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Capabさんからの取材リクエスト

「合併しない宣言」や「議員報酬日当制」で話題になった福島県矢祭町のその後



「超ワンマン」町長がいた小さな町 15年の時を経て、記者が訪ねた

久慈川沿いに田畑や宅地が広がる福島県矢祭町の中心部=2019年5月、古源盛一撮影
久慈川沿いに田畑や宅地が広がる福島県矢祭町の中心部=2019年5月、古源盛一撮影

目次

取材リクエスト内容

「合併しない宣言」や「議員報酬日当制」で話題になった福島県矢祭町のその後 Capab

記者がお答えします!

 かつて「合併しない宣言」や住基ネットへの接続拒否で全国的に有名になった福島県の小さな町があります。「超ワンマン」と自任する町長が町を引っ張り、国や県と対立し、多くの報道陣も押し寄せました。当時を取材していた記者が15年ぶりに町を訪れ、功罪について考えました。(朝日新聞福島総局・古源盛一)

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すぐそこは茨城

 福島県の南端に位置する矢祭町。東北新幹線の新白河駅から車で1時間20分、町中心部から5分も車で走れば茨城県境です。国の1級河川・久慈川の上流部に沿って田畑が広がり、名産はユズやコンニャク。5月はツツジが咲き誇り、間もなくアユの時期を迎えます。

 メインストリートの国道は通行車両が多いものの、人通りはほとんどなく、商店はどこかさみしげ。どこにでもありそうな地方の町ですが、一躍有名になったのが2001年の「合併しない宣言」と翌年の住基ネット接続拒否の表明でした。

 根本良一町長(当時)が国の方針に相次いで反対し、片山虎之助総務相(当時)と舌戦を繰り広げ、新聞やテレビは大きく取り上げました。合併しない宣言では少なくない小規模自治体に「勇気」を与え、全国から自治体関係者の視察が相次ぎました。

 私は2001年秋~04年春まで福島県で働き、一時期は矢祭町に日参し、「名物町長」を追っていた1人でした。18年春から再び福島で働き始め、平成から令和に変わる直前の4月下旬、福島の平成史をたどる企画の取材で町を訪れました。

【関連リンク】「市町村合併をしない矢祭町宣言」の決議
 
住基ネット接続拒否を表明した根本良一町長(当時)=2002年7月
住基ネット接続拒否を表明した根本良一町長(当時)=2002年7月 出典: 朝日新聞

「超ワンマン」ぶりは健在

 町職員が同席した中で15年ぶりに会った根本さんの印象は当時と変わらずでした。現在81歳。町長を6期24年務め、07年に引退後は家業の家具店の経営者に戻りましたが、町の財政状況の数字をそらんじてみせ、時折、眼光鋭く職員をしかりとばします。「超ワンマン」ぶりは健在です。

 15年のマイナンバー導入で町が『やむをえない』と全国で最後に住基ネットに接続したことについて、「私はね、そのことは今も一文句あるんですよ。矢祭町長としてはそういう答弁はあってはならない。マイナンバーも(国から地方自治体への)委託事務ですから、私ならば委託は受けません。返上します」と自信満々に話しました。

 合併しない宣言後、町は「独立独歩・自立できる町」を目標に掲げました。全国から約40万冊の書籍が寄付された「矢祭もったいない図書館」の開館(07年)や議員報酬の日当制の導入(09年)などです。自立できる町に向け、「可能な限りを尽くしたと思っている。考える限りは実行したと」と振り返ります。

 しかし、町の人口は00年の7062人から15年には6348人に(いずれも国勢調査)。令和になった5月1日現在は5764人と、ほかの地方の町の同じように人口が減っています。自信たっぷりに話す根本さんでしたが人口減少については「予定通りだが、ちょっと早いかな。それでも自立できる町は財政上を見ればできている」と少し言葉を濁しました。

【関連記事】合併しない宣言で有名な元町長は今…「国から目の敵に」
 
インタビューに応じる根本良一さん=2019年4月、福島県矢祭町、古源盛一撮影
インタビューに応じる根本良一さん=2019年4月、福島県矢祭町、古源盛一撮影

対抗勢力として声を上げる人も

 インタビューは、統一地方選の町長選の直後でした。根本さんの引退後、後継指名した副町長が3期12年務め、今回も根本さんが応援する候補が初当選しました。

 とはいえ、根本さんの後継路線は盤石ではありません。最初の07年の選挙は無投票で後継候補が初当選しましたが、その後の選挙における次点候補との差は11年は46票、15年は88票、今年は45票と紙一重です。

