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地元

70年間、250世帯が同じ住所 救急車、ピザーラ問題…やっと解消

どうやって70年乗り切ったのか、そこには住民の知恵が……。

250世帯が「鷺山1769の2」、50世帯が「鷺山1768の5」だった地域の地図
250世帯が「鷺山1769の2」、50世帯が「鷺山1768の5」だった地域の地図 出典: 朝日新聞

目次

 「岐阜市鷺山(さぎやま)1769の2」。70年の間、250世帯が全く同じ住所で暮らしてきた地域が岐阜県にあります。スマホの地図アプリで住所を入れれば、誰もがすぐに場所を特定できる時代ですが、ここではそれが通用しません。名前の次に個人を特定する情報である住所が全く同じ……。「アイデンティティーの危機」といっても過言ではない状況を、住民たちはどのように切り抜けてきたのでしょうか。訪ねてみました。

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一見どこにでもある住宅街ですが、つい最近まですべて「鷺山1769の2」でした=2018年
一見どこにでもある住宅街ですが、つい最近まですべて「鷺山1769の2」でした=2018年

一見どこにでもある住宅街

 その地域は、JR岐阜駅から北に1.6km。鵜飼いで知られる長良川を渡った先にあります。瓦屋根の民家が立ち並んでいます。一見、どこにでもある、落ち着いた住宅街といった印象です。

 「このあたりは昔、川だったらしいんだよ」。庭先をほうきで掃いていたおじいさんが教えてくれました。

「鷺山1769の2」の場所
「鷺山1769の2」の場所 出典: 朝日新聞
鵜飼いで知られる長良川=2018年、戸村登撮影
鵜飼いで知られる長良川=2018年、戸村登撮影 出典: 朝日新聞

先に入居、番地は後回し

 歴史は、戦前にさかのぼります。この土地は当時、ただの河川敷だったため、一つの地番で扱われていました。戦後復興の1947~50年、日本では都市化が進み、住宅が急激に不足。そこで岐阜市は、河川改修で埋め立てられたこの土地に目を付けたのです。県から土地を取得し、戸建ての市営住宅を建設しました。

 しかし、市営住宅を建てた際、入居を急いだため、家ごとに番地を変更する作業は後回しにされたのだそうです。市営住宅が民家に変わってからも、住所はそのままでした。こうした経緯で、250世帯が「鷺山1769の2」、同じく河川敷だった、隣接地区の50世帯が「鷺山1768の5」という同一の住所で暮らすことになったのです。

250世帯が「鷺山1769の2」、50世帯が「鷺山1768の5」だった地域の地図
250世帯が「鷺山1769の2」、50世帯が「鷺山1768の5」だった地域の地図

救急車「どこですか?」

 これだけの世帯が同じ住所だと、当然、不便もあります。「1768の5」に住む水野佐知子さん(82)は「救急車を呼んだ時、そばまで来て『どこですか?』と聞かれて困ったことがある」と言います。

 こうしたトラブルを防ぐため、岐阜市消防本部は、検索システムに「鷺山同一番地」という項目を追加。通報を受けた際に聞き取った名字を、電子画面に入力すると、その表札の家の場所が詳細に表示される仕組みを導入しました。指令課の担当者は、「『山田さん』など同じ名字の家が3軒ほどある場合でも、隣の家の名字を聞くと、ほぼ特定できます」。

住人の一人は「救急車を呼んだ時、そばまで来て『どこですか?』と聞かれて困ったことがある」(写真はイメージ)
住人の一人は「救急車を呼んだ時、そばまで来て『どこですか?』と聞かれて困ったことがある」(写真はイメージ) 出典: PIXTA

