連載
#10 平成B面史
「茶髪」にざわついた、あの頃の日本 裁判沙汰、メダルはくだつも
平成時代にファッションとして受け入れられてきた「茶髪」。かつては不良の象徴のように扱われ、平成が終わろうとする今では信じられないような出来事もありました。「潮目」が変わったのはいつか? 「茶髪」にざわついていた「あの頃の日本」を振り返ります。(朝日新聞記者・日高奈緒)
中学生の陸上競技大会で優勝した生徒の髪色に物言いを付け、優勝メダルをとりあげる。1994年には、そんな出来事が報じられました。
後日、大会を主催した郡中体連の会長は朝日新聞の取材に「Jリーグにも赤い髪の選手はいるが、学校現場では、一般的に正常な生活を送れない子に多い」「制裁ではなく、教育的指導だ」と答えています。
当時は「茶髪=不良→指導の対象」という図式が根強いことがわかります。
なお、批判を受けた郡中体連は後日メダル返還を決めましたが、続報には「生徒の家族は受け取りを辞退させる意向」とありました。茶髪に過剰反応ともいえる指導は、なんとも後味の悪い結果を残しました。
一般の人は茶髪についてどう思っていたのでしょうか。
1995年2月、「声欄」に載った読者からの投稿は、茶髪にする若者には「西洋人に対する根強いコンプレックス」があると指摘。「日本人、東洋人としてのアイデンティティーを大切にしてほしい」と主張しています。
一方、この主張には反対の意見も掲載されました。投稿では髪の色を変えるのは「お化粧と同じ感覚」と反論。ヨーロッパでは髪を黒く染める人がいることをあげ「上下意識はない」と述べています。
茶髪を巡っては、警察幹部による「事件」も起きています。
警察署長が一般市民に暴力を振う。なんと原因が茶髪でした。酔っていたとはいえ、普段から茶髪をよく思っていなかったのでしょうか。
後日、この事件をとりあげた朝日新聞のコラム「天声人語」は、次のようにつづっています。
茶髪を「ちゃぱつ」と読むのは、当たり前でなかった時代もあったんですね。コラムからは、茶髪にすることが市民権を得始めたのがこの頃だともわかります。
90年代半ばをこえると、茶髪に好意的な記事も書かれるようになっています。
北海道の茶髪事件はよっぽど話題になったのでしょう。茶髪の是非を問うこの記事では、茶髪賛成派、反対派からの意見が紹介されていますが、賛成派の意見の方が論理的に聞こえる読後感を残します。
例えば茶髪にしている北九州市の公務員男性(22)。
ド正論。ぐうの音も出ません。
茶髪は風紀を乱すのか。そんな問いに司法が答えたこともありました。
最後に、時代の最先端を行く文化人が茶髪批判に喝を入れた対談をご紹介します。
作家の吉永みち子さんは「別に何とも思わない」。作詞家の阿木燿子さんは「男性側の幻想から女性が解き放たれつつある」と論じています。
日本人論から、フェミニズムまで。茶髪をめぐる問いは、なかなか奥深いです。
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