連載
「自分をログオフしたい」着ぐるみの女性が得た「他の誰でもない私」
「自分」というアカウントを全うしようと、理想と現実のはざまでもがくあなたへ。
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「自分」というアカウントを全うしようと、理想と現実のはざまでもがくあなたへ。
女性の「着ぐるみ」を着る女性がいる。ぬいぐるみのようなふさふさしたものではなく、人形のような顔つきのドールタイプと呼ばれるもの。どうして着ぐるみを身につけるのか。その理由を知りたくて、取材を申し込むと、髪色が少し明るいアクティブそうな女性が現れた。屈託のない表情で「自分を『ログオフ』したい」という女性の話から、インターネットではふりほどけない「自分」への固定概念の根深さを考える。
「いや、コンプレックスとかは全然ないんですよ」
取材場所のカフェに訪れたあきらさん(28)は、くりっとした大きな目に、明るく弾むように話す女性。「友だちが多そうだな」というのが、私(筆者)の印象だ。教室のはじっこにしても、元気な声が聞こえてきそうな、快活な人。
あきらさんは大学生の頃から、女性の着ぐるみを着て写真を撮影したり、それをネットで発信したりしている。アニメのキャラクターやオリジナルなど、家には7種類のお面があるという。
女性が「女性の着ぐるみ」を着ていると聞き、もしかすると何かを抱えている人かもしれないと気構えていた私(筆者)。しかし、その明るさに少し拍子抜けした。慎重に越したことはないけれど、思い込みで腫れ物に触るように感じさせてしまっては申し訳ない。
「恐る恐る接してしまって、気を悪くしたらすみません」と謝ると、「もっと暗い人とかだと思ってました?」と、あきらさんはあどけなく笑う。
あきらさんは、幼い頃から遊園地などで開催されるキャラクターショーが好きだった。今でいうプリキュアのような、人型の女の子の着ぐるみを見て「いつか着てみたい」と思ったという。
中学生になると、インターネットで着ぐるみの情報を集めた。着ぐるみのマスクの土台となる「素体」を販売している工房のホームページや、趣味で着ぐるみをつくったり着たりしている人のブログをブックマーク。
マスクは素体だけでも数万円、完成しているマスクであれば10万円以上するものもある。「自分が持つのであればどんなものだろう」とシミュレーションし、見て回るのが習慣だった。
大学で一人暮らしを始め、アルバイトで稼いだお金で初めてマスクの素体を買った。マスクはFRPと呼ばれる強化プラスチックでできている。飛行機や船舶でも使用される、日常生活ではあまりなじみのない素材だ。
あきらさんは、これまで集めたサイトやブログの情報をもとに、自分なりにマスクの加工を始めた。素体には肌のベースがあるのみで、着色もされておらず目も髪もない。理系の研究室に所属していたため、ときには隣の研究室で余った接着剤などを分けてもらいながら、家のベランダで最初のマスクを完成させた。
マスクの話になると、あきらさんの目はさらに輝く。「自分でつくるなんて、すごいですね」と言うと、「作業量とクオリティの対価として、支払う金額が体感できるじゃないですか」とあきらさん。「いずれ複数体、着ぐるみを持つことを覚悟してましたから」
「せっかくなんで、いろんな子になりたいんですよね」
でも、どうしてあきらさんは着ぐるみを着たいと思うのか。なぜ、「着ぐるみ」だったのか。すると、屈託のない表情でこう答えた。
「『自分』でいることに疲れちゃうことってないですか?」
あきらさんは、普段はIT系の企業で働いている。業務上、人前に出ることも多く、「自分が嫌いだったら今の仕事はしていない」と断言する。人を笑顔にするのが好きで、おどける自分を周囲も受け入れてくれる。
「でも、自分のイメージとかキャラとか、人間関係とか。そういう自分に貼られている『レッテル』や、自分とつながっているものを全部ひきはがしたくなるときがあるんです」
小さいころから、「元気な子」だったというあきらさん。親族も多く「大切に育てられた」と振り返るが、両親の仲は良いとは言えなかった。そんな両親を少しでも安心させようと、あきらさんは笑っていた。泣いた記憶は、いつも布団の中だった。
