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IT・科学

チームラボ代表・猪子寿之が明かす「夜中にアート作っていた」時代

チームラボ代表の猪子寿之さん=佐藤常敬撮影
チームラボ代表の猪子寿之さん=佐藤常敬撮影

目次

 徳島市出身でアート集団「チームラボ」代表の猪子寿之さん(41)は、ウェブサイトの制作をしながら「出口がない中、ずっとアートを作ってきた」と言います。国内より先に海外で認められ、世界デビュー。様々な分野のスペシャリストで構成される集団を率いながら、芸術に情熱を傾ける理由とは何か? 猪子さんの思いを聞きました。(朝日新聞徳島総局記者・佐藤常敬)

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【動画】「チームラボ」は2018年、デジタルアート作品を全身で体感できる常設展示ミュージアムを東京のお台場と豊洲に開設した。いずれの施設もチームラボが目指す「境界が無くなる世界」を体験できる場所だ=佐藤常敬撮影

「20世紀にできた組織に入ってはいけないと思った」

<猪子さんは、高校3年生の時にインターネットの存在を知り、大学入学で上京してネットをつないだ。「世界と直接つながっていることに対して非常にロマンチックな気持ちになって。何か新しい社会が始まるんじゃないかと」。2001年の春に東京大学工学部計数工学科卒業と同時に、友達と東京都文京区に「チームラボ」を設立する。>

 新しい社会が始まるってことは、人類の歴史上、社会の価値観から必要なことや、重要な価値観やスキルが大幅に、まったくもって変わる。産業革命が起こっているのに「腹切り」の練習をしていてもしょうがないでしょ。

 人類の歴史上、極めて大きな変革が起こっていることは事実で、新しい社会はどんな仕組みになるか分からなかった。革命の前後で、社会の状況、ありよう、必要な能力はいつもまったく違うということは歴史から学べる。

 つまり未来は分からないけど、20世紀的な価値観になったり、20世紀にできた組織に入ったりしてはいけないと思った。だったら自分でやろうと。志が高いポジティブなものではなかったけど、自らの居場所を作りたいと思った。

「チームラボ」を設立したころの思いを語る猪子さん
「チームラボ」を設立したころの思いを語る猪子さん

「アートによって世界の見え方が変わっていった」

<自分で立ち上げた集団、そこは、好きだったアートとサイエンスをやっていくための器だった。>

 居場所でやりたいことは決まってはいなかったけど、自分は小さい頃からサイエンスとアートが好きだった。サイエンス的なアプローチだったり、アート的なものがやれたらいい、と漠然と思っていた。

 サイエンスによって人間は見えてる世界が増えていった。ほとんど見えなかった世界が見えていく。アートというものもアートによって人類の世界の見え方が変わっていった。

 何かそういう見え方が変わっていくことがおもしろいと思っていたし、サイエンスによって世界の見え方が増えていくことがおもしろいし、アートによって世界の見え方が変わっていくことがおもしろいと思った。

 人は大昔、洞窟ではこんな壁画描いていたのに、ルネサンスの時は写真みたいに世界が見えていたんだ、と。

 アートによって世界の見え方が変わっていくということがロマンチックに思った。人が、花を「美しい」と思うことは極めて分かりにくい現象だ。人が異性を美しいと思うのは遺伝的なリスクヘッジで、花は遺伝的には人間にとって最も遠いと存在といえるのに、そういうものになぜか美しいという生殖対象に使っていた概念を持ち込んだ。

 極めて意味不明だが、それがきっと美が拡張した瞬間だと思った。しかし、そのおかげで人は、何か自然をめでるようになった。動物は自然を単なる搾取の対象としていたのに、木を切りすぎたら怒られるとか、たたりが起こるとか、分からない概念を生んだ。

 でも、合理性を超越して「植林して切りすぎるな」と言って、美が人の行動に影響をあたえたおかげで人類は滅びなかったかもしれない。もっと合理性を追求したら人類は滅んでいたかもしれない。アートは人間が自ら新たな花を作り、自らの美を拡張する行為だと思う。美を拡張することで人類がベターになっていくんだと信じた。

