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はるかぜちゃんの「ぼく」は日本語の進化? 専門家解説がかなり深い
ツイッターで有名な「はるかぜちゃん」こと、俳優の春名風花さん。はるかぜちゃんは、自分のことを「わたし」ではなく「ぼく」と言うことでも知られています。「女の子なのに、なぜ?」と違和感をもつ人もいますが、劇作家の平田オリザさんは「日本語の構造的な問題がある」と言います。どういうことでしょう。
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ツイッターで有名な「はるかぜちゃん」こと、俳優の春名風花さん。はるかぜちゃんは、自分のことを「わたし」ではなく「ぼく」と言うことでも知られています。「女の子なのに、なぜ?」と違和感をもつ人もいますが、劇作家の平田オリザさんは「日本語の構造的な問題がある」と言います。どういうことでしょう。
ツイッターで有名な「はるかぜちゃん」こと、俳優の春名風花さん。はるかぜちゃんは、自分のことを「わたし」ではなく「ぼく」と言うことでも知られています。「女の子なのに、なぜ?」と感じる人もいますが、劇作家の平田オリザさんは「日本語の構造的な問題がある」と言います。そして「たぶん解決するのは『格好いい女性たち』」とも。どういうことでしょう。(朝日新聞デジタル編集部記者・原田朱美)
「一人称が『ぼく』問題」は、春名さんと平田さんの対談イベントの中で飛び出しました。
100人超のお客さんを前に、春名さんの絵本「いじめているきみへ」と、平田さんの著書「わかりあえないことから」の内容を中心に語り合うイベントです。
冒頭で春名さんが、「違和感をもつお客さんのために」と、なぜ「ぼく」を使うのか、その理由を説明しました。
春名「『ぼく』という一人称は、小学生のころからずっと使っています。女性は一人称が『わたし』しかないですよね。一方で男性は『おれ』『ぼく』『わたし』を使い分けます」
たしかに男性は、どの一人称を使っても違和感なく受け止められます。
春名「男性が『わたし』と言う時は、すごくあらたまっていることが多いですよね。『女性はあらたまった言葉しか使えないのか』と思った時に、『ぼく』という一人称は、目上の方にも同年代にも失礼なく使える言葉で、ぼくにはちょうど良かったんです。それから気に入って使っています」
すると、平田さんが「これは難しい問題なんですよ」と口を開きました。
平田「日本語は、世界の主な言語の中で、最もジェンダーギャップが大きい言語と言われています。本当になんとかしないといけない」
春名さん個人の話から、一気に「世界から見た日本語」という大きな話題に広がりました。春名さんも興味津々です。
平田「僕は大阪大学で医療コミュニケーションを教えています。いま、検査入院するおじさんたちから『女性の看護師さんに子ども扱いされた』というクレームがよくくるんです。でもこれ、仕方がないんですよ。女性が男性に何かを命じたり指示したりする時の日本語って、まだ確定していないんです」
ん? どういうことでしょう?