宅配ピザ「屋根は何色?」

 では、宅配や郵便はどうしてきたのでしょうか。宅配ピザの「ピザーラ岐阜店」に聞きました。

 ピザーラ岐阜店では、注文受け付け用の端末に、「注意ポイント」として、「鷺山1769の2」への注意を促すシールが貼り付けられていました。新規で注文を受けた際は、「屋根は何色か」、「車は何が停まっているか」など、「聞ける情報はすべてお伺いしていました」と店長。道順を聞いておくだけでは、ごくまれに迷う場合があったといい、「知りうる情報はあらかじめすべて聞いてから現場に行くことを徹底してきた」といいます。

配達用のバイク(写真はイメージ)
配達用のバイク(写真はイメージ) 出典: PIXTA

来客も迷う「どこだ」

 来客も迷います。「1768の5」で生まれ育ち、結婚を機に「1769の2」に引っ越した河村敏夫さん(69)は、いわば「同一住所のプロ」。「遠くから訪ねてくる親戚は、よく『どこだ、どこだ』と迷っていた」と振り返ります。

 そんな時に頼りになったのが、住宅街の真ん中にある銭湯「鷺の湯」。「ゆ」と書かれたのれんが下がる銭湯が、ランドマークとして一役買っていたのです。来訪者には、銭湯の前で待っていてもらい、河村さんはそこまで迎えに行っていたといいます。

ランドマークになっている「鷺の湯」
ランドマークになっている「鷺の湯」

独自の住所も登場

 「住人としては、あまり不便を感じない」という声もありました。いつからか住民たちは住宅街の中を「若水町」「月見町」といった通称地名で区分けするようになり、バス停の名前にも使われるようになりました。「鷺山若水1769の2」など、独自の住所を名乗る人も出てきました。

通称地名がついたバス停=2018年
通称地名がついたバス停=2018年 出典: 朝日新聞

驚きの道案内スキル

 驚かされたのは、ここに住む人たちの道案内スキルの高さです。スマホ世代の記者は、目的の場所は「スマホでググる」習慣が染みついています。町並みを見るよりも、目的地の住所を落とし込んだスマホの地図をにらみつけています。

 しかし、この街ではそれが通用しません。住民たちに尋ねると、「バス停から一本入って、隣に倉庫があるから、そこを右に曲がって……」「うちの家はチョコレート色のトタン屋根が目印。このへんにこんな色の屋根はなかなかないからね」。頭の中に鮮明に風景が描かれるほど、とても丁寧に説明してくれるのです。もしもスマホがなかったら、このスキルは大変役立ちます……。生活の知恵を学んだ気がしました。

鷺山の街並み。住民に道をたずねると「バス停から一本入って、隣に倉庫があるから、そこを右に曲がって……」と、丁寧に説明してくれました=2018年
鷺山の街並み。住民に道をたずねると「バス停から一本入って、隣に倉庫があるから、そこを右に曲がって……」と、丁寧に説明してくれました=2018年 出典: 朝日新聞

「みんなが同じ住所って、たしかに変」

 戦後から長らく、数々の不便を創意工夫で乗り切ってきた住民たち。しかし、転機が訪れました。今から15年前、当時の市長が意見交換会で鷺山地区を訪れた際に、一部の住民から「同じ住所で困っている」との声が上がったのです。「みんなが同じ住所って、たしかに変」。市や住民たちは気づいたのです。

70年越しの個別住所

 住宅街は高齢化が進み、老人ホームに引っ越す住民も出てきました。空き家が目立つようになり、互いに助け合ってきた時代から、少しずつ街の姿は変わっていきます。高齢者が増える中、万が一、救急車が迷ったらという懸念もあり、市はついに重い腰を上げました。

 しかし、新たに地番を割り振るための登記の変更は、相続人が多数いるため、作業が繁雑で時間もかかることが分かりました。どうしたら良いのか。市は、悩んだ末、公図や登記は変更せずに新たな住居表示をする手法をとることにしました。住民の指摘を受けてから15年後の2018年、予算に調査費用を盛り込み、改革に動き出したのです。

