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受けた相談1000件以上 野球「イップス研究家」が語る人生最悪の試合
「イップス」という言葉をご存じでしょうか。スポーツなどで「今まで何の気なしにできていたことが、何らかの重圧などで、思い通りにできなくなる」状態を指します。野球では、特にキャッチボールで起きることが多いです。
当時はつらくても、現在は乗り越えた経験を生かし、「LINE」などでは計千件以上も相談に乗っている谷口智哉さん(24)にイップス体験談を聞きました。(朝日新聞スポーツ部記者・井上翔太)
神奈川の名門・慶応高校野球部だった谷口さんが、イップスに陥った決定的な「事件」は、高校2年の秋でした。
神奈川県大会の3回戦。控えの外野手だった谷口さんは、七回の守備からレフトの位置に入りました。
このときすでに「常に重圧があって、野球をつまらなく感じていた時期」。投げる感覚に「あれっ?」と思うことが多かったようです。守備位置について感じたのは、後ろ向きな思いでした。
「飛んでくるな……」
なぜか、そういうときに限って、打球が飛んでくるもの。1死一塁から、相手がフライを打ち上げて、びっくりしたそうです。
後方への飛球だと思って、背走。しかし振り返ると、思ったほど飛んできていませんでした。
「やばい!」
慌てて前進して、頭から飛び込みましたが、間に合わず、打球は後ろを転々。内野手への返球も暴投となり、ピンチを広げてしまいました。
守備が終わり、ベンチに戻ると「準備しとけよ」「切り替えろ」と発破をかけられた谷口さん。すると打席で信頼を取り戻すチャンスが、やってきました。
1死一塁、サインは「送りバント」。
チーム内での谷口さんの立場からすると、「成功させて当たり前」と思われる作戦です。
1球目、ファウル。
2球目、ファウル。
追い込まれ、サインが「打て」に変わりました。
3球目。変化球にバットを合わせ、レフト前ヒット!
一、二塁にチャンスを広げましたが、一塁ベース上の谷口さんは「まだ体が浮いている」と頭が真っ白。
ぼーっとした感覚だったそうです。ここにまた落とし穴がありました……。
「ん、サインを見逃したんじゃないか……?」
走者は塁上にいるとき、ベンチから出されるサインを確認します。まだ緊張がほぐれていない谷口さんは、ベンチを見ていなかったことに、焦りを感じてしまったようです。
でも、少し冷静に考えると分かりますが、リードしている展開の1死一、二塁で、作戦が繰り出されることは、まずありません。
ただ、このときの谷口さんに、そこまでの余裕もありませんでした。
「事なきを得るために、二塁ランナーを見ようと思ったんです」
当時、慶応高校は、投手の投球と同時に、スタートを切るようなリードを取ることが徹底されていました。二塁ランナーを見ていた谷口さんは、その動きが「三塁に走った!」と見えてしまい、自身は慌てて、二塁に向かって全力疾走しました。
結果は、言わずもがなです。
投球後、捕手から一塁に送球され、谷口さんは一、二塁間に挟まれました。
その間に、二塁走者が三塁を狙いましたが、タッチアウト。
二塁ベースに到達した谷口さんは、ベンチで「マジか、こいつ」というような監督の表情を、今でも覚えているそうです。試合には勝ちましたが、自信は地に落ちました。
「本番で結果が出せない」「メンタルが弱い」
半ば自暴自棄に近い状態となり、練習でもキャッチボールが、思うように投げられなくなりました。
野球部を引退するときは、他のチームを偵察する役割。
「何のために野球をやっているのか。全く実力を発揮できていない」
大学で野球を続けると決意し、わらにもすがる思いで、イップスのケアをする専門家のもとを訪ねました。
そこで気付かされたのが「イップスは才能である」ということ。
「野球を真剣にやっていない選手は、そもそもイップスにならない。これを乗り越えたら、一つ上のステージに行ける」
固定観念をすべて捨て、自分の体に合った投げ方、ボールの握り方、目の使い方を「ネットに向かって投げながら、研究していきました」。結実したのは慶大4年のとき。合宿で行われたノックで、センターから三塁に理想通りの強い送球を連発。コントロールも抜群だったそうです。
「覚醒です。大学で試合には出られなかったけど、イップスを振り払った達成感はありましたね」
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