お金と仕事
「日本代表になりたい....」セパタクローに転向「それぞれの理由」
誰もがなれるわけではないスポーツの日本代表に、競技を変えて挑戦した人がいます。入ってみてわかったマイナースポーツの厳しさ。日の丸のユニフォームを着て、外国人選手と対戦した時に感じた「これが日本代表か」という感動。そして、気づいた「スポーツの価値」。競技を転向し半年後に日本代表になり、2018年のアジア競技大会で銀メダルを獲得した現役セパタクロー日本代表の寺島武志選手と高野征也選手に話を聞きました。
<元々サッカー選手だった2人。レギュラーではなかった環境や、当時の代表キャプテンの講演、それぞれの理由から新しい道を選んだ>
寺島)サッカーは小学校三年生から始め、中学校の時には三菱養和クラブで全国優勝を経験しました。でも高校では半年でサッカーを辞め、バンド活動に打ち込みました。日体大でまたサッカーを再開したのですが、3軍にあたるチームに所属していたのでモチベーションが上がりきりませんでした。そんな大学一年の秋に友達がセパタクローを中庭でやっていたのに混ぜてもらったのがきっかけです。
高野)サッカーをしていた高校時代に、当時のセパタクロー日本代表キャプテンの寺本(進)さんが講演に来ました。そこで興味を持ったのですがプレイする環境が無かったので、広島から東京の大学へサッカー推薦で入学した後に寺本さんに連絡を取り、サッカーと並行で始めました。
<それぞれ半年ほどで代表選手に。サッカーとの違いに苦労することもあったという>
——セパタクローを始めてどれくらいで日本代表入りしたのですか?
寺島)日本代表の強化指定選手には半年ほどでなりました。
高野)僕も半年ほどで代表の育成選手になったのですが、国際試合などに派遣される強化指定選手になるまでにそこから3年ほどかかりました。
寺島)技術面で苦労したのはレシーブですね。サッカーでもボールを蹴り返したり、トラップしたり止めたりすることはありますが、セパタクローのレシーブは「上げて次に預ける」という概念なので、速いボールを角度を変えてショックを吸収してあげるというところが苦労しましたね。
<日本代表になるという決意は当初から明確だった。その一方で「簡単な気持ちでなれない」厳しさもあると明かす>
寺島)正直「セパタクローならば日本代表になれる」という言葉に心を動かされましたし、初めて練習した時に自分に向いていると思い、やるなら日本代表を目指そうと決意しました。サッカー日本代表が日の丸をつけて戦う姿に憧れていたのと、当時のセパタクロー代表は日体大のOBばかりで身近に接する機会が多かったので「日本代表」というものにイメージが湧きやすかったのもあります。
高野)大学には推薦で入学させてもらっていたので、ずっとサッカーと並行で練習していたのですが、セパタクローの方にのめり込んでいる自分に気づきました。もっと上手くなって寺本さんのように日本代表になりたいと思いました。僕も身近に日本代表選手に接する機会が多かったので具体的に目標としやすかったです。
寺島)僕の場合は特殊だと思っていて、僕より短期間で代表選手になった人はいないです。これまで積み上げてきたリフティングの技術などが僕の場合マッチしただけであって、必ずしもサッカーがうまいからと行ってセパタクローも上手くいくかといったらそうではありません。今までもそうやって期待されてきた選手でも代表になれなかった人もいたので、自分にすごく合っている競技に出会えたことがラッキーだったかなと思っています。
高野)そんな簡単な気持ちで代表になれた人は見たことない。そんな甘い気持ちでなれるもんでもないですし、相当な努力も必要です。でもやはり競技人口を考えても、サッカーに比べると代表への道は近いとは思っています。
<日の丸のユニフォームに「身が引き締まる」という実感。同時に、代表か否かでイメージが変わるという現実もあるという>
寺島)普通にスポーツをやっていると外国選手と戦う機会がありませんでした。初めて外国人と同じ会場で同じスポーツをやっている時に「これが日本代表か」と実感しました。
高野)強化指定選手になって着たユニフォームの日の丸を見た時に身が引き締まる思いがしました。国際試合は国内の大会と雰囲気も違いますし、いつも映像で見ていた海外選手の実際のプレイを体験できたことは日本代表でしか得られないことだと思います。
寺島)プレッシャーはあまり感じたことはありませんが、試合に出たら負けられない、悪いパフォーマンスは出来ないという思いはあります。それよりも日本代表じゃなくなった自分の価値を考えると、ちょっとプレッシャーになるかもしれません。メジャースポーツとマイナースポーツの差だと思いますが「日本代表選手はすごくて、それ以外はすごくない」と見えがちです。サッカーですと代表選手でなくても「Jリーガー」という肩書きでもすごい、となる。プロリーグのないセパタクローでは「日本代表」という肩書きのおかげで応援してもらっていると感じます。
高野)そうですね。代表になれたからこそ、競技生活を支援していただける企業に就職することができました。代表という立場じゃない難しいと思います。だたし、日本ではマイナーだと思いますが、発祥国のタイ、マレーシア、インドネシア、ミャンマーでは大変人気でメジャースポーツ扱いです。日本という物差しで言えばマイナーだと思いますが、僕は広い視点ではいうとメジャースポーツをやっているという意識でいます。
<日本代表になってあらためて見つけたスポーツの価値。それは、結果だけでなくプロセス、フィールド外での立ち居振る舞いを通じて与える感動だった>
寺島)スポーツの存在意義自体、まずは本質的に楽しい、人がやって、見て、触れて楽しいことに存在意義があると思います。さらにプロ選手でご飯を食べる人たちの存在意義は、どれだけ人に感動を与えられるか。仕事やいろんなジャンルで頑張っている人に感動を与えられるかもしれない特殊なものだと思っています。試合の結果だけでなくそれまでのプロセスや、その試合で勝利する一瞬のために積み上げてきたものがあって、それを試合で表現することで、その姿にお客さんが共感したり自分を重ねて感動させられることができると思っています。
高野)トップクラスのプレーをし続けることが日本代表の役割だと思っています。見ていてすごいな、かっこいいなと思ってもらえるために良いプレーをし続けること。それだけではなく代表選手はそのスポーツ自体の普及のために自分たちで発信することを率先してやるべき立場だと思います。また競技のトップ選手になるので、プレーもさることながら人間としての立ち振る舞いも見られてくるので人としても成熟し、その姿も人に見せて行きたいと思います。もちろんハメを外すときもありますけど、それはしっかりと場所を選べば良いと思うので。
◇
寺島武志(てらしま・たけし)
1982年、東京出身
日体大時代からセパタクローを始め、2006年ドーハ・アジア競技大会より4大会連続出場
セパタクローの本場タイのプロリーグにも参戦
阪神酒販(株)所属
髙野 征也(たかの・せいや)
1989年1月9日生まれ、広島県出身 拓殖大卒
セパタクロー日本代表キャプテン 2010年広州アジア大会より三大会連続メダル獲得
ゼビオナビゲーターズネットワーク株式会社 所属
◇
第1回 全日本セパタクロークワッド選手権大会
会場:富士見市立市民総合体育館 メインアリーナ
開催日:4月13日(土)・14日(日) (※大会の詳細は、組合せ抽選終了後にお知らせいたします。)
主催:一般社団法人 日本セパタクロー協会
後援:富士見市・富士見市教育委員会
詳細:http://jstaf.jp/topics/news/2019/1-4.html
入場料:無料
1/11枚