 市は、同一の2つの住所と、その周辺の約380世帯(約750人)の住所を新たに「鷺山南○番○号」と表示することに決めました。こうして、70年の時を経て、1軒1軒に個別の住所が作られました。

電柱に取り付けられた新住所
電柱に取り付けられた新住所

案内板設置「ここが私の家」

 今年2月4日、ついに新住所の運用が始まりました。
 
 地区の真ん中には、新しい住所の書かれた案内板が設置されました。「積年の課題に決着をつけることができ、本当に喜ばしい」。除幕式で、柴橋正直市長は笑顔で地域住民らにあいさつしました。「ここが私の家だよ」「ちゃんと新しい住所になってるね」。式に参加した住民たちは、案内板を指さしながら、まるで子どものようにはしゃいでいました。

新たに設置された案内板を見る柴橋正直市長(左)=2019年2月、岐阜市鷺山南、松浦祥子撮影
新たに設置された案内板を見る柴橋正直市長(左)=2019年2月、岐阜市鷺山南、松浦祥子撮影 出典: 朝日新聞

380世帯の住所、生まれ変わる

 高齢化が進む地域で、「住所変更は住民の負担になるのでは?」という心配の声もありました。市は、住民が親戚や友人に住所変更を伝えるためのはがきを配布したり、運転免許証の住所変更を警察署に出向かなくてもできるよう公民館に特設の窓口を設けたりしました。家の玄関に取り付ける新しい住所プレートも市が配りました。

 こうした対応が功を奏したのか、380世帯の住所が生まれ変わるという一大プロジェクトは、穏やかに遂行されたのです。

「ナビに自分の家、楽しみ」

 地図大手の「ゼンリン」は、今年4月に出版する地図から新住所を採用します。ゼンリンが地図を提供しているカーナビには順次、この新住所が反映されていく予定です。

 鷺山自治会連合会の水野吉近・副会長は「ナビに住所を入れて、自分の家がピンポイントで表示されるのが楽しみ」と話しました。多くの人にとっては当たり前のことですが、そのワクワクした表情が、この街の歴史を物語っているようでした。

鷺山自治会連合会の水野吉近・副会長は「ナビに住所を入れて、自分の家がピンポイントで表示されるのが楽しみ」と話します(写真はイメージ)
鷺山自治会連合会の水野吉近・副会長は「ナビに住所を入れて、自分の家がピンポイントで表示されるのが楽しみ」と話します(写真はイメージ) 出典: PIXTA

宅配ピザ店にも新たな住所

 新しい住所になって1カ月。再び、この街を訪ねてみました。昼下がりの住宅街はとても穏やかです。どの家にも「鷺山南○―○」と記された青い住所プレートがしっかりと取り付けられていました。

 ピザーラ岐阜店の端末に貼られていた「1769の2」の注意シールもはがされ、端末には新たに「鷺山南」が追加されました。

新しい住所プレートを指さす後藤さん=岐阜市鷺山南
新しい住所プレートを指さす後藤さん=岐阜市鷺山南

ピカピカの住所プレート 生活変わった?

 生活は何か変わったのでしょうか?

 ランドマークでおなじみ「鷺の湯」の女性番頭・尾崎さん(75)は「新しい住所で聞かれても逆に分からない。家の名前を言ってくれた方がすぐ分かる」と言います。「自分の住所を覚えるのもやっとなんだから」。

 この地域に長く住む後藤勇さん(83)も「そう変わらへんよ」と、あまり変化を感じていないようです。「住所が変わってからも、郵便物が間違って届いた」と苦笑い。「後藤」という同じ名字で、下の名前の読み方が1文字違いのご近所さんと間違えられたといいます。「持って行ってあげて、ポストに入れてまった。本当は郵便屋さんに言わないかんらしいな」
 
 新しい住所が浸透するには、もう少し時間がかかりそうです。でも、「これが新しい住所なんよ」。そう言ってピカピカの住所プレートを指さす後藤さんの表情は、どことなく誇らしげでした。

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