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「つんく♂っぽい」と言われ……DA PUMP「U.S.A.」作詞家の狙い
大みそか、実家のテレビに流れる紅白歌合戦を特別な思いで見ていた人がいます。DA PUMPの「U.S.A.」の作詞を手がけたshungo.さん(46)です。スマホにはひっきりなしにLINEやメールが届く中、「ああ、『U.S.A.』は確かに2018年の大ヒット曲だったんだ」とかみしめました。英語詞と同じ響きの日本語を選んだり、語尾の「あ」を意識したり……。「ダサかっこいい」を成功させた言葉のプロに、ヒットの舞台裏を聞きました。(朝日新聞記者・坂本真子)
昨年12月、shungo.さんを訪ねると、少し緊張した面持ちでインタビューに答えてくれました。
「『U.S.A.』の歌詞は、1960~70年代の米国に憧れる少年をイメージしたものです」
原曲は1992年にイタリアで発売されたユーロビートの「U.S.A.」。サビの「カモン・ベイビー」は元の歌詞を生かしました。
また、できるだけ原曲の英語詞と同じように聞こえる言葉選びを意識したそうです。たとえば、原曲の「チーク・トゥ・チーク」は「地球人」に。確かに響きが似ています。
歌詞のフレーズの末尾に、「シネマ」「渚(なぎさ)」など「あ」の音を多く使ったことにも理由がありました。
「ユーロビートは、2曲に1曲は『ファイア』とか『ディザイア』のような言葉が語尾に来るんです。語尾のアタックを大事にするために、『あ』の音でそろえました」
さらに、伸ばす音と、小さい「つ」の位置を先に決めて、言葉を当てはめたそうです。「一飛(ひとっと)び」「リレーションシップ」「オーシャン」「ハート」などが、それにあたります。
「日本語はダンスミュージックに乗りにくいので、歌を跳ねさせるために、伸ばす音と小さな『つ』を駆使しました」
細部まで計算され、言葉を選び抜かれた歌詞であることがわかります。
作詞家のshungo.さんは、どんな人物なのでしょうか。
出身は東京都。マドンナやイングヴェイ・マルムスティーンといった洋楽を聞くのが好きな高校生でした。英語の歌詞を熟読して韻を踏む手法を知り、自らも歌詞を書き始めます。英会話の授業中に歌詞ノートを教師に没収され、二度と戻って来なかったそうです。
「授業中に書いていたら、ものすごく怒られました。文法が違う、英語としておかしいと、みんなの前で言われたことも覚えています」
音楽との出会いは、子どもの頃に習ったにエレクトーン。楽譜は読めず、課題曲を耳で聴いてコピーして弾いていました。
そして、歌うことが好きでした。
20代初めの頃、歌のオーディションを受けて合格し、95年にボーカル&ダンスユニット「HIM」に男性ボーカルとして加入。アルバムにメインで歌う曲が2曲あり、「詞を書かせてください」と頼んで書いたのが、作詞家としての最初の一歩でした。
「詞の指導をしてくださったプロデューサーの方に褒められて、その気になったというか。英語と日本語が合わさって意味が通じる文章は歌詞として成立しない、ということも教わりました」
HIM解散後、2000年に男性R&Bユニット「Sin」のボーカリストとして再デビュー。作詞家としても本格的に活動を始めました。
HIMの曲「AS TIME GOES BY」を元SPEEDのhiroがカバーしたことが縁で、同じ音楽事務所に所属するw-inds.の詞を手がけるように。
2002年「Because of you」、03年「Long Road」、05年「十六夜の月」、07年「Beatiful Life」など、数多くのw-inds.の曲に詞を書き、紅白歌合戦でも3度、作品が歌われました。
他にも玉置成実さん、中西圭三さん、上戸彩さん、島谷ひとみさん、谷村奈南さんらの曲に詞を書いています。また、作曲やプロデュースを手がけた作品もあります。
昨年、w-inds.と同じ事務所のDA PUMPが3年8カ月ぶりにシングルを出すことになり、「U.S.A.」の日本語詞を依頼されました。
「ISSAさんが歌われる音を想像できたので、書きやすかったです。奇をてらうようなことは考えず、ごく普通に制作しました」とshungo.さん。
