき大判の透明なシートをきれいに重ね、くるくると丸めていました。
別の場所に積み上がっていたのは、電子部品を入れるプラスチックのケースです。「ほこりを防ぐ必要がある電子部品のケースは何度も使うわけにいかず、ごみになってしまうんですよね」と和田さんは言います。
続けて訪ねた小さな作業所は、まさに「リサイクル」の現場でした。
足元一面に、家庭ごみの中から集めたというスナックの袋やレジ袋などのプラごみの山ができ、ハエがたかっています。少しすっぱいようなにおいも。
マスクをした作業員の女性がプラごみをざくっとつかんで機械に入れました。ごみはまず水槽に入り、機械で前方へと押されながら10秒ほど洗われます。その後、熱した炉の中に入れられ、かんだ後のチューインガムのようなぐにゃぐにゃの灰色の塊になって出てきました。
塊は別の機械に入れられ、長いところてんのような形に押し出されて、水の入った容器の中で冷やし固められます。
ところてんを機械が細かく切断すると、あっという間に黒いペレットができあがりました。安いプラスチック製品の原料として1キロ1万2000ドン(約55円)で、中国やベトナム国内で販売するのだそうです。
全工程わずか数分。プラごみがこんなに簡単に材料に生まれ変わるなんて、驚きです。
でもね、と和田さんがくぎを刺しました。「ごみ原料のペレットは強度が弱く、安物の限られた製品しか作れないのです」。
さらに、私が「これはやばい」と感じたのは、環境汚染でした。村のあちこちの水路には、作業所から排出される墨汁のような色の汚水が流れていました。村の中心にある川にはプラスチックの袋や、プラスチック片が浮かんでいます。
川はいずれ海へとつながり、世界的な問題になっている海洋プラスチックの要因にもなるでしょう。ですが、名もなき人々が担う「リサイクル」は責任の所在がわかりにくく、改善もしにくい弱点があります。行政もこの現状を知らないわけはないのですが……。
ある作業所の女性は「村で扱うプラスチックの量は以前より減った」と言います。ベトナムでは2017年半ばまで、月に10万トンのプラスチックごみを輸入。多くが「プラスチック村」に運ばれてきたと考えられます。
ですが、コンテナの中身が厳しくチェックされるようになると、受け取り手のないプラごみ入りのコンテナが全国の港に放置されるようになり、悪臭も問題になり始めました。現地報道によれば、全国に2万個以上のコンテナが放置されているといわれます。
こうしたプラごみの送り出し国の一つとされるのが日本です。フック首相は「ベトナムをゴミ捨て場にするわけにはいかない」として今年3月、プラごみの輸入を2024年12月末で停止する方針を表明しました。
「リサイクル先進国」も、すべてのものを再生できるわけではありません。お金になる鉄くずやプラスチックを除いた、いわば残りかすは、最終処分場に運ばれて埋められます。1日7000トンのごみが出るハノイでは、ごみは2箇所の処分場に運ばれ、一部は焼却もされています。
埋め立て用のスペースは満杯の状態。日本の日立造船と中国系企業が、それぞれごみの焼却施設の建設を計画しているところです。
処分場を訪ねると、想像していたようなごみのにおいはほとんどしませんでした。買い物の際にもらうプラスチックの袋が、しわしわになってあちこちにあるのが目立ち、気にかかりました。
ごみツアーを終えて思いました。子ども用のコップやお風呂のいす、会社で使うファイルなど、便利なプラスチック製品を身の回りからなくすことはなかなかできそうにありませんが、例えば、買い物の際にもらう袋は減らせるかもしれないと。
「燃やせばよい」という意見もありますが、仮にそうだとしても、不要な袋をもらってすぐごみにする必要はないはずです。
海外から日本に帰るたび驚くのは、「ください」と言っていないのに渡されるプラスチック類の多さです。コンビニで飲み物を買うとストロー、アイスを買うとスプーンを当然のように渡されませんか? 外で食べるときはありがたいけれど、家で食べる時は不要なのに。でも、「いりますか」と聞かれることもなく渡されることも多くあります。
皮肉なことに商品のおまけでもらったり、催しで配られたりするプラスチック製のエコバッグも我が家にはあふれています。でも外出時には持っておらず、結局レジ袋のお世話になってしまうのです。その分、本当に不要な時は「いりません」と言おうと思いました。
7月に一時帰国した日本から戻る時も、成田空港でお土産などを買うたび「袋はいりません」と伝え、持参した布袋に入れました。空港内でもらった袋は小さめの1枚だけという状態で機内へ。やった、私はできることをやりました。
うれしさのあまり、生まれて初めて機内販売で免税品まで買ってしまいました。ビニール袋に入れて渡されたのは誤算でしたが。
成田から約5時間のフライトでハノイの自宅に戻ると、私は、ほくほくと免税品の袋を開けました。そして絶句しました。そこには、まっさらな白いビニールの袋が2枚入っていたからです。頼んでもいないのに。「お土産のお渡し用でございます」とばかりに……。なにこれ、わな? お・も・て・な・し?
はい、負けました。私は日本の「袋お渡し文化」に負けたのです。だだっぴろいあのハノイの処分場に、白い袋が舞うさまが頭に浮かびました。
不要な人にまで袋を配る習慣は、もう終わらせるべきです。お土産を渡す時のために「2、3枚余分に入れて」ってやつも時代遅れでしょう。そもそも、日本のお土産はどれもきれいな箱や紙に包まれています。そのまま渡してもたぶん怒られません。
「袋はごみ出し用に使うもん」という人もいます。それでも、不要な分までもらっては捨てる習慣はなくていい。ふだんプラスチックなしで生きられない生活をしている私のような人なら、なおさら心がけなければ、と思うのです。
1/20枚