連載
「それでもいいから会いましょう」場面緘黙の私 「お面」で得た人生
誰かとつながりたい、でも、声が出ない。追い詰められた先にあったもの。
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誰かとつながりたい、でも、声が出ない。追い詰められた先にあったもの。
誰かとつながりたい、でも、声が出ない。大人になってから病気だと知るまで、人とのつながりを実感できないまま生きてきた男性(31)。話せないために「空気」のように扱われた高校時代、「消えてしまいたい」と思うほど追い詰められた先には、想像していたよりもずっと鮮やかな世界が待っていた。自分の病気への理解とともに、「お面」によって広がった人生。男性のこれまでを振り返る。
「いまは、お面は5つ持っています」
少しハスキーな小さな声で話し始めたのは、色白で小柄な男性。女性の着ぐるみ姿で、「ほづみりん」として2012年頃からTwitterやYouTubeで活動を発信している。
「僕の病気の特性上、『マスク』より『お面』という言葉の方が、発音しやすいので」
マスクの呼び方について聞くと、そう答えが返ってきた。
ほづみさんは幼いころから、家の外では声を出すことができなかった。話したいことはあるのに、話している姿を誰かに注目されていると思うと、怖くて声を出せない。小学校の授業で先生にあてられても答えられない。クラスメイトと会話することもできず、休み時間もじっと席に座っていた。
でも、家に帰れば、学校で見たクラスメイトのように話すことができる。先生や親は「恥ずかしがり屋」「おとなしい性格」と言った。ほづみさん自身も、性格がそうさせているのだと思い込み、周りの子どものように振る舞えない自分を責めるようになった。
「食べるときは口を動かせるんだね」、クラスメイトにそう言われて、給食が食べられなくなった。体育の授業は、体が硬直して動けない。学校のトイレにも行けないため、できる限り水分もとらないようにしていた。
学校は休めなかった。休んでいる間に自分の悪口を言われるのではーー、そんな強迫観念に駆られていた。休んだ日のノートやプリントも「見せて」の一言が言えない。とにかく通うしかなかった。
「みんなはきっと努力して話せるようになったんだと思っていました。自分には努力が足りていないのだと」
日に日に劣等感は強まっていった。中学の進路指導の授業で、将来のことを考える。高校入試の面接、大学、就活、社会人生活……どこかで必ず行き詰まる。
「そんなことを考えても、そのときはもう自分は死んでしまっているのでは」
どこか客観的にそう感じる自分がいた。家にいる自分と学校にいる自分、どちらが「本当の自分」なのかがわからない。三者面談で先生が言う「物静かで真面目な子」は、自分のことなのだろうか。いずれにせよ、家の外にいる自分には、存在意義が見出せなかった。
「社会生活を送る上で、コミュニケーションをとるということは、人間の本来のあるべき姿ですから」
大学時代、物理学を学んでいたというほづみさんの話には無駄がなく、理路整然としている。
ほづみさんは「うなずくだけでいいから」と、面接を配慮してくれた私立高校に入学した。環境が変わったことを機に、「これ以上ないくらい勇気を振り絞って」声を出してみた。どんな声が出たのか、自分でも覚えていない。同じ中学だったクラスメイトが笑っているのが見えた。無理は、長く続かなかった。
「やっぱりダメなんだ」ーー。自分への諦めを強くするばかりだった。
高校は早朝から授業が始まり、10時間目まであった。その後予備校へ行き、終電で帰る生活。食事もとれず、トイレにも行けない。
クラスメイトは、「話せない」ほづみさんを「空気」のように扱った。このまま社会に出ても生きていけないだろう。「大学へ行くための踏み台」と割り切って、高校生活を送った。
その過酷さに、大人になった今でも週に3回は高校生活の夢を見る。朝起きると、高校に行かなければと焦燥する。
「ちゃんと卒業できたという感覚がないんだと思います」。高校はもう行かなくていいのだと、枕から見える位置に大学の卒業証書のコピーを置いていても、過去のつらい記憶が追いかけてくる。
誰ともコミュニケーションがとれない中で、追い詰められた高校生のほづみさんは精神的な居どころを探った。
物心ついた頃から「友だち」と呼べる相手はいなかったが、近所の同世代の子どもに女の子が多かったため、幼い頃からぬいぐるみやセーラームーンがほづみさんの身近にあった。