 大げさな言い方をすると、ピカソはものごとを多面的に見た方が美しいとした。物体を幾何学的に描く「キュビスム」とはそういうこと。それまでものごとは一点で見て良かった。ピカソが多面的に見ることを美しいと思って、それが美しいと思っちゃった。美が変わり、世界の見え方変わっていくことがすごいすてきなことなんじゃないか、と。

東京・お台場にあるデジタルアートの常設展示施設「チームラボ ボーダレス」。壁や床一面に色とりどりの花が乱れる=佐藤常敬撮影
東京・お台場にあるデジタルアートの常設展示施設「チームラボ ボーダレス」。壁や床一面に色とりどりの花が乱れる=佐藤常敬撮影

「出口はなかったけどアートはずっと作っていた」

<2011年、現代美術家の村上隆が運営する「カイカイキキギャラリー台北(Kaikai Kiki Gallery Taipei)」で、初めて個展を開いたことが道を開く。>
 

 出口はなかったけどアートはずっと作っていた。昼間は企業のウェブサイトの制作などの仕事をして、夜中にアートを作った。

 世界デビューとなった台北の個展には、3次元空間上に立体的に構築された波を、チームラボの超主観空間によって映像化した作品「百年海図巻 アニメーションのジオラマ」や、チームラボが設立以来取り組んでいる空間に書く書『空書』の作品「生命は生命の力で生きている」など数点を出した。

 作品が認められ、翌年、国立台湾美術館での一館丸ごとの作品展につながった。それが「シンガポール・ビエンナーレ2013」の学芸員たちの目にとまり、参加のオファーがあった。今があるのは村上さんのおかげだ。村上さんが機会を作ってくれたおかげで、世界でやろうと思ったし、そういうふうにしてやろうと思って良かった。

チームラボと柳原照弘による「百年海図巻 アニメーションのジオラマ」。画面は空中に浮くように設置され、海面が会場を飲み込むようだ=2011年
チームラボと柳原照弘による「百年海図巻 アニメーションのジオラマ」。画面は空中に浮くように設置され、海面が会場を飲み込むようだ=2011年 出典: 朝日新聞

「世界は、人類の新しいものとして認めてくれた」

<海外での高い評価とは裏腹に、日本の美術界では長く相手にされなかった。>

 世界は今までにない概念や表現を、人類の新しいものとして認めてくれた。だけど、日本ではそういうものは「下手物」に扱われる。14年11月から翌年5月まで日本科学未来館で開いた「チームラボ 踊る!アート展と、学ぶ!未来の遊園地」は約47万人を動員した。15年の国内の展覧会入場者数で、モネ展、ルーブル美術館展に次ぐ3位に入った。

 国内の美術の専門誌の記事では、春画と同列に扱われたけど、歴史の遺産に対して現代アートが入る快挙だった。

各地で開かれているチームラボの「学ぶ!未来の遊園地」=2014年、石川県白山市
各地で開かれているチームラボの「学ぶ!未来の遊園地」=2014年、石川県白山市 出典: 朝日新聞

「人間にとって世界とは何かを知りたいと思った」

<チームラボのアートのテーマは「境界をなくす」というメッセージが込められている、と言う。>

 自分と世界との境界を考え直したい。世界の境界そのものを変えたいと思った。山とか森とかすごく美しい風景を記録したいと思って写真を撮ったときに、自分の脳で見ている風景と写真で切り取った風景が違う。なんでそんなことになるんだろうと違和感を持った。

 まるで自分が森の中で世界の一部あるような体験をしているのに写真をとった瞬間、境界の向こう側のような気持ちがしてしまう。境界をなくすことで、人間にとって世界と、人間にとっての世界とは、自然とは、社会とはどんなものかを知ることができると思った。

     ◇

猪子寿之(いのこ・としゆき)徳島市出身。東京大学工学部卒業と同時に、友人たちと、東京都文京区にチームラボを設立。数学者やプログラマーなど650人で構成されるアート集団の代表を務める。8月の阿波踊りの季節には徳島に毎年帰省し、踊り続けている。

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