「それがつらいとか、疲れたっていう記憶はないです。演じようという意思もない。ただ、そうしていた方がいいんだ、ということだけ思っていましたね」
気付くと、家でも学校でも「元気な子」というキャラクターが定着していた。友だちに話しかけられやすい一方、目立つと悪口の標的にもなりかねない。
「子どもなりに、そういう人間関係がめんどくさかったんです。本当は『おとなしい子』になりたかったんですけど、なりたい自分となっちゃってる自分に『ずれ』がありました」
でも、そう簡単に「キャラ変」はできない。自分が「こうした方がいい」と思って振る舞ってきたし、周囲も「元気な子」として接してくる。もし、コミュニティによってキャラクターを使い分けても、つじつまが合わなくなったらきっと疲れてしまう。この自分は嫌いじゃないけれど、成長するにつれどんどん身動きが取れなくなっていた。
そんなあきらさんが見つけたのは、普段の実生活を過ごす「自分」を「休ませること」だった。
「着ぐるみのときは、私であることがわかる顔や体を全部覆って、声も出しません。その間は別の人になれるから、本来の自分には休憩していてもらうんです。自分に『役割』を持たせない時間を、あえてつくる。だから、自分を解放したいとか、自分を変えたいとか、そういうことじゃないんです」
「SNSとかゲームとかだと、複数のアカウントやキャラを切り替えるじゃないですか」というあきらさん。
「あんな感じ。『ログオフ』です。休ませておいて、『ログオン』したときは、ちょっと元気になってる」
「自分がなりたいかどうかで選んでいる」というあきらさんのお面は、落ち着きのある表情のものが多い。
お面をかぶると、顔つきの違いから似合う服も変わる。普段あきらさんはカジュアルな服を着ているが、お面をかぶるとシックで大人っぽい服も似合う。
「私には似合わないと思っていた服も、手を伸ばせるになりました。もう、あきらめなくて済むんですよ」。そう話すあきらさんの声がまたはずむ。
着ぐるみを始めてから、行動範囲は格段に広がった。友人に頼んでついてきてもらい、普段は踏み込めなかったブランドの店にも入れるようになったという。私(筆者)はあきらさんの話を聞きながら、初めて入った店で服を買う達成感を想像し、胸が高鳴った。
誰しも現実の生活で「自分」という「アカウント」で生きていくためには、さまざまな制限事項がある。これまでのキャラやコミュニティで求められる役割、うまく線引きして立ち回らないとはみ出してしまう。
「でも、そこばかりに脳みそを使っているとすり減ってしまう。ちょっともったいないですよね」
あきらさんにとって、着ぐるみは「自分以外になれる手段」。それと同時に、現実の自分で葛藤していたアイデンティティを整理する装置になった。
「お面をかぶれば、なりたかった自分になれる。だから、現実の自分は他の誰にもならなくてもいい。『元気な子』というイメージに縛られていたけど、自分は自分であっていいって思えるようになりました」
着ぐるみという給水所を持つことで、自分との折り合いがついた。
「現実でも固定概念を持たず、もっと柔軟にキャラ変できればいいんですけど」と言いつつも、あきらさんは言い切る。
「確実に、今の私は生きやすいです」
◇
生身の肉体から、全くの別人になることはまず難しい。だからある程度の自分を残すことを認めるか、ネットやゲームなどバーチャルな空間で実現せざるを得ない。
そのバーチャル空間では当たり前に行われている「アカウントの切り替え」も、現実空間で「別人になりたい」というあきらさんと話して、より物理的な感覚が求められているのだと感じる。
それくらい、自分にはりついているあらゆる情報たちが、気付けばしがらみになっているのかもしれない。
彼女の場合、もともと好きだった「着ぐるみ」が安らぎをもたらしてくれたが、「自分」というアカウントを全うしようと理想と現実のはざまでもがいている人はたくさんいるのでは、と今になって思う。
そんな人たちにとっての給水所が、ひとつでもあることを願う。
マスク/お面をかぶり、着ぐるみをまとう人たちがいる。その人たちが隠したいものは何なのか、そして得たものは何なのか。それぞれのバックグラウンドを通して、私たちの社会にある「生きづらさ」について考える。不定期配信。
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