連載
#5 働き方を問う
学校現場は「定額働かせ放題」 小学校の先生、残業代求め異例の裁判
先生の働き方は「定額働かせ放題」とも言われています。月給の4%分にあたる手当が支給される代わりに、いくら長く働いても残業代が支払われないからです。そんな制度を変えようと、埼玉県内の小学校に勤める現役の先生が裁判を起こしました。働きすぎで疲弊している仲間たちを救いたいという狙いもあるそうです。法廷を取材しました。(朝日新聞記者・牧内昇平)
「教員の時間外労働に対して一切の手当を支払わないという取り扱いは、法的に許されません」
5月17日、さいたま地方裁判所で開かれた口頭弁論で、田中まさおさん(仮名・60歳)が長年の思いを訴えました。
田中さんは1981年に大学を卒業し、埼玉県内の小学校の先生になりました。今年3月に定年を迎えた後も再任用教員として教壇に立ち、現在は4年生の学級担任を務めています。
田中さんが「雇い主」の埼玉県を訴えたのは昨年9月のことです。訴状によると、2017年9月~18年7月末までのあいだ、田中さんは月平均で約60時間の残業を行っていました。この分の残業代として、埼玉県に約240万円の支払いを求めています。現役の先生が残業代を求めて裁判を起こすのは異例のことと言えます。
「自分たちの労働が正当に評価されないのは、とても辛いことですよ」
法廷を出た後、田中さんは私にそう話しました。
田中さんによると、当時勤めていた小学校は8時半始業、17時終業。休憩時間をのぞくと1日7時間45分勤務とされていました。
ところが、実態はそれを大きく超えていたそうです。定時より1時間早い朝7時半くらいに出勤していました。学校にやってくる児童たちを見守る「登校指導」などがあるからです。
児童の下校後は、テストの採点や授業のプリント作りなどたくさんの仕事があります。校門を出るのは夜7時を過ぎることがしばしば。夜9時ごろまで働くこともありました。
1年間の出退勤時刻をノートにメモして計算したところ、残業時間は最短の月でも40時間を超え、最長だった2018年6月には78時間に達したそうです。月80時間の残業が「過労死ライン」と言われています。田中さんは過労で倒れてもおかしくない水準の働き方だった、ということになります。
たくさん残業しているはずの田中さんですが、働いた時間の長さに応じた残業代は支払われていません。先生の賃金は「給特法」(公立学校教育職員の給与等に関する特別措置法)という法律で定められているからです。この給特法によって、先生には給料の4%分にあたる「教職調整額」が一律で支給されています。
その代わり、いくら長く働いても追加の残業代は出ません。田中さんの場合、1カ月に1万6千円ほどが教職調整額として支払われていました。
「少なすぎると思いませんか。実際には給料の4%では全く見合わない残業をしています。ずっと、なにかおかしい、なにかおかしい、と思って働いてきました。教員にも一般の労働者と同じように残業代を支払うべきです」。田中はそう話します。
被告の埼玉県は田中さんの訴えを退けるべきだと主張しています。
たとえば、埼玉県が裁判所に提出した答弁書のポイントを筆者なりにまとめると、おおむね以下のようになります。
「教員には、自発性あるいは創造性に基づく勤務が期待されている。このため、一般の行政職と同じように時間的計測のもとで超過勤務手当を支払う制度はなじまない。これらの理由から時間外や休日手当は支給しない一方、正規の勤務時間の内外を問わず、包括的に評価した結果として教職調整額を支給している。したがって、無賃労働ではない」
もう少しかみくだくと、こんな感じになるでしょう。
“先生の時間外労働は自発的勤務の側面がある。このため、働く時間を厳密にはかって残業代を払うのはふさわしくない。自発的勤務も含めた報酬として一律に「教職調整額」を支給しているので、これでいい”
筆者の解釈で言えば、これはおおむね文部科学省のスタンスとも言えるでしょう。
しかし、田中さんの意見は違います。
「いまの教員が残業でこなしている仕事の多くは、自主的・自発的に必要だと思ってやっているのではありません。多くの仕事は職員会議によって指示を出され、一人一人の教員は嫌でも従わざるを得ません」
先生の「働きすぎ」は大きな問題になっています。
一カ月に80時間の残業が「過労死ライン」と言われていますが、文科省の調査によると、公立中学校の先生の約6割、小学校の先生の約3割が、このラインを超えて残業していました。また、精神疾患による病気休職者の数は年5千人ほどにのぼっています。
この長時間労働の原因の一つが、給特法だと指摘されています。一律4%の教職調整額という制度がある限り、労働時間を管理する意識が甘くなり、むだな仕事をやめるなどの「時短」の工夫も徹底されない――。こうした指摘です。
教育行政のあり方を決める「中央教育審議会」(中教審)でも、先生の働き方改革は議論されてきました。ところが今年1月に発表された最終答申に、「給特法の見直し」は盛り込まれませんでした。
先生の働き方問題に詳しい名古屋大学准教授の内田良さんは「田中さんの裁判が現状を変えるきっかけになるかもしれない」と期待しています。
「長時間の残業に対して4%の教職調整額しか支給されないのは明らかにおかしいです。それでも文科省や中教審が現状を変えられないのは、財源がないからでしょう。先生にきちんと残業代を払えば莫大な予算が必要です。一つの省庁ではそこまで改革できません。司法から『それではダメだ』という判断が下されれば、文科省や政府も対応せざるを得なくなります」
田中さんはこの裁判を起こしたとき、59歳でした。今は再任用として働いていますが、いずれ退職します。学校を去る前に問題を指摘しなければいけないと思い、裁判を起こしたそうです。
「先生の仕事を無制限に増やし、多忙を当たり前のことにしてしまったのは、我々の世代です。それを可能にしたのが、一律4%の教職調整額です。若い世代にツケを回してはいけません。我々の世代で賃金の仕組みを変え、『1日8時間労働が普通』という意識を取り戻さなければなりません。そうすれば、過労で倒れる先生はいなくなるでしょう。そのうえで、若い先生たちには『残業してでも子どものために必要な仕事はなにか』を一から考えてもらいたいと思っています」
今後、現役の先生の訴えに対して裁判所がどのように答えるかが注目されます。
次回の法廷は7月12日に開かれる予定です。
埼玉県の担当者は「引き続き原告の請求棄却を求めて参ります」としています。文部科学省の担当者は「教員の働き方改革は引き続き進めていく。係争中の事案についてはコメントできない」としています。
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