 直近の3回の選挙でいずれも次点だったのは鈴木正美さん(61)です。町議のかたわら、海外に矢祭の米や加工品を販売する農業生産法人の経営者です。町議を志したきっかけが、根本さんによる合併しない宣言や住基ネット拒否だったそうです。

 鈴木さんは「合併しないという問題提起自体はいいが、唐突に執行部から出てきて、世間やマスコミにもてはやされたのです。町はその後にアンケートで町民の賛否を聞いたのですが、後づけで『反対ですよ』なんて言える庶民はこんな小さな町にはいないですよ」と話します。

 「合併しない」という判断自体には当時の国の進め方に疑問があり、間違ってはなかったと思う半面、「町民不在の行政」と批判します。その後の町づくりについても、「若者の働き場所を新たにつくる努力をしていません」。議員日当制についても報酬が年100万円前後に減り、「子育て世代が議員を目指すことができない」と手厳しい。

 国に抵抗した町については、「全国の各町村の思考を刺激し、考える時間を持たせた点ではある意味良かったが、矢祭にとってはどうか。表面上、財政は良くてもこれからは分からない。今後も対抗勢力として声を上げ続けます」と宣言しました。

「若い人たちの意見が町政に反映できない」と訴えて2016年の町議選にトップ当選した鈴木正美さん
「若い人たちの意見が町政に反映できない」と訴えて2016年の町議選にトップ当選した鈴木正美さん 出典: 朝日新聞

「裏切られたと思う人もいるのでは」

 町を二分したこの数回の町長選で、根本さんの後継路線への批判の声が比較的強かったと言われるのが、高台に立つ矢祭ニュータウン(274区画)でした。町内に工場を進出した機器メーカーの従業員や首都圏の退職者の移住を見込み、根本さんが町長だった1998年から販売開始。自立できる町づくりを下支えする人口増加の要でした。

 ニュータウンを改めて訪ね、住民に話を聞きました。60代以上の5人のうち3人が「合併しない宣言を聞いて好印象を持ったのが購入のきっかけ」と話していました。

 しかし、町への不満は大きいようです。茨城県の出身で都内で公務員だったという70代の男性は「スローガンが良かった分、裏切られたと思う人もいるのでは」と代弁します。自立するために財政の効率化も必要なことは理解はするが、住民サービスへの影響を心配する声は少なくありません。矢祭町では大きな病院や高校がなく、住民にとっては現在、隣町の病院の診療科目が減ったことや、隣町の高校の統合話が関心事です。車で1時間近く通わなければならなくなってしまうからです。

 男性は「人工透析の受け入れ先が近隣になく、家を売りに出した人もいる。『合併していたら解決できた』と言われれば賛同する人も出かねません」と話します。

矢祭町の根本良一町長(左、当時)らの呼びかけで、国主導の合併に異議を唱えるフォーラムが開催された。110自治体の関係者らが集まった=2003年2月、長野県栄村
矢祭町の根本良一町長(左、当時)らの呼びかけで、国主導の合併に異議を唱えるフォーラムが開催された。110自治体の関係者らが集まった=2003年2月、長野県栄村 出典: 朝日新聞

取材終え「相変わらずだなあ」

 かつて一世を風靡した町も人口減少と向き合い、生き残りに懸命ですが、今のところ決め手を打ち出せていないように感じます。鈴木さんは「周辺自治体との連携の強化」を一つの方法として主張しましたが、独立独歩で進んできた路線をどう軌道修正するかはもっと議論を深める必要があります。

 政府の地方制度調査会は現在、人口減の中、高齢化がピークを迎える2040年ごろに対応するため、市町村の行政サービスの一部を近隣自治体による「圏域」単位へ移行する、をテーマに議論を進めています。公共施設の統廃合など「痛み」を伴う可能性も高く、自治体からは警戒する声など賛否が入り乱れています。矢祭町も現時点では反対の立場です。住民の生活にとってどのような影響があるのか、まだよくわかりません。

 「平成の大合併」に抵抗した町を訪ねた感想は、良くも悪くも「相変わらずだなあ」でした。根本さんの威勢の良さも、停滞している感じがする町並みも。一方で、地方を取り巻く状況は変わり、町には変化の兆しも。時代が変わり、改めて考えさせられました。

「合併しない宣言」をした翌年の矢祭町=2002年
「合併しない宣言」をした翌年の矢祭町=2002年 出典: 朝日新聞

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