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取材殺到「ソーメン二郎」って何だ!廃業続く業界への危機感から誕生
7月7日は七夕……ですが、実はそうめんの日でもあります。最近、そうめんの季節にテレビでこの人を見かけませんか。その名もソーメン二郎。日本で唯一のそうめん研究家を名乗り、そうめんのレシピや歴史を紹介しています。7日には、渋谷でそうめんのイベントを開催。一体何者なのでしょう? 本人を取材しました。
――失礼ですが、ソーメン二郎さんって、何者なんですか。
そうめん研究家として、そうめんの良さを広める活動をしています。そうめんといえば、昔はお中元の主役として、大人気でした。
ですが、お中元文化の衰退とともに、最近はそうめん離れも進んでいます。そんな中、そうめんをPRしようと、企業とコラボメニューを開発したり、テレビや雑誌の取材を受けたりしています。
昨年は70件以上の取材依頼がありました。今年も5月の連休明けから取材依頼が入り、すでにテレビは10本、雑誌に15本ぐらい決まっています。おいしい食べ方や、うんちくなどを紹介しています。
――夏以外は何をしているんですか。
本業はイベントプロデューサーです。テリー植田の名前で活動しています。自治体と一緒にイベントを企画したり、東急百貨店や東急ハンズの売り場をプロデュースしたりしています。本業のかたわら、5年ぐらい前からソーメン二郎の活動も始めました。
――ソーメン二郎誕生のきっかけは。
私は三輪(みわ)そうめんで知られる、そうめん発祥の地、奈良県桜井市の出身です。1971年にそうめんの製麺所の家系に生まれました。今も親類が亀屋植田製麺所を営んでいます。
子どものころは夏になると、お中元の配送の手伝いをして、食卓には毎日そうめんが並んでいました。近所にはおいしいそうめん屋さんがあって、ときどき家族で食べにいく。それが当たり前だったので、とくにそうめんに対して意識もしていませんでした。
でも約20年前、25歳で上京したとき、東京にそうめん屋さんがないことに驚きました。友人たちもラーメンやうどんに比べて、明らかにそうめんを下に見ているように感じました。あんなにおいしいのに、と悔しかったですね。
――その悔しさからソーメン二郎が生まれた。
一番の理由は、そうめん業界に対する危機感です。実家に帰省するたび、周りの製麺所の廃業を知ることが増えました。
最盛期に120軒あった製麺所は80軒ほどしかありません。廃業の理由は販売量の減少と、職人の高齢化です。手延べそうめんの職人さんの多くは現在60~70歳代。若い後継者がいる製麺所はほとんどありません。
このまま10年、20年たてば、自分が愛したそうめんが食べられなくなる。そうめんの魅力を伝えたい。そんな思いで、生まれたのが、ソーメン二郎です。
――そうめんと言っても、いろんな種類があるんですね。
一番の違いは、手延べか機械式かということです。手延べというのは、小麦と水、塩、油を2本の棒状を束ねて伸ばすので、機械式とはコシとうまみが違います。
有名なところだと、揖保乃糸(兵庫県)、三輪そうめん、小豆島そうめん(香川県)、半田そうめん(徳島県)、島原そうめん(長崎県)などでしょうか。多くが後継者不足に悩んでいます。後継者がいないと、手延べそうめんの文化がなくなってしまうのではないかと心配しています。
そうめんが売れなくなっています。厳密に言うと美味しい『手延べ』そうめんが売れずに、リーズナブルな『機械麺』や流水そうめんが売れています。手延べそうめんが売れないと手延べそうめん職人の後継が何年後にはいなくなるのが現実です。少しの値段の違いで大きな味の違いがわかります。
— ソーメン二郎 7月7日そうめん祭り開催! (@somenjiro) May 28, 2018
――具体的にどんな活動をしてきたのですか。
この5年間は「レシピ」「意識」「流通」の三つの改革をめざして活動していました。2017年にレシピ本「簡単! 極旨! そうめんレシピ」を出しました。今年も夏を前に増刷が決まるなど、細く長く売れ続けています。
そうめんを嫌いな人はいないけど、夏になると、食卓にそうめんばっかり並んで嫌だったという思い出はみんなあると思います。それは、めんつゆで食べるそうめんの楽しみ方しか知らないだけで、一手間加えるだけで多彩なそうめんを味わえるんです。
本では、オリーブオイルと塩を入れるだけ、カレーで味付けなど、簡単にできるそうめん料理を紹介しています。
