話題
私が診察室を飛び出した理由 腎臓専門医→家庭医→映画監督に
診察室を飛び出して活躍する医師・孫大輔さんに話を聞きました。
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診察室を飛び出して活躍する医師・孫大輔さんに話を聞きました。
東京大学医学部を卒業して医師になった孫大輔さん(43)。腎臓専門医になった後、「人間全体を診る医師になろう」と再研修を受けて家庭医になりました。市民と医療者の対話の場「みんくるカフェ」を主宰しながら、東大大学院の医学教育国際研究センターで教壇に立つことに。その後、地域コミュニティーに根ざしたプロジェクトの代表になり、自主制作映画の監督も務めました。診察室を飛び出して活躍する孫さんの活動の根底にあるのは「対話」です。
かかりつけ医として幅広い病気を診る「家庭医」。そんな言葉を知らなかった高校生のころの出来事が、現在につながっているといいます。
当時、突然発生する原因不明のかゆみに悩まされていました。総合病院の一般内科では「受験のストレスでしょう」と診断され、大学病院のアレルギー科を受診することに。
大学病院でいくつかのアレルギー検査をしましたが、大きな異常はなく、「お薬を出しておきます」で終了。医師の尊大な態度だけが印象に残りました。
症状改善につながったのは、漢方クリニックでの診断でした。
しっかり話を聞いてくれて、「いずれも汗が出るような状況でかゆみが起きていますね。おそらく汗が出る穴が詰まっているのではないかと思います」と言われました。
穴が詰まりにくくなるように運動することをアドバイスされ、処方された漢方薬を飲むことに。大学に入るころには症状は出なくなりました。
「丁寧に話を聞いた上で、生活面にも考慮した治療方針を示してくれたことに納得し、大きな満足を感じたことを覚えています」
大学卒業後は腎臓内科医に。慢性腎臓病の患者や血液透析を受ける患者を診療しながら、こう思いました。
「薬や透析で数値をコントロールするだけでは、その苦しさを和らげることにならないんじゃないか」
加えて、こんな思いもあって、家庭医への転身を決めました。
「1本の論文を書くために何百匹のネズミを犠牲にして研究をすることも苦痛でした。それに、このまま続けて自分がどこかの病院の部長になるといったイメージも浮かんできて……」
そして、患者の身体的な病気を診るだけでなく、患者と家族の関係性まで目を向けて診察する家庭医に。
しばらくしてぶつかったのが「診察室での患者とのコミュニケーションの限界」という壁でした。
多くの患者が訪れる中、ひとりひとりにかけられる時間の制約。
専門知識の有無や、白衣や診察室の構造に潜む医師と患者の力の不均衡。
医師が生物医学的視点から疾患に注目するのに対して、患者は体験した症状や苦痛、それに対する解釈などの主観的な経験を理解してもらって解決したいと考える、「まなざし」の違い。
「そもそも、患者は医師に本音を話せていないのではないか」
そんな思いで始めたのが、市民と医療者の対話の場「みんくるカフェ」でした。
誰でも来ることができる、みんなに来てほしい、との思いから「みんくるカフェ」と名付け、2010年にスタート。
都内で始めた活動ですが、全国に広めるための研修も始まり、現在では20カ所以上で開催されています。
孫さんが重視しているのは「対話」であって、「コミュニケーション」ではないと言います。
自らの著書「対話する医療」では、アメリカの物理学者デヴィッド・ボームの著書を引用しながら、こう説明しています。
発話した人が想定した意味をできるだけ正確に伝えるやりとりが「コミュニケーション」なのに対して、意味を伝えるだけでなく、お互いのやりとりから新たな意味が生まれてくる「対話」。
それは「議論」とも「会話」とも異なると、孫さんは言います。
そんな孫さんが2016年から取り組んでいるのが、市民参加型アクションリサーチ「谷根千まちばの健康プロジェクト(まちけん)」です。
谷根千(谷中・根津・千駄木)の人々と、東京大学の研究者、医療の専門家が協働して、人々のつながりと健康(ウェルビーイング)を高めるための活動を行うプロジェクトです。
銭湯やお寺、古民家カフェなど地域の人たちが集まる場所で、映画の上映会やヨガ、即興ダンスなどを開催したり、小さな屋台をひいて街を歩き、コーヒーやお茶をふるまいながら、気軽に健康の話をしたり。
「みんくるカフェに来る人は、もともと健康意識が高い人なのではないか」という思いから、健康にあまり関心がない人にも地域のつながりを通じてアプローチできるのではないかと考え、スタートさせました。
まちけんの活動で障害や病をテーマにした映画の上映会を開催するなかで、2017年の夏、こんなアイデアが持ち上がりました。
「自分たちでまちの人たちと一緒に、まちと健康をテーマにした映画を作れないか?」
さっそく孫さんは映画学校に通い、脚本の書き方から撮影、編集まで半年かけて学んで、2018年にショートムービーを製作。
協力してくれるメンバーも集まり、地元のお店や団体の協力を得て、地域をまきこんだ映画製作プロジェクトになりました。
クラウドファンディングで資金を募って完成させたのが「下街ろまん」です。
谷根千を舞台に「うつ病」と診断された大学院生が、出会いを通して癒され、成長していく姿を描いた25分のショートムービー。文京映画祭などでも上映されています。
「映画は観るのも面白いけれど、作るのはもっと面白い。しかも、街の人たちと一緒に映画を作れるなんて、こんな最高な幸せはないんじゃないかと思います」
東大大学院の医学教育国際研究センターで講師として医学生の教育も担当している孫さん。
教育者で、非常勤の家庭医で、みんくるカフェ主宰で、まちけん代表。次々と新しいことに取り組んでいますが、本人も「次は何をするかわかりません」と言います。
「やっていることの理屈は全部後付けです。どんどん広がりすぎるので、ちょっとずつ理屈づけをして一貫性をもたせるようにしています」
根っこにあるのは「どれだけ学んでも学びきれない」という思いです。
「どんなに本を読んでも、ある程度のところまで行くと、そこから先は書かれていません。本当の学びは実践の中にあるのではないでしょうか」
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