連載
#1 外交の舞台裏
「日本最強の語学使い」首相通訳に迫る あのゴルフ会談では泥仕事も
安倍晋三首相は第2次政権が発足した2012年12月から18年までの間に78の国・地域を訪れました。一方、日本にも外国からは多くの首脳や外相がやって来ます。そこで行われる会談を支えるのが、外務省の「通訳担当官」。“国内最強の語学使い”と言える通訳たちは、外交の最前線でどんな仕事をしているのでしょうか。(朝日新聞政治部記者 清宮涼、鬼原民幸)
外務省には現在、43の言語の通訳担当官がいます。英語、フランス語、中国語、韓国語などだけでなく、スリランカで使われるシンハラ語、ケニアなどが公用語とするスワヒリ語などの専門家もいます。
通訳を担うのは主に30代の若手職員たちです。外務省に入る時に専門とする言語を決め、2年間の海外研修でみっちり語学を学んだ後、大使館で通訳として経験を積みます。能力や適性が認められると、東京での通訳研修や外務政務官、副大臣らの通訳を経て、ようやく外相、そして首相の通訳を任されるようになります。
実は、通訳担当官たちは通訳だけをしているわけではありません。普段は様々な部署で通常の業務をしています。首脳会談や外相会談が行われるときに通訳としてかり出されます。特別な手当は出ないそうです。
首相たちの発言をただ訳しているように思われがちな通訳ですが、「仕事は奥深い」と経験者は口をそろえます。
例えば安倍首相とトランプ米大統領との会談。通訳担当官は30代のキャリア職員で当然、英語能力は外務省内でも「ピカイチ」(幹部)。ただ、英語以外の知識も求められたそうです。
17年2月、訪米した安倍首相がトランプ氏と初めてゴルフをしました。ところが、複数の外務省関係者によると、通訳担当官はゴルフに詳しくなかったそうです。
ゴルフ談議に専門用語は欠かせません。通訳がそれを知らなければ、微妙なニュアンスが伝わらないばかりか、楽しい時間も簡素なものになってしまう。そこで必死にゴルフ用語の訳し方を勉強。当日は通訳だけではなく、バンカーの砂をならすなどして「ゴルフ外交」を支えたそうです。
そんな努力が実ってか、安倍首相とトランプ氏はその後もゴルフをするようになりました。日本政府関係者は「よく他国の首脳から『どうしたらトランプ氏はゴルフをしてくれるのか』と聞かれる」と言います。中国の習近平(シー・チン・ピン)国家主席も2018年10月の日中首脳会談の際、安倍首相とトランプ氏のゴルフについて興味津々だったそうです。
2017年11月にトランプ氏が初めて来日したときにはハプニングがありました。
外務省関係者によると、安倍首相とトランプ氏は東京・銀座の鉄板焼き店に出かけるため、二人が帝国ホテルから大統領の専用車で出発しようとしたときです。通訳担当官は当初、別の車で店に向かう予定でしたが、トランプ氏が自分のひざをたたき、通訳担当官に向かって「ここに座れ」とジョークを飛ばしたそうです。
大統領専用車はそれほど広いわけではありません。断るわけにもいかず、かといってトランプ氏のひざに座るわけにもいかない……。結局、専用車に乗り込み、体を小さくして座ったそうです。トランプ氏は、安倍首相の通訳担当官を覚えていたようです。
一方、通訳が担う役割の重要性は、失敗例からも知ることができます。
少し昔の話になりますが、1972年、日中国交正常化に際しての田中角栄首相と周恩来首相との会談が今では語り草になっています。田中首相が「中国国民に多大なご迷惑をおかけした」と述べた言葉を、通訳が中国語に訳しました。そのとき、通訳は「迷惑」の部分を「つい、うっかり」という意味を含んだ中国語に訳してしまったのです。それを聞いた周氏は猛反発したといいます。
こうした微妙なニュアンスを正確に伝えるためにも、通訳には日頃の努力が求められます。首相が普段からどういう言葉を好んで使うか、その言葉の裏にある意味はなにか。細かいニュアンスを瞬時に理解して適切な言葉に訳す能力が求められます。
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