――そうめんをおいしく食べるコツってあるんですか。
そうめんをゆがく時間は、2分ぐらいが目安ですね。ゆがくときに梅干しを一緒に入れると、クエン酸が広がって麺にコシが出ます。梅干しはその後、そうめんと一緒に食べるとおいしいですよ。
あと氷を入れた器に麺を入れるのはやめたほうがいいです。あんまり冷やしすぎると、麺の甘みがわからなくなります。
――そうめんへの意識というのは。
そうめんというのは、1200年の歴史があり、天皇にも献上された食材です。いまも毎年夏になると口にすると思います。
だけど、ラーメンやさぬきうどんのように、一度もブームが来たことがありません。でも、「そうめんブーム」はなくても、毎年「そうめんシーズン」はやってきます。そのチャンスを生かして、いつか本当のブームを起こしたいと思っています。
――流通とは何を指すのですか。
そうめんを食べる機会を増やすという意味です。10年前までそうめん専門店は、都内に1軒もなかったと思います。それがそうめんの認知度が上がるとともに今では7~8軒に増えています。ラーメン店やうどん店が、夏限定でそうめんを提供したこともありました。
スーパーの麺売り場は定期的にチェックしているのですが、最近は猛暑の影響もあってか、5月の連休明けから9月まではそうめん売り場が作られるようになりました。また、関東では、これまで揖保乃糸ぐらいしかなかったのが、先ほど挙げた三輪そうめん、小豆島そうめんなど5~6種類ぐらいそろえる店も増えてきました。
さらに今年からは、大手の食品会社が、ゆがいたそうめんにあえるだけの「ふりかけ」を相次いで発売しました。マンネリに陥りがちなそうめんの味を、多彩に楽しもうという商品です。
――テレビにも積極的に出ていますね。
イベントプロデューサーという仕事柄、人前で話すことに抵抗はありませんでした。ただ、テレビに出演するのは慣れていないため、最初は大変でした。企画を一から考えることもありましたし、何度も打ち合わせをして、いざ本番という前にスタッフから「みわ(三輪)そうめん」ではなく「さんわそうめん」と言われ、がっかりしたこともあります。
最近はいろんなスタッフとも顔見知りになり、夏になると先方から電話がかかってきて、「こんな内容どうですか」「そうめんで、こんなことできないですかね」と企画を提案されるようになりました。ありがたいことです。
――今年はそうめんの絵本も出版しましたね。
「そうめんソータロー」という絵本です。私は原案を担当しました。絵とストーリーは「うどんのうーやん」など食材を主人公にした絵本で知られる岡田よしたかさんにお願いしました。
岡田さんも奈良出身です。絵本は夏に人気者だったそうめんが冬になると人気がなくなり、自分探しの旅に出かける……というあらすじです。そうめんを通年食べてほしい、子どものころからそうめんに親しんでほしいという思いを込めて作りました。
――最近は、そうめんブームの兆しが見えたきたのでは。
5年間活動を続けてきたこともあり、最近では街を歩いていると「そうめんの人ですよね」と声をかけられることも増えてきました。私の顔を見て、そうめんのことを思い出したり、考えたりしてくれるのは光栄です。
でも、そうめん業界の危機はまだ続いています。出荷量が格段に増えているわけではないし、跡継ぎが誕生しているわけでもありません。少し注目が高まってきた今こそが、正念場だと思っています。
――7日のそうめんの日は、どんなイベントを
「そうめんソータロー」の絵本を一緒に手がけた岡田の読み聞かせや、テーマ曲を歌う福原希己江さんのライブ、そうめんがテーマの山田広野監督による活弁映画上映、そうめんの試食などを予定しています。
そもそもなぜ7月7日がそうめんの日かというと、平安時代の書物「延喜式」に、旧暦の7月7日にそうめんの原型とされる「索餅(さくべい)」を供えたという記述があることが由来です。
――改めてそうめんの魅力とは
そうめんがお中元で人気だったのは、ご縁が切れず長く続きますようにという思いが込められた縁起物だったからです。そうめんはコミュニケーションツールでした。今もみんなでワイワイできる流しそうめんが人気ですよね。
現代は人間関係が希薄になっています。赤い糸ならぬ、白い糸でつながり、そうめんの魅力を知ってほしいです。そうめん文化の見直しは、コミュニケーション文化の見直しにもつながると思っています。
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