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<金正男暗殺を追う>「ミスターY」と名乗った男「いくら欲しい?」

事件の前年にはユーチューブの番組に出演していたフォン
事件の前年にはユーチューブの番組に出演していたフォン

目次

 「いたずら番組の撮影」と称して金正男(キム・ジョンナム)氏に毒を塗ったとされるベトナム人のドアン・ティ・フォンさん(31)を、事件前に撮影に誘い込んだ男がいた。自らを「ミスターY」と呼び、流ちょうなベトナム語を操る男。「いくら欲しい?」「ボーナスも払う」との誘い文句に、フォンさんは引き込まれていった。(朝日新聞国際報道部記者・乗京真知、鈴木暁子)

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金正男暗殺を追う

男はバーで待っていた

 フォンが逮捕直後、警察に打ち明けた供述調書は、次のような場面の説明から始まっている。

 クリスマス目前の2016年12月下旬、フォンの携帯電話が鳴った。女友達のバー経営者(31)からだった。「近くのバーまで来て」「撮影の仕事があると言っている人がいるから」。バーは自宅から車で20分ほどの場所にある。フォンはタクシーを呼んで、さっそくバーに向かった。

 バーに着いたのは午後2時半ごろだった。中に入ると、カウンターのそばに男が座っていた。フォンは「韓国人らしい顔立ち」だと思った。年の頃は30代後半で、細い目に四角い縁なし眼鏡をかけていた。黒髪を右から左に流すようにセットし、ヒゲはきれいにそっていた。白いシャツに黒いズボンと黒い靴。180センチを超える長身で胸板が厚く、腕時計をはめた左腕には血管が浮き出ていた。日焼けしたようなくすんだ赤の唇は、男が愛煙家であることを物語っていた。

 男は口にビールを含んだ後、ベトナム語でこう切り出した。「ミスターYと呼んでくれ」。フォンが「どうして言葉が上手なの?」と尋ねると、男は「ベトナムと韓国のハーフなんだ」「Yはベトナム名の頭文字」と説明した。

「ミスターY」と名乗る男がフォンに「いたずら番組」の撮影話を持ちかけたとされるハノイのバー=ライ・タイン・ビン撮影
「ミスターY」と名乗る男がフォンに「いたずら番組」の撮影話を持ちかけたとされるハノイのバー=ライ・タイン・ビン撮影

「月いくら欲しい?」

 ミスターYは「韓国メディアの仕事を請け負う撮影会社のカメラマン」で、いたずら番組の撮影を手がけているとのことだった。また、いたずらとは、通りかかった人の手に触れたり、液体をかけたりすることだと説明し、ラオスや韓国、マレーシアなど海外での撮影も予定していると語った。

 出演料については「月いくら欲しい? 言ってごらん」「撮影がうまくいけばボーナスも払う」と気前がよかった。フォンが「1000ドル(約11万円)ほしい」と希望を伝えると、ミスターYは「ボスに話してみる」と応じ、携帯電話の番号を交換した。1000ドルは一人暮らしをするフォンの家賃の約17カ月分に相当する額だった。

 出演条件がよく、言葉の壁もない。清潔感があり、まじめな人。約40分の話し合いで好印象を抱いたフォンは、すっかり話を信用した。

フォンに「いらずら番組」への出演を持ちかけたとされる男「ミスターY」。マレーシア警察によると、男は北朝鮮の工作員だった=関係者提供
フォンに「いらずら番組」への出演を持ちかけたとされる男「ミスターY」。マレーシア警察によると、男は北朝鮮の工作員だった=関係者提供

ユーチューブに出演歴

 フォンが撮影に誘われたのは、これが初めてではなかった。ミスターYと出会う半年以上前に、動画投稿サイト「ユーチューブ」の番組に出演したことがあった。

 ベトナムの人気ユーチューバーの男性がマレーシア警察に説明したところでは、フォンは2016年に2回、男性の番組に出た。番組の内容は、ハノイの公園で時間をつぶしているフォンに男性が突然声をかけ、簡単なゲームでフォンが勝てばプレゼントが贈られるが、負ければキスを受け入れなければならないというもの。視聴者からすれば、公園で会ったばかりの2人が口づけをするのかどうか、気になる設定だ。

 2016年4月公開の番組(https://www.youtube.com/watch?v=85YN_MUWMQw)では、赤いドレス姿のフォンがゲームに負け、恥ずかしそうに唇を重ねる様子が映っていて、視聴回数は800万回を超えた。ドレスの裾は下着がのぞくほど短かった。「愛想が良くて可愛い彼女は、撮影をとても楽しんでいた」(男性の警察への説明)という。

 計2回の撮影でフォンが受け取った出演料は、60万ドン(約2900円)だった。一方、ミスターYとの撮影で得られるかもしれない出演料は、その数十倍。「女優」としてステップアップしたかったフォンにとって、ミスターYの誘いは願ってもない飛躍のチャンスだった。

    ◇

【フォンの人選】ミスターYは出演女優の条件に「若さ」と「飲み込みの良さ」を挙げた。外見についての注文はなかった。人選を頼まれた女友達(31)は、知り合いのフォンを推薦した。高等教育を受けて英語も話せるフォンは理解が早く、過去に撮影を経験しているため適任、と考えたという。その考えの通りフォンを気に入ったミスターYは、女友達に「かなり高い確率で彼女(フォン)を採用することになるだろう」と語ったという。
事件の前年にユーチューブの番組に出演していたフォン(右)
事件の前年にユーチューブの番組に出演していたフォン(右)
<お断り>事件発生前から裁判までを振り返る連載「金正男暗殺を追う」(https://www.asahi.com/special/kimjongnam/3/)では、フォンさんの呼称(容疑者や被告など)の変化による混乱を防ぐため、呼称を省いています。フォンさんは4月1日にマレーシアの裁判所から禁錮刑を言い渡され、刑期を終えた5月3日に出所、ベトナムに帰国しました。
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