「かわいい」と思えるものに惹かれる。将来に先詰まりを感じるなかで、幼い頃のわくわくした気持ちが、ずっと心の中で輝いていた。
高2のとき、貯めたお年玉を使ってほづみさんが買ったのが、フルフェイスのヘルメットのように顔を覆う「お面」だ。たれ目でほほえむ顔に、胸のあたりまであるピンク色の髪。
鏡の前に立つと、つらい現実にいる自分とはかけ離れた姿があった。そして、その姿を「かわいい」と思えた。人とのつながりを感じられず、自己否定を続けてきた生活に、小さな波が生まれた。
活発そうな目の前の女の子は、自分の歩めなかった人生を生きてきたように見えた。お面の写真に目を落としながら、「こんな子に、なりたかったんだと思う」と自分に言い聞かせるように話す。
大学は消去法で選んだ。実家から通えること、面接がないこと。幸い、テストの成績は良かったため、地元の国立大に入学した。それでも、ディスカッション形式の講義は会話に参加できない。単位を何度も落とし、留年を繰り返さざるをえなくなった。
大学に入って7回目の初夏。たまたま受けていた医学系の講義の後、先生に呼び止められた。
「君、もしかしたら病気かもしれないから、診察においで」
そこで初めて「場面緘黙(かんもく)」という言葉を知った。
場面緘黙とは、言葉を発することを求められる特定の場面で、話すのが難しくなる状態が1カ月以上続く「不安症」という精神疾患のひとつ。自分の意図した通りに体が動かせない「緘動」という症状もあることを知った。
学校で声を出せず、体を自由に動かせず、トイレも行けない。それは、自分の性格や努力不足ではなく、名前のある病気。治療できることもわかった。
「うれしかった……。うれしかったですね」。ほづみさんはかみしめるように振り返る。「できれば、もっと早く知りたかった」
薬を処方され、定期的に面談に通った。最初は本当に話せるようになるか不安だったが、先生が示す改善の道のりを、一歩ずつ踏み出していった。
先生に声をかけられてから5ヶ月後。途切れ途切れでも、「こんにちは」と言うことができた。
面談の帰り道、電車を待ちながら見上げた空は、とても青く見えた。電車が近付いてくる遮断機の音も、鮮明に覚えている。
症状も少しずつ快方に向かうと、家にいるときのような自分が「本当の自分」だと思えるようになってきたという。テキストやテロップを活用して、インターネットで着ぐるみの写真や動画を投稿するようになると、好意的な反応が返ってきた。自分の好きなことで、誰かとつながれる喜びを知った。
ある日、同じ趣味を持つ人から「会いませんか」というメッセージが届いた。「僕の病気の特性上、お話がしづらいんです」と打ち明けると、「それでもいいから会いましょう」と言ってくれた。
オフ会などに参加すると、着ぐるみを着ているときは、お互いにしゃべらないのが暗黙のルールとなっていた。ほづみさんがいるからではなく、言語のコミュニケーションを必要としない世界。そんなコミュニティが自分を受け入れ、背中を押してくれた。
ほづみさんは、「僕にできることはまだあるかもしれない」と思うようになった。
好きなことをやりたいと考えると、それはやはり着ぐるみだった。治療を始めて半年後、キャラクターショーのスーツアクターのアルバイトに応募した。家で話す練習を重ね、面接もスムーズにできた。
初めてキャラクターショーに出演すると、お客さんがうれしそうに集まってきた。写真や握手に応じると、笑顔で帰っていく。着ぐるみとして接しているが、自分でも目の前の人を幸せにできるかもしれない。
「消えたい」と思っていた自分だったが、初めて「人間の普遍的な幸せを得た」とほづみさんは話す。
やっと、スタート地点に立てた気がした。
◇
ほづみさんに取材したのは、GWを目前にした4月の後半。帰り際、「この連休は結構忙しいんです」とはにかむ。聞くと、有名なキャラクターの着ぐるみの仕事が控えているという。
私(筆者)でもよく知るキャラクターに驚くと、さらに笑顔が開いた。「頑張ってください」と、弾むように階段をおりていく後ろ姿を見送った。
「外で声を出せるようになる前と今の自分では、まるで別人のよう」とほづみさんは言った。これから生きる自分はどんな人間なのかーー。ほづみさんは新しい人生を歩み始めている。
マスク/お面をかぶり、着ぐるみをまとう人たちがいる。その人たちが隠したいものは何なのか、そして得たものは何なのか。それぞれのバックグラウンドを通して、私たちの社会にある「生きづらさ」について考える。不定期配信。
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