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「アメリカ横断ウルトラクイズ」とは何だったのか クイズ王の夢再び
クイズ王になりたかった。小学生の頃、日本テレビの「アメリカ横断ウルトラクイズ」を夢中で見ていた。ジャンケンに、マラソンクイズ……。知力、体力、時の運、すべてがそろわないと勝ち抜けないところが好きだった。年1回、ほぼ1ヶ月間の楽しみ。放送のある木曜日が待ち遠しかった。6月下旬、あるツイートが目にとまった。「全国総合クイズ大会」が開かれるという。「これはかなり本気のやつですよ」。「やっぱり出てみたい」。妻とも相談し、同僚とともに出ることにした。あの頃、多くの子どもたちをとりこにした「ウルトラ」とは何だったのか。再び手にした問題集とともに振り返る。
忘れられないのは1989年の第13回大会。決勝戦はニューヨークで、10ポイント先取の早押しクイズだった。問題文が読み始められてすぐに「ピーン」と音がなり、正解を連発していく。クイズ王になった当時大学生の長戸勇人さんにあこがれた。
長戸さんの本に書いてある通り、かまぼこ板にホームセンターで買ったスイッチをボンドでくっつけ、暇があれば押しまくった。最も速い押し方を追求するためだ。科学館にある反応のスピードを実験するコーナーで反射神経を試した。友達とバラマキクイズもした。実家の2階の窓から地面に向かって自作問題を折りたたんで投げ、拾って部屋まで戻ってきて解答する。もちろん「ハズレ」も入れて。
「史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ」は、1977年から90年代(92年終了、98年に1度だけ復活)にかけて放送された視聴者参加の大型クイズ番組だ。
アメリカ大陸の各チェックポイントで、○か×かを決めてボードに頭から飛び込む「ドロンコクイズ」、ヘリから落とされた問題を探して大平原を走り回る「バラマキクイズ」、真夜中に起こされて始まる「奇襲クイズ」など、様々なクイズに挑みながら決勝のニューヨークをめざす。
クイズ番組の枠におさまりきらない、ドキュメンタリーだったことも人気の理由だった。
司会のトメさんこと福留功男さんが、参加者の性格や家族、職業など、キャラクターをあぶり出す。「常務すみません!」。大声をあげて解答権を得るクイズで、会社を休んで旅する参加者が絶叫する。自然に感情移入し、「大人になったらウルトラに出て、トメさんにあだ名をつけてもらいたい」と思った。
長旅の中で友情が芽生える。だが、敗れると日本に帰らなければならない。クイズが終わって別れの時、敗者の顔をカメラがとらえる。ライバルに屈した悔しさ、あふれる涙、勝ち抜いた仲間たちの複雑な表情……。それらがすべて映っていた。
長戸さんがクイズ王になった第13回のボルティモアで行われた準決勝には心が震えた。3ポイント取ると通過席に行くことができる早押しクイズ。ここで正解できれば決勝へ。ほかの誰かが正解するか、誤答なら0ポイントになって自席へ戻る。
4人の死闘が続く。決着がつかず、用意していた問題がなくなる。いったん休憩を取って、その間にスタッフが問題を作って何とか決勝進出の2人が決まったという。クイズ史上最高の闘いともいわれている。
小6だった私は、知識と知識のぶつかり合いが「かっこいい」と思った。これを機に、長戸さんの著書を読みはじめた。クイズにどっぷりはまっていくことになり、好きだった歴史を得意ジャンルにするために、高校では世界史の勉強に励んだ。大学で東洋史を専攻したのも、ここから道が続いていた。
高校ではクイズ同好会に入った。「お菓子」などテーマを決めて自作のクイズ10問を持ち寄って、解答し合う。ウルトラクイズと同じ日本テレビの「高校生クイズ」にも友達と3人で3年連続で出場した。でも最高成績は3年生の夏、北海道地区予選「YesNoクイズ」の7問目だった。
3人で話し合い、Noを選んだ。でも答えはYesだった。少し自信のあった早押し機の前に立つことさえできなかった。ウルトラクイズは18歳以上が出場条件で、私が18歳になる前に終わってしまっていた。大学生の時に一度だけ復活したが、その時は興味を失っていた。
新聞記者になって19年。クイズのことを考える暇はなくなった。ただここ数年、心の片隅で気になっていた。競技クイズにかける高校生の青春を描いたマンガ「ナナマルサンバツ」の連載が2010年に始まると、コミックを買った。往年のクイズプレーヤーのツイッターもフォローしていた。
最近、静かなクイズブームが来ているのを肌で感じていた。テレビで「東大王」「99人の壁」などを見たり、オンライン対戦ができるアプリ「みんなで早押しクイズ(みんはや)」を楽しんだりしている自分がいた。今でも家には、おもちゃのウルトラクイズ早押し機がある。
「99人の壁」に参戦する小学生の栗原叶くんをテレビで見た時は目が離せなかった。得意ジャンル「京急」「難読駅名」で勝負する栗原くん。クイズが楽しくて仕方がなかったあの頃の自分が重なった。
🚨ぼっちだった文学少年が美少女にクイズ王になろうって誘われた話 1/11#ナナマルサンバツ pic.twitter.com/0GNbqhimAi
— 杉基イクラ🚨ナナマルサンバツ最新17巻 (@iqura_s) 2019年1月15日
6月下旬、あるツイートが目にとまった。「全国総合クイズ大会」。関西に勤務して14年になる。クイズ大会の情報を見かけても東京開催が多く、参加はあきらめていた。この歳になって惨敗したら、という恥ずかしさもあった。
この大会は、全国8カ所で予選が行われ、大阪会場もあるという。予選を勝ち抜くとリーグに参加できる。朝日放送の名物クイズ番組「アタック25」の予選会で筆記試験をパスしたことのある同僚にメールした。「久々に大会に出てみませんか」。大会に出るとなると、高校生クイズ以来だから24年ぶりになる。一人では勇気が出なかった。
「ファイナルには東大王の水上の名が。これはかなり本気のやつですよ」と返信が来た。「やっぱり出てみたい」。もう一度考えた結果、妻とも相談し、同僚とともに出ることにした。
予選は7月15日。どんな問題が出るのだろう。たとえ惨敗だとしても、大会に出るからには全力を尽くしたい。大会のホームページで過去問を販売していた。まずは予選の問題を400円で購入。こうして、クイズ王への道が再び始まった。
あすの『挫折編』に続きます。
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