「U.S.A.」は、夏の高校野球の応援歌になったり、運動会やお祭りで使われたり。shungo.さんのもとにも毎日のように友人や親類から「子どもが踊った」などの動画が届くようになりました。
「ISSAさんが歌われた瞬間に自分の手を離れてDA PUMPの曲になったので、こういう風にブレークするんだと客観的に見ていました。イントロが流れた瞬間に、ちびっ子たちの頭にビックリマークのようなものが出るんですよね。魔法みたいなものがあると思いました」
「U.S.A.」は、年末の日本レコード大賞で優秀作品賞を受賞し、DA PUMPがパフォーマンスを披露しました。メンバーのKENZOさんが「U.S.A.という曲で1年間、夢みたいな時間を過ごさせてもらいました」と語って感極まり、涙ぐんだ姿が印象的でした。
shungo.さんもそんなDA PUMPの姿をテレビで見て、「すべてが全力で誠実でグッときました」。
大みそかは実家で家族や友人と共に紅白歌合戦を見て、友人や知人からたくさんのLINEやメールが届いたそうです。
紅白では、さまざまな出演者がDA PUMPと一緒に「U.S.A.」を踊りました。中でも松田聖子さんが「いいねダンス」と最後の「ひよこダンス」を笑顔で踊る姿を見て、「驚愕しました」とshungo.さん。
「ああ、『U.S.A.』は確かに2018年の大ヒット曲だったんだ、と実感しました」
作詞家として、shungo.さんは物語の情景を紡ぐ、松本隆さんのような詞が目標だと言います。
「松本さんの映画みたいな詞が大好きだったので、寂しいことを寂しいと言うのではなく、違う言葉で情景を描くのが歌詞だと思っています」
「フックとして『愛してる』みたいなことを言ったとしても、『悲しい』『切ない』『寂しい』というよりは、『○○を一人で歩いている』『一人の影が伸びる』みたいな情景を描く方がより伝わると思うので」
実は中学生の頃、荻野目洋子さんのファンでした。今は彼女と同じ事務所に所属。詞の書き方を教わったプロデューサーは以前、彼女の担当ディレクターでした。一昨年の「ダンシング・ヒーロー」のリバイバルヒットは、「U.S.A.」へと続くユーロビート復活の流れも作りました。
「ご縁の要に必ず荻野目さんがいらっしゃる。いつか詞を書けたらいいなと思います」
shungo.さんには、作詞家とは別の顔もあります。
昨年夏、宮城県大崎市をPRする「U.S.A.」の替え歌「湯ですぜ!」の詞も書きましたが、同県は東日本大震災以降、ボランティアに通っている土地です。
震災の翌月に2週間。その後、現地で知り合った柔道整復師の開院を手伝うため気仙沼市へ行き、2年3カ月暮らしました。隣家に住む86歳の女性と交流を深め、「昔ながらのことをたくさん教わりました。価値観が変わり、人間に戻していただいた感じ。とても幸せな日々でした」と振り返ります。
茨城県常総市の水害や熊本地震のときも被災地へ。ボランティアはライフワークになりました。「U.S.A.」のヒットでやっと、作詞家であることを被災地のお年寄りたちにも理解してもらえたそうですが、「湯ですぜ!」を歌ったグループEnGene.のプロデュースも担当するなど、宮城県との縁は続いています。
昨年5月に「U.S.A.」のミュージックビデオがYouTubeで公開され、6月にシングルが発売されると、「どっちかの夜は昼間」などの歌詞が「つんく♂っぽい」などと騒がれました。
これには、「普段と同じように書いた曲なのに……」と、戸惑ったと打ち明けます。実は「どっちかの夜は昼間」の「夜」は「闇」を指し、続く「ユナイテッドする朝焼け」につながるそうです。
「どっちかがダメでもどっちかはいいから、闇を抜けて、いい方向に引っ張っていこう、朝焼けへつないでいきましょう、と。無意味に書いたわけではなかったんです」
この歌詞に込めた思いの奥には、ボーカリストを志し、2度の歌手デビューを経て、作詞家として花開いたshungo.さんの、決して順風満帆ではなかった歩みがあります。そして、苦節10年で再ブレークを果たしたDA PUMPとも重なります。
言葉のプロが紡いだ、細部まで計算され尽くした歌詞。意識してみると、「U.S.A.」の聞こえ方が変わるかもしれません。
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