平田「日本語の二千数百年の歴史の中で、女性が男性になにかを命令したり指示したりすることって、お母さんが子どもに指示する以外なかった。だから入院したおじさんたちは『子ども扱いされた』と怒るんです」
なんという、目からウロコな視点でしょう。解説は続きます。
平田「今は女性の上司、男性の部下って当たり前ですが、女性が男性に命令する言葉がない。たとえば『これコピーとっとけよ』と男性の上司が男性の部下に言っても、『ちょっときつい人』くらいの評価です。でも女性の上司が部下に『これコピーとっとけよ』と言うと、相当きつい人と思われますよね。これは、明らかに男女差別なんです」
春名「たしかに!」
平田「女性が男性になにかを命令したり指示したりすることって、お母さんが子どもに指示する以外なかったのに、雇用機会均等法ができて、社会は変わった。言葉の変化は、だいたい社会の変化から50年くらい遅れると言われています」
社会が変わり、言葉もそれに対応して形を変えてゆく。そのタイムラグが50年。
平田さんが、過去の事例で説明してくれました。
平田「たとえば、明治維新が1868年に起きて、四民平等とか身分を超えた恋愛とか、努力すれば出世できる世の中にはなったんだけど、ひとつの言葉でラブレターも書けて政治も書けて、ケンカもできるようになった『言文一致』は、だいたい1910年前後です」
「言文一致」とは、日常話すような言葉で文章を書くことです。
夏目漱石が完成させたと言われています。
それ以前は、書き言葉は「御座候」「~スベシ」など、日常の話し方では使わない言葉を使っていました。
平田「夏目漱石が1907年に朝日新聞社に入社し、新聞小説を連載しました。当時の新聞小説は、お父さんが子どもに音読して聞かせるような、音としても分かるものじゃないといけなかった。そして最終的に言文一致が完成したと言われています。だから、社会の変化と言葉の変化には、だいたい50年くらいかかるんです」
とすると、いま日本語は変化している途中なのでしょうか。
平田「みなさんは、春名さんが『ぼく』を使うことに違和感があるかもしれないけれど、これは新しい日本語の生みの苦しみなんです。最終的に女性の一人称として『ぼく』が定着するかはわからない。けれど、僕の予想では、恐らく格好良い女性の一群が出てきて、日本語を改革するだろうと思っています」
「かつて夏目漱石のような小説家がやったことを、今度は女性のタレントさんとか俳優さんとかが、ちょうど良い、違和感をもたれない、でも新しい日本語というものをしゃべり始めて変わるんじゃないかと思います」
春名「頑張りたいと思います!」
春名さんが、元気よくこたえます。
会場のみなさんも「なるほど」といった表情です。
春名「ぼくは『ぼく』と言うことに違和感がないんですが、例えばうちの弟は、『わたし』とか『わし』とか、一人称がころころ変わるうえに、『ぼく』とか『俺』とか、広く使われている一人称を使わないんですよ」
女性だけでなく、もしかしたら、男性の言葉も変わっているのかもしれません。
平田さんが、「ジェンダーと言葉」でもう一つ例を紹介してくれました。
平田「いま小学生の先生は、子どもを全員『さん』と呼ぶんです。『君』『ちゃん』と男女で分けずに。でも最近気付いたんですけど、お父さんやお母さんのことは、『○○ちゃんのお父さん』『○○君のお母さん』と呼ぶんです。ほんと、日本語の混乱期です」
春名「あはは。そういえば、障害者も『ちゃん』付けなんですよね」
平田「ああ、そうね。子ども扱いするの」
春名「はい。ぼくのクラスに自閉症の『だいちゃん』という男の子がいて。ぼくが『ちゃん付け』に違和感があったという話を知人にしたんです。その知人も昔、同じことがあったらしくて」
春名「仮名で『松尾はる』という脳性まひの方がいたとします。先生が『はるちゃん、はるちゃん』と呼ぶせいで、松尾さんと同じ年の小学1年生の女の子までが『はるちゃん、おはよう』と自分より小さい子にするようなしゃべり方をするんです。で、女の子たちは『自分たちは良いことをした』と思っているんです」
春名「それに違和感を覚えた知人は、『ねえ松尾さん、ムカつかない?』と聞いたそうです。そうしたら、めちゃくちゃ首を縦に振ったそうです。そして、知人が先生にそれを伝えたら、先生が『たしかにおかしいね』ってなって、『ちゃん付け』が直ったそうです」
平田「そうそう。障害者にだけ『ちゃん付け』というのはおかしい。クラスの中で背が小さい子にだけ『ちゃん付け』するようなものですからね」
自分のことをどう呼ぶのか。
相手のことをどう呼ぶのか。
毎日何げなく使う言葉たちですが、思っているよりも、大きな問題が潜んでいました。
もしあなたがなにか「違和感」をもったとしたら、その理由を掘り下げてみると、面白いかもしれませんよ。
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