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連休明けたら、学校に行けなくなった……社会からはみ出すって才能?
10連休明け、ふとしたことから学校に足を向けにくくなっている人がいるかもしれません。今は飲食店経営で成功しているモカさん(33)は高校時代、ほぼ不登校でした。様々な経験を経て、彼女は話します。「はみ出せることも才能の一つです」(朝日新聞記者・高野真吾)
〈令和に悩む、横浜市の中学2年生、沖田奈津さん(14)〉(モカさんに寄せられた複数の相談者の事例を組み合わせています。記事の最後に相談窓口の案内があります)
沖田さんは連休明けの今週、風邪でもないのに学校を「ずる休み」してしまいました。
小学校の時は違いました。学年上位の成績をキープし、どちらかというと優等生でした。
ところが中学生になると、勉強する意味が分からなくなりました。机に向かっても集中できなくなり、スマホでユーチューブを眺める時間が増えました。
それでも学校には通い続けていましたが、この4月、親や先生から成績低下を指摘されました。10連休中に遅れを取り戻そうとしましたが、結局はダメでした。
ついに連休明けからは、学校を欠席。心配したクラスメイトが「学校に来なよ」とLINEをくれたのですが、あいまいな返信しかしませんでした。
「中学で休んでいるなんて、社会に出てやっていけないかも……」
他のみんなが学校に通っている中、このまま不登校でいいのか、悩んでいます。
日本はシステムやルールが整備されています。確かに便利な国です。
その反面、すごくがんじがらめで、ちょっとのことでも道から外れにくい。学校に行くのが当たり前のルールだから、不登校を許してもらえません。
だから、次の言葉を贈ります。
「はみ出せることも、才能の一つです」
私は学校の勉強が大嫌いでした。学校との相性も良くなかった。
小学生の時、授業中はうわの空でした。
空を見ているか、居眠りしているか、教科書に落書きをしているか。
それでも、先生はいつも私にだけは甘かった。3月生まれで、クラスで一番幼く、クラスメイトからも子ども扱いされていたからでしょうか。自分でも不思議です。
さらに、遅刻の常習犯でした。自宅から徒歩3分のところに小学校があるのに、クラスで一番多く遅刻していました。
よく全校生徒を集めた朝礼中に校長先生の後ろを歩き、みんなに笑われました。
忘れ物もひどかったです。ノートや体操着を持って行かないので、全教科の教科書とノートを常に学校に置いていました。宿題も、もちろんやっていません。
中学は、何とか通いましたが、その後高校はほぼ行っていません。
その頃は、学校にも行かず、好きなことをして遊び歩きました。
その延長線で会社をおこし、女装イベントで成功し、20代半ばで年収が1千万円を超えました。今も複数の飲食店などを経営しています。
いわゆる「学歴」が高くなくても、経済的に成功している人たちは、私の周りにゴロゴロいます。
学校に行くだけが、正解ではない。
そう頭を切り替えた時、逆に、勉強をする本当の意味が見つかるかもしれません。
私は、過去に衝撃的な行動をしたことがあります。その経験と、他の人の悩み相談に乗ることを経て、大きく人生を修正しました。
私が経験したのが、あまりに劇的な内容のため、よく「世界が変わったのか?」と聞かれます。
しかし、世界自体は変わりません。
校則や学校のルールの変更があっても、学校の根本は変わらないでしょう。
それでも、自分が変われば、自分にとっての世界や学校は変わるのです。
いま悩んでいることが、ずっと続くなんて思わないで。学校が嫌だとか不登校の問題なんて、人生の一瞬だけの問題に過ぎませんから。
◇
モカ、1986年3月、東京生まれの元男性。トランスジェンダーとして、東京・新宿2丁目を中心に複数の飲食店などを経営する。29歳の時、自殺しようとマンション屋上から飛び降りたものの、奇跡的に生還。現在は、電話や対面で生きづらい人やLGBT当事者の人生相談に乗る活動を続けている。自身の半生を題材に、描き下ろし漫画を含む書籍『12階から飛び降りて一度死んだ私が伝えたいこと』(光文社新書)を4月に発売。
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