お金と仕事
「dj honda」の今、グッズ注目……心境を本人に直撃 顔見せない理由
「dj honda」。帽子やパーカーに「h」マークを見た人は少なくないはずです。生みの親である本田勝裕さんによって、グッズが作られたのは1994年。今も売れ続けている「dj honda」は本田さんの音楽にかける思いが生み出したものでした。積極的な顔出しをしない理由。でも、グッズについて気さくに話してくれる姿勢。「すべて音楽のためだった」と話す本田さん。じっくり話を聞きました。(朝日新聞記者・山下奈緒子=昭和61年・1986年生まれ)
「h」マークの生みの親はどんな人なのか? ネットで検索したところ、ツイッターのアカウントを発見。ダメ元でメッセージを送ったところ「初めまして!」と気さくなお返事をくれました。
さっそうと現れた長髪の男性。この方こそdj hondaさんご本人です。
暗くて顔が見えづらい? ですよね。これには理由があります。ご本人のプロフィル写真も顔が見えないものがほとんどです。
「音楽しかやらない」「すべては音楽のため」。すべての行動の動機はこの言葉に尽きます。そのため積極的な顔出しをしていません。音楽への一途な思いが「h」ブランドを誕生させ、ブームをつくり、大衆化へと進んでいきます。
dj hondaさんはDJとしてヒップホップ界で活動してきました。DJの本田さんだから「dj honda」。当時は名前だけでは国籍がわからないアーティスト名が主流で、名字を使うのは「斬新だった」そうです。
北海道出身の本田さんは、高校を中退し上京。ディスコなどで働いている時にヒップホップに出あいました。そこからDJとして活動して約10年経つも、当時の日本ではDJへの理解は広まりませんでした。25歳になり、将来への不安がよぎります。
「結果は日本では出ない」。1990年にニューヨークのDJバトル世界大会に日本人として初めて参加しました。その時は1回戦で負けますが、会場の盛り上がりを肌で感じました。2度目に参加した92年の大会では準優勝。
「日本では駄目だったけど、アメリカでは受けた」
活動の軸足をアメリカに置くことを決めます。
94年、アメリカへ移住します。95年に日本でデビューアルバム「dj honda」を発売。「音楽がやりたくて契約した。音楽しかやらない、とわがままを通した」という本田さん。顔の露出は避ける方針でした。
しかし、レコード会社から「デビューにはアーティスト写真が必要」と言われ「それもそうだよな」と思った本田さんは、「h」マークの入った帽子を目深にかぶり写真に納まりました。
「h」グッズの誕生です。
本田さんがメディアに出演すればするほど、顔よりも「h」が印象に残ります。帽子の人気は広がっていきました。
グッズは人脈のあるアメリカで製作しました。本田の頭文字の「h」のロゴは、見た目とバランスを考え、何回もデザイナーとやり取りしたそうです。当時は音楽を売るための宣伝として、ライブ会場などで配っていたそうです。
最初は「商売になると思ってなかった。音楽を広めるための一つになってくれれば」と売りはじめたグッズでした。
「音楽しかやらない」と決めていた本田さんがグッズを販売したのは、音楽を広めるためと、自分のレコード会社を作るため。99年にはニューヨークでレコード会社を設立し夢を実現しました。
自身のことを何度も「わがまま」と表現した本田さん。「計画性はない。やりたいからやる」。ただ音楽のために。この気持ちが取材を通しても一貫していました。
グッズの方は、イチロー選手がかぶったこともあり帽子が爆発的にヒットし、ライセンス管理会社「サウスアンドウエスト」とライセンス契約を結びます。大衆路線を強め、時計やバッグなどの商品が次々と販売されました。
本田さん自身のイメージにもつながるブランドの価格を落とすことは、マイナスとは捉えなかったのでしょうか。
実は本田さん、その頃はアメリカにいて状況を知らなかったのです。
「どこにでも売ってるよとは聞いていたけど、アメリカにいたのでそれがどういう店なのか、名前を聞いてもわからなかった」
「こんなところにも入ってるの?」と驚きの声は本田さんの耳にも入っていましたが、当時は「大型スポーツ店みたいな感じかな」と思っていました。
一つ気になっていたことがあります。なぜ小文字なんでしょうか。
「大文字だったら車のHONDAになるよね」
た、確かにそうですね。
現在は日本を拠点に活動しているので、どういう店舗で販売されていたのかは知っています。
感想を聞くと、「いいじゃん。それがきっかけで、音楽を知ってもらえれば。20年経って今日みたいに取材に来てくれることだってあるんだから」。
音楽という明確な軸をもち、すべての物事をポジティブに語る本田さん。
学生時代、本田さんを知らずに「h」ブランドを愛用していましたが、取材を終えてこのブランドを選んだ過去の自分が誇らしくなりました。
ブランドを選ぶとは、製作者の思いもまとうということ。そのことを本田さんとの出会いから再認識しました。
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